コタツ評論

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私たちという後世と

2019-04-05 22:46:00 | 政治
万葉集を出典とする新元号「令和」について、万葉集の研究者から緊急発言が寄せられました。

新元号「令和」の名付け親となった、万葉集の巻五「梅花歌三十二首」の<序>の句とは以下のように詠まれました。

干時初春令月、気淑風和
(折りしも正月の佳月であり、気候も快く風も穏やかだ)


「令月」と「風和」から「令和」です。字面の優美で呑気な印象とはまるで違って、その背景には、この<序>を書いた大伴旅人の長屋王自死への無念と怒りがあるというのです。

品田悦一「緊急寄稿「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」
https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

王義之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世に当たる人がいるだろう。その人々へ訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。

品田悦一教授はまるで大伴旅人が憑依したかのように、その激越な内心を吐露します。そして、以下のような現代の解説に続きます。

安倍総理ら政府関係者は次の3点を認識すべきでしょう。一つは、新元号「令和」が<権力者の横暴を許せない、忘れない>というメッセージを自分たちに突きつけてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを選んでしまった自分たちはいとも迂闊であって、人の上に立つ資格などないということです(迂闊が読めないと困るのでルビを振りました)。

解説といいましたが、「この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと」などは、明らかに、万葉の古(いにしえ)の「呪い」ですね。品田教授は大伴旅人を載いて1300年前と現代を往還しているかのようです。この「寄稿」全体に、品田教授と大伴旅人が同時に語っているような倍音感が漂っているのですが、以下は間違いなく品田教授の手厳しい一言です。

もう一点、総理の談話には『万葉集』には、「天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民など幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど30年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家の間では一人もいません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が20数年かかって批判してきたからです。安倍総理ーむしろ側近の人々は『万葉集』を語るにはあまりにも不勉強と思います。

新元号制定に際して、有識者会議が開かれました。見識がある人という意味でしょうが、その有識者会議に提供する新元号候補を選定するのに、複数の学識経験者が集められました。もちろん、品田教授はそのいずれにも入っていないわけですが、自らの学識と見識をこの「寄稿」に賭けたように思えます。

何のために? 

王義之や大伴旅人と同じく、私たちの後世のために、です。

(止め)

PDFなので書き写すのに疲れちゃった。後生大事な俺が後世を語るなんぞ噴飯ものだが、品田先生に煽られてしまった。でも、品田教授は文章いいですねえ。ですますとだであるが混じるところなど、俺もするけど、さすがに多用しない。新元号ー新年号と誤植があるところなど、緊急寄稿らしくてほほえましいですね。品田先生の斎藤茂吉の本、読みたくなった。


コメント
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