
子どもの頃、「チーちゃん」という女の子がいた。
本当は何という名前か知らない、住んでいる家も知らない。
同じ小学校だったはずだが、何年生だったかも知らない。
よく知っていたのは、その特異な格好と行動だった。
いつも、太いおんぶ紐をたすきに前で結び、
三角に折りたたんだ座布団を背負っていた。
赤ん坊ごっこに、人形をおんぶしてくる女の子はいた。
「チーちゃん」は人形のかわりに座布団をおんぶして、
土管が捨てられた空き地にやってきた。
赤錆びたトタン屋根の町工場がひしめく一角
無花果の木が一本あるだけの空き地で
おかっぱ髪に四角い顔の「チーちゃん」は、
ずんぐりした足に蒲鉾みたいなサンダルを履いて、
みんなの遊びを見ているだけだった。
僕たちも誘わない。
しかし、誰かが口を動かしていると、
目敏く見つけ、その子に寄っていく。
「何食べてるの?」と尋ねる。
とまどって、答えないと、
「見せて!」と詰め寄る。
何を食べているか、口を開けて、
いま咀嚼しているものを、見せろというのだ。
たいていは、「チーちゃん」を無視する。
聞こえない見えない振りをする、その場から逃れようとする。
「チーちゃん」は、そんな態度を無視して、
「何食べてるの?」「見せて!」と追いかける。
しかたなく、食べているものを教えるか、口の中を見せることになる。
すると、「チーちゃんにもちょうだい!」とは右手を差し出す。
「ねえ、ちょうだい、ちょうだい!」
ニコリともしない、ねだるという可愛げな態度ではない。
くれるまで続くから、やがて根負けする。
だから、子どもたちは、駄菓子屋で買ってきたものを、
空き地で食べるときには、まず、「チーちゃん」の姿を探す。
「チーちゃん」がいたら、ポケットのお菓子を出さない。
すでに口に入れた後なら、なるべく顎を動かさないように、
うつむいて隠すように、舌を回して味わった。
そんな食べ方ではちっとも美味しくない。
なかには、怒って、ねだる「チーちゃん」を
突き倒した子もいた。
「チーちゃん」は、何事もなかったように、
スカートの土を払って立ち上がる。
そして、「わたしにもちょうだい!」と、
正面に立ち、右手を上にする。
おんぶ紐が弛み、たたんだ座布団が広がり、
凧になったように
烏賊の耳のようなのに、
気にする様子も直す気もない。
もとから、ただの座布団にしか
見えなかったのだが。
紐つきの大きな飴を頬張っていた子は、
そんな「チーちゃん」に、
「やらない」とも「あっちへ行け」ともいえず、
飴をモゴモゴさせているうちに、口から落としてしまった。
泣き出しそうな顔で、地面を見つめている。
まだ、舐めはじめたばかりだったのだ。
その飴をすばやく拾い上げた「チーちゃん」は、
近くの家の蛇口へ走っていき、水で泥を洗い落とし、
ザラメが舐め落とされて、ピンクに光る飴を口に入れた。
「チーちゃん」は、見せびらかすように、
頬を大きくふくらませへこませた。
ノシイカを食べている子がいた。
「チーちゃん」に口中のノシイカを見せた。
「わたしにもちょうだい!」
といわれる前に、両方のポケットの底を外につまみ出して見せ、
「へッへー」とその子は笑った。
さすがの「チーちゃん」も、口惜しそうに唇を噛んだ。
その子は1分ばかり、みなから囃したてられて、得意になっていた。
無花果の木が一本あるだけの空き地に、落陽が染めかかり、
夕食が待つそれぞれの家に、子どもたちは帰っていく。
「また明日ね」と呼び交わしながら。
チーちゃん」が、私のところへ寄ってきて、
「何食べてるの?」と尋ねた記憶はない。
私はたしかに、その空き地にいたはずのに。
みなと同じように、買い食いしていたはずなのに。
「チーちゃん」に、正面に立たれた覚えがない。
いつの間にか、「チーちゃん」は、空き地に来なくなった。
「チーちゃん」は、いま、どうしているだろうか。
「チーちゃん」は、あの空き地を覚えているだろうか。
「チーちゃん」は、私を覚えてくれているだろうか。
どうして私は、「チーちゃん」を覚えているのだろうか。