「スリー・ビルボード」がアカデミー賞の作品賞、主演女優賞、助演男優賞、脚本賞、作曲賞、編集賞にノミネートされたとき、間違いなく受賞するのは主演女優賞だと思った。フランシス・マクドーマンドである。迫真の演技とはこれをいうのだろうか、感情がスクリーンを通り越してダイレクトに響く。暴力的且つ破壊的な作品で、主人公の根底にあるのは「怒り」なのだが、この女優が演じると怒れる女ではなく、イカれた女になる。
「The Three Sounds」に「Three Blind Mice」、「Three Little Words」、比較的新しいのではジャコ・パストリアスの「Three Views of A Secret」・・・コンボもアルバムも曲もネタに事欠かないが、ここはスリーではなくファイブ・ビルボードを持ってきた。映画では3枚の看板だが、上空から見るとこんな感じだろう。ジミー・ヒースは本国で高く評価され、多くのセッションに参加しているのだが、日本での人気はさっぱりだ。20枚以上のリーダー作を全部揃えているジャズ喫茶もなければ、参加作品を全て収集しているコレクターに会ったこともない。ビッグネイムとの共演が少ないと評価されない傾向にあるのは残念だ。
マイルスが自叙伝で語っている。「オレがトレーンの代わりに雇ったのは、すっかりヤクと切れて刑務所から出てきたばかりの古い友達ジミー・ヒースだった・・・彼ならオレ達がやっている音楽をかなり知っているだろう・・・だが、1953年にジミーと初めてブルーノートでレコーディングした頃に比べて、オレの音楽はずいぶん変っていた・・・だから、彼が得意にしていたビバップ的な演奏から抜け出すのは難しいかもしれないとも考えた」。マイルスの友情に目頭が熱くなる。5年間のブランクがなければ「Someday My Prince Will Come」にクレジットされていたのはハンク・モブレーではなくヒースで、知名度も上がったに違いない。
ネタバレになるので詳しく書けないが、中盤あたりからどんなラストを迎えるのだろうと推理を巡らしていると、何とエンディングは観客に解釈を委ねる形だ。こういう手法は珍しくないし、作品によってはこれが決定的なラストと語られるのだが、この映画はモヤモヤ感が残った。「怒り」で始まる映画なら「怒り」で終わってこそ観る側の「怒り」を抑えることができる。映画館を出た後、看板を蹴ったのは小生だけではあるいまい。
「The Three Sounds」に「Three Blind Mice」、「Three Little Words」、比較的新しいのではジャコ・パストリアスの「Three Views of A Secret」・・・コンボもアルバムも曲もネタに事欠かないが、ここはスリーではなくファイブ・ビルボードを持ってきた。映画では3枚の看板だが、上空から見るとこんな感じだろう。ジミー・ヒースは本国で高く評価され、多くのセッションに参加しているのだが、日本での人気はさっぱりだ。20枚以上のリーダー作を全部揃えているジャズ喫茶もなければ、参加作品を全て収集しているコレクターに会ったこともない。ビッグネイムとの共演が少ないと評価されない傾向にあるのは残念だ。
マイルスが自叙伝で語っている。「オレがトレーンの代わりに雇ったのは、すっかりヤクと切れて刑務所から出てきたばかりの古い友達ジミー・ヒースだった・・・彼ならオレ達がやっている音楽をかなり知っているだろう・・・だが、1953年にジミーと初めてブルーノートでレコーディングした頃に比べて、オレの音楽はずいぶん変っていた・・・だから、彼が得意にしていたビバップ的な演奏から抜け出すのは難しいかもしれないとも考えた」。マイルスの友情に目頭が熱くなる。5年間のブランクがなければ「Someday My Prince Will Come」にクレジットされていたのはハンク・モブレーではなくヒースで、知名度も上がったに違いない。
ネタバレになるので詳しく書けないが、中盤あたりからどんなラストを迎えるのだろうと推理を巡らしていると、何とエンディングは観客に解釈を委ねる形だ。こういう手法は珍しくないし、作品によってはこれが決定的なラストと語られるのだが、この映画はモヤモヤ感が残った。「怒り」で始まる映画なら「怒り」で終わってこそ観る側の「怒り」を抑えることができる。映画館を出た後、看板を蹴ったのは小生だけではあるいまい。