コタツ評論

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今週のBJ

2019-04-03 04:44:00 | ノンジャンル
語呂としては、「りょうわ」だろうと思った。

新元号「令和」 欧米メディアは「日本の右傾化」を懸念
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20190402-00120638/

とくに最後の「個人的には~」からがほとんど読むに堪えない。

「あるいは~」からの文末2行に至っては、新元号へ欧米メディアの批判的なコメントを羅列した構成を無意味にしている。

たぶん、その前の「筆者の元には、あるジャーナリストから~」から、ネットで拾った切り貼りを寄せ集めただけ、筆者自身は何も思わず考えずに書いた「やっつけ仕事」ではないかと疑ってしまう。

そうであってほしいと思う。人間、食うためには多少のことは仕方がない。そうではなく、本当にこんな自問自答をしたなら、この筆者はこれからどんどん杉田水脈さんに近づいていくしかない。

>令を「秩序」、和を「調和」と解釈するなら、秩序も調和も、日本が昔から変わらずに重視し、世界からも評価されてきた日本人が誇るべき価値観だ。

日本で「調和」という言葉が使われはじめたのは、「公害」が問題化してからです。公害を垂れ流す企業活動に規制がはじまり、産業界には「調和ある発展が望まれる」という文脈から、「調和」という言葉が普及したのです。1970年の大阪万博のテーマが、「人類の進歩と調和」となった背景です。

そこには数多の被害者がいて、今でも少なからぬ被害者認定や補償をめぐる裁判が続いています。欠けがえのない生命の危険と限りある国土の環境破壊を防ぐために、行政や企業も真剣に取り組まざるを得ませんでした。

そうした多くの人々の苦難と努力を集約した言葉が「調和」なのです。当時、この言葉を苦々しく噛みしめた人は少なくなかったはずです。典籍も根拠もない、手前勝手に心地よいだけの「日本論」を振り回すために、持ち出されてよい言葉ではありません。

(止め)