コタツ評論

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フリーダム ライターズ

2008-01-15 00:09:05 | レンタルDVD映画
http://www.fw-movie.jp/

貧困地域で人種対立に揺れる最底辺高校の最悪のクラス担任となった新人女性教師(ヒラリー・スワンク)が、生徒一人一人にノートを配り、日記を書かせることによって自分を見つめさせ、やがてクラスを再生させ、「悪ガキ」全員を大学に進学させたという教育成功実話の映画化。

いまだにこんな実話が生まれ、「奇跡」と話題になり、「感動的」な映画になるアメリカとは、何という国なのだろう。

原題のFREEDOM WRITERSとは、もちろんFREEDOM RIDERS(1961年、人種差別撤廃を求めた黒人と白人の学生たちが、暴徒に襲われながら長距離バスでワシントンDC から南部へ移動した旅)からきている。

舞台となったウィルソン高校は、かつては白人の名門高校だったが、人種マイノリティとの宥和政策により、黒人やヒスパニックなどの生徒の入学が多数を占めた結果、荒れた学校になったという人種融和策の失敗が前提にある。

この実話の映画化は、60年代の公民権運動から始まった人種融和策を擁護する狙いなのだろうが、そうした改革が実を結ばず黒人をめぐる劣悪な環境が改善されていないことは、「人民日報」が正しく指摘しているとおりだ。

http://j.peopledaily.com.cn/special/renquan/home3.html

しかし、一人一人の人種マイノリティの生徒の可能性は、裕福な家庭の白人生徒と変わらぬ可能性に満ちているという主張だろう。それはまた一からやり直しなのか、あるいは一のままに留まり続けるつもりなのか、この映画を観ても判然としない。

ただわかるのは、公民権運動が始まった60年代と同様、あるいはそれ以下の悲惨のなかで黒人は暮らしているという事実の確認だ。50年近く経てもなお、大多数の黒人少年や少女の教育機会があらかじめ奪われているとすれば、いったい改革とは何だったのかという疑問は拭えない。実際、大学入学におけるアファーマティブ・アクション(人種マイノリティ優遇策)を撤廃する大学が増えているという事実もある。

こういう映画を観て、いったい誰が何に感動するのだろう。少なくとも俺は、まったく逆な意味で、その「奇跡」に「感動」してしまった。アメリカ映画には、こうした「アメリカの良心」を商品とする、いわば「良品計画」の映画が多い。それはもちろん同時に、絶望的な現実を隠蔽し、希望に満ちた未来を捏造する政治的なプロバガンダとして機能するわけだが、誰よりもアメリカ国民自身がそれを「アメリカンドリーム」と是認し、誇りとすら思っている。その「奇跡」的な「洗脳」の成功に「感動」してしまうのだ。