デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

マキシン・サリバンを聴きながら川田貞さんを偲ぶ

2018-03-04 09:38:45 | Weblog
 先月19日に川田貞さんが亡くなられた。退職後、2003年に開いたジャズ喫茶「Lush Life」で下火になったジャズを盛り上げようと数多くのライブを開いた方だ。また、川田貞家のペンネームでジャズ批評誌に寄稿されていたのでご存知の方もおられるだろう。なかでも1982年の同誌46号に掲載されたソニー・スティット最後の演奏となった日本公演のレポートは、幅広い人脈から得た取材と文章の巧みさでドキュメンタリーを超えていた。

 最後にお会いしたのは昨年の暮れだったろうか。「DAY BY DAY」を一緒に出て、それぞれの帰宅方向に別れた。小生より一回り上の大先輩だがとてもお元気だっただけに、ジャズ仲間からメールが届いたときは目を疑った。2016年に亡くなったジャズ喫茶「ジャマイカ」のマスター、樋口重光さんと一緒に1966年のコルトレーン来日公演を聴かれていて、生でしか分からないコルトレーンの魅力を教えていただいた。アメリカにも度々旅行されているので、日本では知り得ないジャズクラブ事情やジャズメンの動向を聞くのは楽しみだったし勉強にもなる。

 マキシン・サリバンのコレクターとしても知られている人で、ジャズ誌で特集を組むときは声がかかった。マキシンがクロード・ソーンヒル楽団の専属になり、50万枚売れたと言われる「Loch Lomond」を吹き込んだのは1937年のことだ。87年に亡くなる前年に富士通コンコード・ジャズ・フェスティヴァルに出演しているので、ブランクがあるとはいえキャリアは相当なものだ。SP、EP、LPを合わせるとどのくらいの数になるのか想像もつかないが、コレクションした全てが愛聴盤だったに違いない。「こんなに歌の上手い人がいるのかと感心した」とおしゃっていたのを思い出す。

 会場は静かにコルトレーンが流れていた。「マイ・アイデアル」と「A列車で行こう」の生演奏もあり、ライブが好きだった川田さんを追悼するに相応しい葬儀である。「ドームに付き合うから、一度温泉に付き合えよ」の約束を果たせなかったのが残念だ。今年いただいた年賀状に「1958年にジャズを聴き始めてから今年で61年を迎えます」とあった。ジャズを愛して、ジャズマンに愛された川田貞。享年76歳。合掌。
コメント (6)
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