「60年代になると、伝統から離れたスタイルの持ち主が出現してきた。ジョーは、のちに登場してくるもっと新しいスタイルの持ち主と旧世代の架け橋なんだ。時代の交錯から次なるものが生まれる。それを彼のアルバム、とくにデビュー作では求めたつもりだ」と語ったのはアルフレッド・ライオンだ。ブルーノート・レーベルを扱った本に度々紹介される言葉で、短いながら端的にその時代のジャズシーンをとらえている。
ジョーとはジョー・ヘンダーソンで、デビュー作とは「ページ・ワン」だ。そして「伝統から離れたスタイル」とはモードであり、「もっと新しいスタイルの持ち主」とは新主流派を指す。こう噛み砕いてそのデビュー作を聴くと、ライオンの言葉に納得する。幸か不幸かこの「ページ・ワン」のヒット、正確に言うとトップに収録されている「ブルー・ボッサ」で、ジョーの人気は決定的になった。幸とは一流プレイヤーのステップになる名刺代わりの曲を持ったことで、不幸とはジャズロックの印象が強くて新主流派としての位置づけや評価が大きく遅れたことだ。とくに同じブルーノートで録音を重ねたライバルのウエイン・ショーターには大きく水をあけられる。
ショーターとの比較はともかくとして、「ブルー・ボッサ」は多くのカバーが生まれるほどミュージシャンに愛され、ジョーも挨拶代わりにライブではよく演奏する。その名も「ブルー・ボッサ・ライヴ 1987」とサブタイトルが付いたアルバムは、日本を代表するオルガン奏者の寒川敏彦との共演だ。日本よりもアメリカで知名度が高いこともあり「KANKAWA」の名で活動しているが、師匠のジミー・スミス直系のソウルフルなオルガンと、ジョーのよく粘りの利いたテナーが程よくブレンドされ、ライブとしては最高の音を創り出している。世代やスタイルの違うプレイヤーと共演しても何ら違和感を感じさせないのはライオンの言う「架け橋」なのだろう。
「ブルー・ボッサ」という曲についてジョーは、「仕事が増えたから、あれはあれでよかったと思っている」と回想していた。そして、「当時のボスだったケニー・ドーハムが、デビュー作を吹き込む私にプレゼントしてくれた曲なんだ」と。こう語ったときは、きっと嬉しそうな顔をしていたに違いない。因みにボスのドーハムは、「ページ・ワン」でこの曲を吹いて以来、一度も自身のアルバムで演奏したことはない。
ジョーとはジョー・ヘンダーソンで、デビュー作とは「ページ・ワン」だ。そして「伝統から離れたスタイル」とはモードであり、「もっと新しいスタイルの持ち主」とは新主流派を指す。こう噛み砕いてそのデビュー作を聴くと、ライオンの言葉に納得する。幸か不幸かこの「ページ・ワン」のヒット、正確に言うとトップに収録されている「ブルー・ボッサ」で、ジョーの人気は決定的になった。幸とは一流プレイヤーのステップになる名刺代わりの曲を持ったことで、不幸とはジャズロックの印象が強くて新主流派としての位置づけや評価が大きく遅れたことだ。とくに同じブルーノートで録音を重ねたライバルのウエイン・ショーターには大きく水をあけられる。
ショーターとの比較はともかくとして、「ブルー・ボッサ」は多くのカバーが生まれるほどミュージシャンに愛され、ジョーも挨拶代わりにライブではよく演奏する。その名も「ブルー・ボッサ・ライヴ 1987」とサブタイトルが付いたアルバムは、日本を代表するオルガン奏者の寒川敏彦との共演だ。日本よりもアメリカで知名度が高いこともあり「KANKAWA」の名で活動しているが、師匠のジミー・スミス直系のソウルフルなオルガンと、ジョーのよく粘りの利いたテナーが程よくブレンドされ、ライブとしては最高の音を創り出している。世代やスタイルの違うプレイヤーと共演しても何ら違和感を感じさせないのはライオンの言う「架け橋」なのだろう。
「ブルー・ボッサ」という曲についてジョーは、「仕事が増えたから、あれはあれでよかったと思っている」と回想していた。そして、「当時のボスだったケニー・ドーハムが、デビュー作を吹き込む私にプレゼントしてくれた曲なんだ」と。こう語ったときは、きっと嬉しそうな顔をしていたに違いない。因みにボスのドーハムは、「ページ・ワン」でこの曲を吹いて以来、一度も自身のアルバムで演奏したことはない。