このところ車の運転をしないのでBOOK OFFから足が遠のき、新刊本ばかりになった。
いずれ感想を書くつもりですが。
『復讐はお好き?』(カール・ハイアセン 文春文庫)
クズ男のチャズ・ペローネと美しく聡明で正義感の持ち主のジョーイがなぜ結婚してしまったか。そこに説得力がないので、ジョーイがとても聡明には思えないのが最大の難。チャズとはチャールズを縮めたとは初耳だった。アメリカにチャズ・パルミンテリ という性格俳優がいるが、チャールズ・パルミンテリ というのか。とてもチャールズという顔ではないが。
『トーキョー・イヤーゼロ』(デビット・ピース)
1945年、敗戦直後のTOKYOを舞台にしたノワール。エルロイ調の息苦しい文体がただ息苦しいのが苦難。
『乱世を生きるー市場原理は嘘かもしれない』(橋本治 集英社新書)
10代や20代ならともかくおっさんが読むのは火中に銀杏。
『東京奇譚談集』(村上春樹 新潮文庫)
あり得ない設定とダイアローグへの違和感で遭難。奇想でも奇怪でも奇妙でも奇天烈でもない、俺にとっては珍妙な話が4篇。どこがいいのかよくわからないが、しかしテキストを丁寧に読み込んでみたい気にはさせる。
『未完のレーニンー<力>の思想を読む』(白井 聡 講談社選書メチェ)
「未完の革命ー<権力>の思想を読む」と換言できる。若手学究の修士論文だったそうで、今日の「純粋資本主義」を撃つ『国家と革命』を『何をなすべきか?』の「階級意識外部注入論」から救難する鮮やかな手つき。フロイトとレーニンを対比させて、一神教革命論を浮上させるとは。半分読了。知らないことばかりだった。
俺はポスト団塊世代なので、学生運動には乗り遅れた上、頭が良くなかったのでオルグもされなかった。そうか、「階級意識外部注入論」からすれば、当然、バカは革命家にはなれないのだな。「革命的学生諸君」と「革命的労働者諸君」は、等価だったんだな。いずれも、革命の大義からは遠いという距離において。
革命の大義のみという一神教からいえば、労働運動や革命理論や革命的な英雄などは、むしろ偶像崇拝であり呪物であり、本質的には邪魔者なのか。革命の大義とは、あくまでも現実であり、可能性や必然や理念ではないのだから。マルキシズムとは一神教だとかいう批判は逆立ちしたもので、レーニンこそが革命の大義のみという一神教の革命論を唱道したのか。
レーニンは比類なき人物である。なぜならば、ロシア革命を実現させたから。レーニンは比類なき人物である。なぜならば、ソ連は崩壊し、今日、社会主義国はほとんど消滅しているから。しかし、レーニンは比類なき人物である。そうした結果論を越えて、「レーニンは生き続けている!」。つまり革命は、ありのままの現実として胎動している。今ごろ感心しても遅いか。
若い頃にこの本を読んでいたら、間違いなくマルクス・レーニン主義者になっていたな。しょせん、「革命的」の尻尾の一人だろうが。
『情事の終わり』(グレアム・グリーン 新潮文庫)
未読。『ヒューマン・ファクター』以来の時間盗難となるか。
いずれ感想を書くつもりですが。
『復讐はお好き?』(カール・ハイアセン 文春文庫)
クズ男のチャズ・ペローネと美しく聡明で正義感の持ち主のジョーイがなぜ結婚してしまったか。そこに説得力がないので、ジョーイがとても聡明には思えないのが最大の難。チャズとはチャールズを縮めたとは初耳だった。アメリカにチャズ・パルミンテリ という性格俳優がいるが、チャールズ・パルミンテリ というのか。とてもチャールズという顔ではないが。
『トーキョー・イヤーゼロ』(デビット・ピース)
1945年、敗戦直後のTOKYOを舞台にしたノワール。エルロイ調の息苦しい文体がただ息苦しいのが苦難。
『乱世を生きるー市場原理は嘘かもしれない』(橋本治 集英社新書)
10代や20代ならともかくおっさんが読むのは火中に銀杏。
『東京奇譚談集』(村上春樹 新潮文庫)
あり得ない設定とダイアローグへの違和感で遭難。奇想でも奇怪でも奇妙でも奇天烈でもない、俺にとっては珍妙な話が4篇。どこがいいのかよくわからないが、しかしテキストを丁寧に読み込んでみたい気にはさせる。
『未完のレーニンー<力>の思想を読む』(白井 聡 講談社選書メチェ)
「未完の革命ー<権力>の思想を読む」と換言できる。若手学究の修士論文だったそうで、今日の「純粋資本主義」を撃つ『国家と革命』を『何をなすべきか?』の「階級意識外部注入論」から救難する鮮やかな手つき。フロイトとレーニンを対比させて、一神教革命論を浮上させるとは。半分読了。知らないことばかりだった。
俺はポスト団塊世代なので、学生運動には乗り遅れた上、頭が良くなかったのでオルグもされなかった。そうか、「階級意識外部注入論」からすれば、当然、バカは革命家にはなれないのだな。「革命的学生諸君」と「革命的労働者諸君」は、等価だったんだな。いずれも、革命の大義からは遠いという距離において。
革命の大義のみという一神教からいえば、労働運動や革命理論や革命的な英雄などは、むしろ偶像崇拝であり呪物であり、本質的には邪魔者なのか。革命の大義とは、あくまでも現実であり、可能性や必然や理念ではないのだから。マルキシズムとは一神教だとかいう批判は逆立ちしたもので、レーニンこそが革命の大義のみという一神教の革命論を唱道したのか。
レーニンは比類なき人物である。なぜならば、ロシア革命を実現させたから。レーニンは比類なき人物である。なぜならば、ソ連は崩壊し、今日、社会主義国はほとんど消滅しているから。しかし、レーニンは比類なき人物である。そうした結果論を越えて、「レーニンは生き続けている!」。つまり革命は、ありのままの現実として胎動している。今ごろ感心しても遅いか。
若い頃にこの本を読んでいたら、間違いなくマルクス・レーニン主義者になっていたな。しょせん、「革命的」の尻尾の一人だろうが。
『情事の終わり』(グレアム・グリーン 新潮文庫)
未読。『ヒューマン・ファクター』以来の時間盗難となるか。