コタツ評論

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ウサギちゃん

2009-05-23 22:38:00 | ノンジャンル
「勘弁してくれよ、まったく」
 とウサギちゃんに叱られた。
 電話がかかってきたから、鳥が死んだ報告をしたのだ。怒りがおさまるのを待つようにしばらく黙っていた。
「すぐに役所に相談すべきだった。保護鳥なんだから、巣を探してくれたりするのを知らなかったの?」
「そんな小鳥の餌を撒いたって食うもんか。なぜ、割り箸の先を尖らせて親鳥がするように、喉の奥に餌を突っ込んでやらなかったのかな」
 と矢継ぎ早に、今日の昼に相談したときの回答を過去形で繰り返した。
「仔猫はだいじょうぶかい? 2、3時間ごとにミルクをやらなくちゃならないのに、昼間ほったらかしにしたりして」
 と、これはいささか八つ当たり気味。あんたと逢う用があったからじゃないか。

 買ってきた生き餌の「ミルワーム」は無駄になった。仔猫はもう薄い歯が生えて、離乳食のささみ肉を煮たのに鼻を突っ込んでいる。昨日買ってきたばかりのミルク缶も無駄になりそうだ。

注1 ウサギちゃん:ウサギを2羽飼っている。長い耳が下まで垂れた外来種の大きなウサギだ。ボロボロのトレーナーにコッパン、サンダルで銀座でも渋谷でも出てくる。服を持っていないのではない。ときどきイタリアはローマで仕立てたという高級スーツを着て来る。バブルのときに40万円くらいしたそうだ。100着以上あるという。

お洒落が好きなのではない。バブル期に怪しい仕事で大金を稼ぎ、税務署に目を付けられるので不動産や株は買えず、毎月何百万円も使い切るには、服と食事しか思いつかなかったからだそうだ。往時の稼ぎはないようだが、いまでも逢う人ごとに食事に誘い、一日に7、8食ぐらいになっているらしい。もちろん、太っている。身体には悪いから、医者に薬をもらい、それを服用しながら何回も飯を食っている。

なぜボロボロのトレーナーにサンダルかといえば、ウサギをごまかして家を出るためだという。ウサギは気分屋で遊びが大好き。家にいるときはずっと遊びにつきあわされ、中断して出かけると怒る。帰ってみると、服やカーテンをズタズタに噛み切っていて、2,3日は口を利いてくれないそうだ。ウサギの歯は鋭く、
「噛まれると飛び上がるほど痛いよお」
というわけで、トレーナーは穴だらけ。
「ちょっとタバコを買ってくるからねえ」
と近所に出かける振りをして、やっと出てくるわけだ。

ウサギちゃんは、別居している妻のところに3匹の猫がいるし、鳥も飼ったことがあるらしい。というか、ズボンのポケットにいつも鳥の餌が入った袋を忍ばせていて、鳩やほかの鳥がいると、どこでも餌を撒くのである。渋谷のスクランブル交差点でも、かまわず撒くのだ。

PS:前記の雛はヒヨドリではなく、ムクドリだった。椋鳥という字はいいな。ウサギちゃんの電話ではいわなかった。ウサギちゃんは、しばらく口を利いてくれそうにないので、言わずにすむ。

外に出ると雨は上がっていたが、ぬかるんでいた。駐輪場の仔猫の隣に埋めた。迷惑でなければよいのだが。

(敬称略)
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勘弁してくれよ、まったく

2009-05-23 01:48:00 | ノンジャンル


 先夜、駐輪場の隅に仔猫を埋めたばかりというのに、今朝、ヒヨドリの雛が迷いこんできた。

 カラスが巣から雛を奪い、ほかのカラスと取り合いになり、そこへ追ってきたヒヨドリ父母が突進し、四羽の激しい空中戦の結果、我が部屋に続くルーフバルコニーに雛が落ちてしまった。その一瞬を逃さず、我が家のムーチンという雌猫が咥えて持ってきたのである。

 と仔細に眺めていたわけではない。大方は、ガアガアバサバサギエギエーウニャニャ~ンという大騒ぎによって知り、中空にカラスと親ヒヨドリが旋回しているのを見上げて、理解したのである。洗濯物の山に黒い頭を突っ込んで逃げる雛鳥を捉えてみると、怪我はしていないようだった。秋刀魚の口に似てやはり嘴は黄色い。放してみると、跳んで歩くが、飛べはしない。

 困る。狭い3DKに猫が9匹もいるのだから、鳥など飼えやしない。以前に、やはり猫が咥えてきたシジュウカラをしかたなく飼ったことはあるが、ヒヨドリの経験はない。何であれ、これ以上、飼う余裕はないのだ。とりあえず、段ボール箱に入れて、閉め切った部屋のひとつを与えた。猫どもは興奮して走り回っている。眠っていたはずの仔猫二匹も、起き出して鳴きだす。

 もう出かけなければ、すでに遅刻である。
帰ってきたら、可哀相に死んでいた、ということにならないか、怪我はなくとも咬まれたショックで死ぬのは珍しくないのだ、そんなことをなかば願いながら、駅への道を急いだ。

 急いで帰ってきたら、生きていた。
稗と粟の餌をお湯でふかしたのと乾燥したままと二通りを与えた。しばらく経ってから覗いてみたが、食べた形跡はない。やはり、生き餌でないとダメなのか。
 昔、老人が、
「野生の鳥の仔は眼が明いたら、親鳥以外の口からしか餌を食べない。死ぬばかりだ」
 といっていたのを思い出す。
 一週間もしたら、飛べるようになるのではないか、そうしたら林に連れていって放してやろう、やがて、親鳥が見つけてくれて……。そんな風に都合よくはいかないだろうな。

注1 ルーフバルコニー:正確には二階のただの屋根。三階の我が部屋のベランダから脚立を使って下りることができる。猫の運動場兼トイレ場所になっている。

注2 ムーチン:いまは施設などに離散してしまったらしいが、二階に住んでいた貧乏子沢山一家の兄妹たちが、隣の公園に捨てられていたと持ち込んできた仔猫の一匹。眼も開かず皺だらけのときは、パキスタンの前大統領ムシャラフに似ていた。それがムチャラフになり、いまではムーチンという名に落ち着いた。

注3 生き餌:当時、新宿三越のペットショップに、キャビア缶くらいのプラスチックケースにおがくずと一緒にウジ虫に似た生き餌を売っていた。シジュウカラの「ヒーヨ」に、一匹ずつウニウニするのを箸でつまんで与えた。口を菱形に大きく開けて貪り食ったが、ウニくらいで少しでも生きが悪いと、嘴につまんでプイッと遠くに投げ捨てた。太い腹を突きだしたその不快な様子がいかにも傲慢で、南米ドミニカの独裁大統領トルヒーヨから、ヒーヨと呼ばれた。

(敬称略)

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