久しぶりの映画館。新潟で。
特筆はエディ・マーフィ。髪型はチャック・ベリー、バックコーラスにすぐ手をつけるところはレイ・チャールズ、歌い方はジェームズ・ブラウンがモデルか。歌うまいな。評判の高いジェニファー・ハドソンより、エディ・マーフィのステージパフォーマンスに感心した。ロイクミュージック全般に造詣が深い友人マルSの蘊蓄を聞いてみたくなった。が、映画として、音楽映画として、あまり上出来とは思えなかった。安手の造りという印象を拭えなかった。金はかかっているが、ビヨンセ以外に本物の歌手が出ていないせいかもしれない。「ブルースブラザース」を観たときのワクワク感は、冒頭のコンテストシーンで「ドリーメッツ」が「ムーブ」を歌う場面くらいだった。「チビ」というニックネームの巨漢のブルースもよかったが。
ジェニファー・ハドソンも、アメリカのスター誕生番組「アメリカン・アイドル」だなあ、と思っていたら、やはり応募していて、最終選考まで残ったそうだ。「アメリカン・アイドル」のアマチュアたちは、それぞれ仰天するほど歌えるのだが、山口百恵は出そうもない。少年少女たちの偶像(アイドル)という想像の帝国に仕えるというより、どれだけ巧く歌うかという技能コンテストに番組の目的は近いからだ。ジェニファー・ハドソンも圧倒的な歌唱力なのだろうが、ただでかい声だなあと思うだけで、すぐに飽きる。むしろ、エディ・マーフィがニュアンス豊かに歌っていたと思う。落ち目になってからの抑えた哀愁がいい。最後は、ドラッグで死ぬが、その動機は音楽的な行き詰まりではなく、妻と愛人の板挟みだったのではないかと身につまされた。
ディティニー・チャイルドのビヨンセ・ノウルズがジェニファー・ハドソンに食われたというが、競って歌った「ワンナイトオンリー」を比べたとき、俺はビヨンセのほうが好ましかった。小唄端唄をなぜ、ジェニファー・ハドソンはああも大げさに歌い上げるのか。ソウルフルを誤解しているように思える。それなら、間奏の合間にアーとか、ウーとしかいわないジェームズ・ブラウンはどうなるんだといいたくなる。
ところで過日、FMでピーター・バラカンがジェームズ・ブラウンの追悼番組をやっていて、3時間くらい聴いてしまった。ジェームズ・ブラウンは、あの猿人もどきの容貌と、アーとか、ウーとしかいわない「セックスマシーン」といった歌、臭いマントショーのイメージから、アメリカの三波春男くらいに思っていたが、非常に革新的な音づくりに熱心で、政治的なメッセージソングも歌っていて、ジョン・レノンみたいなアーティストだと遅まきながら知った。
そうそうビヨンセ・ノウルズの「ワンナイトオンリー」。映画ではジェニファー・ハドソンのソウルフルな歌いぶりに比べて、商業主義的な楽曲とされていたが、とても可愛くチャーミングに歌っていた。やはり、唯一のプロだけのことはあると思った。ソウルのなんたるかがわからないといわれても、俺ならビヨンセに金払う。比べるなら、ダイアナ・ロスとシュープリームスだろうが、その色艶は比べものにならない。「ラブ・チャイルド(私生児)」には痺れたな。この小唄端唄ではない歌詞を小唄端唄と同様に歌う洗練。やはり、昔の人は偉かったんだな。
特筆はエディ・マーフィ。髪型はチャック・ベリー、バックコーラスにすぐ手をつけるところはレイ・チャールズ、歌い方はジェームズ・ブラウンがモデルか。歌うまいな。評判の高いジェニファー・ハドソンより、エディ・マーフィのステージパフォーマンスに感心した。ロイクミュージック全般に造詣が深い友人マルSの蘊蓄を聞いてみたくなった。が、映画として、音楽映画として、あまり上出来とは思えなかった。安手の造りという印象を拭えなかった。金はかかっているが、ビヨンセ以外に本物の歌手が出ていないせいかもしれない。「ブルースブラザース」を観たときのワクワク感は、冒頭のコンテストシーンで「ドリーメッツ」が「ムーブ」を歌う場面くらいだった。「チビ」というニックネームの巨漢のブルースもよかったが。
ジェニファー・ハドソンも、アメリカのスター誕生番組「アメリカン・アイドル」だなあ、と思っていたら、やはり応募していて、最終選考まで残ったそうだ。「アメリカン・アイドル」のアマチュアたちは、それぞれ仰天するほど歌えるのだが、山口百恵は出そうもない。少年少女たちの偶像(アイドル)という想像の帝国に仕えるというより、どれだけ巧く歌うかという技能コンテストに番組の目的は近いからだ。ジェニファー・ハドソンも圧倒的な歌唱力なのだろうが、ただでかい声だなあと思うだけで、すぐに飽きる。むしろ、エディ・マーフィがニュアンス豊かに歌っていたと思う。落ち目になってからの抑えた哀愁がいい。最後は、ドラッグで死ぬが、その動機は音楽的な行き詰まりではなく、妻と愛人の板挟みだったのではないかと身につまされた。
ディティニー・チャイルドのビヨンセ・ノウルズがジェニファー・ハドソンに食われたというが、競って歌った「ワンナイトオンリー」を比べたとき、俺はビヨンセのほうが好ましかった。小唄端唄をなぜ、ジェニファー・ハドソンはああも大げさに歌い上げるのか。ソウルフルを誤解しているように思える。それなら、間奏の合間にアーとか、ウーとしかいわないジェームズ・ブラウンはどうなるんだといいたくなる。
ところで過日、FMでピーター・バラカンがジェームズ・ブラウンの追悼番組をやっていて、3時間くらい聴いてしまった。ジェームズ・ブラウンは、あの猿人もどきの容貌と、アーとか、ウーとしかいわない「セックスマシーン」といった歌、臭いマントショーのイメージから、アメリカの三波春男くらいに思っていたが、非常に革新的な音づくりに熱心で、政治的なメッセージソングも歌っていて、ジョン・レノンみたいなアーティストだと遅まきながら知った。
そうそうビヨンセ・ノウルズの「ワンナイトオンリー」。映画ではジェニファー・ハドソンのソウルフルな歌いぶりに比べて、商業主義的な楽曲とされていたが、とても可愛くチャーミングに歌っていた。やはり、唯一のプロだけのことはあると思った。ソウルのなんたるかがわからないといわれても、俺ならビヨンセに金払う。比べるなら、ダイアナ・ロスとシュープリームスだろうが、その色艶は比べものにならない。「ラブ・チャイルド(私生児)」には痺れたな。この小唄端唄ではない歌詞を小唄端唄と同様に歌う洗練。やはり、昔の人は偉かったんだな。