NHK教育TV ETV特集「マーティン・スコセッシ今村昌平を語る」
NY大学の映画学科で学んでいるときに、『にっぽん昆虫記』を観て新鮮な衝撃を受けて以来、スコセッシは今村映画に多大な影響を受けてきたそうだ。『ディパーティッド』で今年のアカデミー監督賞を受けて話題になったが、シチリア移民の孫でリトルイタリーのバワリー街で育ったスコセッシは、社会の底辺で貧しくも逞しく生き残ろうとする生々しい人間像を追った今村映画から、自分のよく知っている人間たちをありのままに描いていいと眼を開かされ、そのためには従来の映画の話法やカメラワークにとらわれなくていいと学んだという。このあたり、60年代最先端だったはずのNY大映画学科のスノッブさがうかがえておもしろかった。
しかし、娯楽性と興行成績とは無縁だったとはいえ、今村映画をスコセッシほどきちんと讃える映画ジャーナリズムの不在には、日本の映画ファンの一人としてやはり恥ずかしく思った。同時に、晩年の駄作『うなぎ』『カンゾー先生』にほとんど触れなかった構成に感謝した。その反対に、代表作のひとつといえる『神々の深き欲望』にまったく触れなかったことに首を捻った。
『豚と軍艦』の長門裕之の「撮影秘話」がよかった。「汚い横須賀湾にやくざの死体が浮かぶ」という場面を撮影中、汚物やゴミのなかに「猫の死体がほしい」と今村は言いだした。強力な個性と雄弁で俳優スタッフを従えていた今村に、このときは全員が反対した。
「猫の死体なんてそこらにあるわけがない。すると生きているのを捕まえて殺して海に浮かべることになる。それだけはできない」と長門はぶるぶると首を振って見せた。しかし、今村の創作意欲を殺がぬよう、助監督たちはロケ地のあちこちを探し回り、真夏のことだから大汗かいて戻り、「監督、猫はいませんでしたあ」と報告したそうだ。
俺は1960年代の映画界なら、監督が王のように俳優スタッフに君臨していた時代なら、猫や犬の死体なんて、たとえ殺しても調達するくらいに思っていた。当時の映画人が、フィクションのつくり手として分を弁えていたのに、ちょっと驚いた。
今村は取材魔として知られている。どの作品のときも、細部にわたるまで徹底的に事実にこだわり、けっして嘘は描くまいとしたという。一方、俺たちはTVはやらせが当たり前であり、やらせに驚いたり怒る向きには「いまさら、何を」とバカにするほどだ。
今村と彼のスタッフは猫の死体を浮かべなかった。もちろん、ぬいぐるみなどの代替を考えることもしなかっただろう。本物や事実がつかめなかったとき、潔く諦めた。俳優スタッフたちは、猫を殺して浮かべることを行き過ぎとまず思い、今村の追求するリアリズムとは違う、やらせと考えて諫めたのではないか。
TVのやらせに驚いたり怒ったりすることをナイーブと嘲笑する俺たちと今村は違った時代を生きている。俺たちは、猫どころか人の死を楽しむ「スナッフフィルム」すら見飽きている。それでも、猫の一匹くらいとふと思ってしまう俺は、虫も豚も人間も同じ視線で見据えた今村に比べて、なんて不自由なのだろう。
そして、敬愛する今村の要求に断固として反対しながら、その意欲を否定せず添うてみせた、同志的連帯で結ばれた俳優スタッフとの関係性はなんて自由なのだろう。今村の映画がまったくわかっていなかったことがわかった。もしかすると、若い頃はわかっていたのに、わからなくなったのかもしれないが。
ただ、虫や蛇をアップにしてから、人間の営みにカメラがパンするベタなモンタージュ手法には、当時から拙速と鼻白んだものだが。
NY大学の映画学科で学んでいるときに、『にっぽん昆虫記』を観て新鮮な衝撃を受けて以来、スコセッシは今村映画に多大な影響を受けてきたそうだ。『ディパーティッド』で今年のアカデミー監督賞を受けて話題になったが、シチリア移民の孫でリトルイタリーのバワリー街で育ったスコセッシは、社会の底辺で貧しくも逞しく生き残ろうとする生々しい人間像を追った今村映画から、自分のよく知っている人間たちをありのままに描いていいと眼を開かされ、そのためには従来の映画の話法やカメラワークにとらわれなくていいと学んだという。このあたり、60年代最先端だったはずのNY大映画学科のスノッブさがうかがえておもしろかった。
しかし、娯楽性と興行成績とは無縁だったとはいえ、今村映画をスコセッシほどきちんと讃える映画ジャーナリズムの不在には、日本の映画ファンの一人としてやはり恥ずかしく思った。同時に、晩年の駄作『うなぎ』『カンゾー先生』にほとんど触れなかった構成に感謝した。その反対に、代表作のひとつといえる『神々の深き欲望』にまったく触れなかったことに首を捻った。
『豚と軍艦』の長門裕之の「撮影秘話」がよかった。「汚い横須賀湾にやくざの死体が浮かぶ」という場面を撮影中、汚物やゴミのなかに「猫の死体がほしい」と今村は言いだした。強力な個性と雄弁で俳優スタッフを従えていた今村に、このときは全員が反対した。
「猫の死体なんてそこらにあるわけがない。すると生きているのを捕まえて殺して海に浮かべることになる。それだけはできない」と長門はぶるぶると首を振って見せた。しかし、今村の創作意欲を殺がぬよう、助監督たちはロケ地のあちこちを探し回り、真夏のことだから大汗かいて戻り、「監督、猫はいませんでしたあ」と報告したそうだ。
俺は1960年代の映画界なら、監督が王のように俳優スタッフに君臨していた時代なら、猫や犬の死体なんて、たとえ殺しても調達するくらいに思っていた。当時の映画人が、フィクションのつくり手として分を弁えていたのに、ちょっと驚いた。
今村は取材魔として知られている。どの作品のときも、細部にわたるまで徹底的に事実にこだわり、けっして嘘は描くまいとしたという。一方、俺たちはTVはやらせが当たり前であり、やらせに驚いたり怒る向きには「いまさら、何を」とバカにするほどだ。
今村と彼のスタッフは猫の死体を浮かべなかった。もちろん、ぬいぐるみなどの代替を考えることもしなかっただろう。本物や事実がつかめなかったとき、潔く諦めた。俳優スタッフたちは、猫を殺して浮かべることを行き過ぎとまず思い、今村の追求するリアリズムとは違う、やらせと考えて諫めたのではないか。
TVのやらせに驚いたり怒ったりすることをナイーブと嘲笑する俺たちと今村は違った時代を生きている。俺たちは、猫どころか人の死を楽しむ「スナッフフィルム」すら見飽きている。それでも、猫の一匹くらいとふと思ってしまう俺は、虫も豚も人間も同じ視線で見据えた今村に比べて、なんて不自由なのだろう。
そして、敬愛する今村の要求に断固として反対しながら、その意欲を否定せず添うてみせた、同志的連帯で結ばれた俳優スタッフとの関係性はなんて自由なのだろう。今村の映画がまったくわかっていなかったことがわかった。もしかすると、若い頃はわかっていたのに、わからなくなったのかもしれないが。
ただ、虫や蛇をアップにしてから、人間の営みにカメラがパンするベタなモンタージュ手法には、当時から拙速と鼻白んだものだが。