脚本家であり映画監督でもあるイーアン・ウッドの著書「ガーシュイン 我、君を歌う」(ヤマハ刊)は、ラプソディー・イン・ブルーを中心にアメリカ音楽を築いた天才の生涯を描いている。主観的な記述も見受けられるものの、人物像や作品の捉え方は見事だ。当時の音楽や映画業界の成り立ちにも言及しているのでショー・ビジネスの世界を知る絶好の書でもある。
そのなかで1924年にラプソディーの成功のあと手掛けたレヴュー「ジョージ・ホワイトのスキャンダル」の挿入歌「Somebody Loves Me」にふれ、「スワニー以来のジョージの大ヒットだったばかりでなく、まちがいなくガーシュイン・サウンドを持つ初めての歌だった」と記述している。そのサウンドについては具体的に語られていないが、どの時代にどのようなスタイルで歌われ演奏されても、嗚呼ガーシュインだな、と直観的にわかる曲をいうのだろう。それは魅力的なメロディとコード進行の面白さ、そして何よりも格調の高さにある。
これがガーシュイン・サウンドとは言い切れないものの、おそらく最も近いのがアル&ズートだ。テナー・サックス・コンビだが、お互い邪魔をすることなくそれでいて主張している。それぞれの音楽を高く評価し合っている二人だからこそ出来るチームプレイであり、寛ぎと緊張が程よく調和された演奏だ。このテナーが誰で次に出てくるのが誰それ、というソロ分析もときに重要ではあるが、アル&ズートに関しては全くの無用だ。もし、これがアルで・・・と能書きを垂れる輩がいたら、そんな説明は要らナイとでも言っておこう。from A to Z・・・ジャズの楽しさ全てが詰まっているアルバムはただ聴くだけでいい。
10代から楽譜出版社でピアノを弾くだけの技量があったガーシュインだが、音楽学校で一度も教育を受けていないのが驚きだ。もしジュリアードでクラシック一辺倒の勉強をしていたらクラシックの演奏家か作曲家になっていたかも知れない。その分野でも成功したと思われるが、ポピュラーの楽曲とアドリブの素材は薄っぺらだろう。因みにエリントンも正式な音楽教育を受けていない。
そのなかで1924年にラプソディーの成功のあと手掛けたレヴュー「ジョージ・ホワイトのスキャンダル」の挿入歌「Somebody Loves Me」にふれ、「スワニー以来のジョージの大ヒットだったばかりでなく、まちがいなくガーシュイン・サウンドを持つ初めての歌だった」と記述している。そのサウンドについては具体的に語られていないが、どの時代にどのようなスタイルで歌われ演奏されても、嗚呼ガーシュインだな、と直観的にわかる曲をいうのだろう。それは魅力的なメロディとコード進行の面白さ、そして何よりも格調の高さにある。
これがガーシュイン・サウンドとは言い切れないものの、おそらく最も近いのがアル&ズートだ。テナー・サックス・コンビだが、お互い邪魔をすることなくそれでいて主張している。それぞれの音楽を高く評価し合っている二人だからこそ出来るチームプレイであり、寛ぎと緊張が程よく調和された演奏だ。このテナーが誰で次に出てくるのが誰それ、というソロ分析もときに重要ではあるが、アル&ズートに関しては全くの無用だ。もし、これがアルで・・・と能書きを垂れる輩がいたら、そんな説明は要らナイとでも言っておこう。from A to Z・・・ジャズの楽しさ全てが詰まっているアルバムはただ聴くだけでいい。
10代から楽譜出版社でピアノを弾くだけの技量があったガーシュインだが、音楽学校で一度も教育を受けていないのが驚きだ。もしジュリアードでクラシック一辺倒の勉強をしていたらクラシックの演奏家か作曲家になっていたかも知れない。その分野でも成功したと思われるが、ポピュラーの楽曲とアドリブの素材は薄っぺらだろう。因みにエリントンも正式な音楽教育を受けていない。