今夜は、母の通夜で坊さんが詠みあげた蓮如上人の手紙から、「白骨」です。「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれり」という一節が有名ですね。
検索していくつか聴いてみましたが、うっとこの坊さんのほうが声が野太く、節回しにグルーブ感があり、高音部はコーランのようでイケました。じょじょにテンポを上げていき、たたみかけ緩急をとれば、身体を揺らしたくなるほどノレるのにと思ったくらい。
豊かな髪をオールバックにして恰幅のよい坊さんで、たぶん、毎回のように数え切れぬほど詠んでいるからでしょうが、浪曲師めいた名調子でした。そういえば、母も娘時代は浪曲が好きだったそうで、上手だったと叔母が云っていました。
さて、「御文章」(浄土真宗西本願寺派ではこう呼ぶそうです)については過去にも少し触れていますが、布教のための手紙文ですから、浪曲や講談に先んじて通俗なものです。「朝には紅顔」と「夕には白骨」や「一万歳」と「末の露」の誇張や比喩など、蓮如上人はコピーライターの先達でもあったようです。
>御文章 白骨の章
了
検索していくつか聴いてみましたが、うっとこの坊さんのほうが声が野太く、節回しにグルーブ感があり、高音部はコーランのようでイケました。じょじょにテンポを上げていき、たたみかけ緩急をとれば、身体を揺らしたくなるほどノレるのにと思ったくらい。
豊かな髪をオールバックにして恰幅のよい坊さんで、たぶん、毎回のように数え切れぬほど詠んでいるからでしょうが、浪曲師めいた名調子でした。そういえば、母も娘時代は浪曲が好きだったそうで、上手だったと叔母が云っていました。
さて、「御文章」(浄土真宗西本願寺派ではこう呼ぶそうです)については過去にも少し触れていますが、布教のための手紙文ですから、浪曲や講談に先んじて通俗なものです。「朝には紅顔」と「夕には白骨」や「一万歳」と「末の露」の誇張や比喩など、蓮如上人はコピーライターの先達でもあったようです。
>御文章 白骨の章
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