デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

メリー・ルー・ウィリアムスが開いた道

2014-02-02 09:21:54 | Weblog
 内外を問わず今では珍しくない女流ピアニストだが、歴史をさかのぼってみるとジャズ史の最初に名を残すのは、1902年生まれのリル・アームストロングである。当時夫だったルイ・アームストロングのホット・ファイブや、ハウスピアニストを務めていたデッカ・レーベルでその演奏を聴けるが、SP録音のためソロは短い。では、LP時代に録音を残し、リーダー・アルバムを作った女性ピアニストは誰か?

 1910年生まれのメリー・ルー・ウィリアムスである。1929年から42年まで在籍したアンディ・カーク楽団で脚光を浴びたピアニストで、当時この楽団にはドン・バイアスをはじめハワード・マギーやファッツ・ナヴァロというつわものがおり、ここで学んだものがいかに大きいかはその後の演奏から伝わってくる。カーク楽団時代は当然アール・ハインズに倣った古いスタイルなのだが、退団後はモダンスタイルに転向し、さらに77年には何とセシル・テイラーと共演している。ブギウギからフリーまであらゆるスタイルを研究し、臨機応変に弾きこなすメリー・ルーだからこそできたセッションなのだろう。

 写真のアルバムはセシルと共演した3週間後にキーストン・コーナーで開かれたライブを録音したもので、「St. Louis Blues」から「I Can't Get Started」、そして「A Night in Tunisia」と選曲は幅広い。どんな形式にも対応できる度量の大きさがうかがえる。なかでもガーシュウインの「It Ain't Necessarily So」はテンポといい、間といい、強弱といい申し分ない。僅か5分足らずの演奏だが、そこにはジャズピアノのあらゆるスタイルが凝縮されているし、作曲家への尊敬、そして長い間ジャズシーンにいるプライドまでもが聴き取れる。「女流」という冠を外したら、「偉大」という形容しか思いつかないピアニストだ。

 メリー・ルー以降の女流ピアニストというと、英国出身のマリアン・マクパートランドと、ピアニストよりもサンジェルマンで叫ぶ女として有名なヘイゼル・スコットがいる。ともに1920年生まれで、デビューや活動時期に違いがあるとはいえ、メリー・ルー誕生から10年後のことだ。その道を開いてくれた先駆者として称えるときはやはり「女流」という冠が必要かもしれない。その冠はジャズ史に燦然と輝いている。
コメント (8)
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