コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

反転

2007-08-03 23:56:11 | ノンジャンル
(田中森一 幻冬舎)

うやむやになりつつある緒方総連事件のせいか、ひさしぶりに暴露本に手を出してしまった。大企業の顧問料を得て左ウチワのヤメ検弁護士は数多いが、広域暴力団をはじめとする裏世界の弁護士となった異色のヤメ検である田中森一初の著作。表に出ないことをレゾンデートルとする「大物悪徳弁護士」からよくぞ原稿がとれたものだ。「外務省のラスプーチン」佐藤優本が売れているのに刺激されたのかもしれない。

ヤメ検といえば、かつては平和相銀事件の伊坂、そして許栄中事件のこの田中が有名だが、変わり種に福祉NPOを主催する堀田力という人もいる。いずれもその検事時代はエース格だったという。「一所懸命」を美徳として人生の振幅が小さい日本では稀な「反転」をするには、きわめて強い人格の持ち主というだけでなく、よほどのことがなくてはならないように思える。

読む前の予断はかなり覆された。著者の田中森一は、貧家に生まれて苦学のすえ特捜検事にまで社会の階梯を登るが、ヤメ検弁護士になるや、かつての「被告」や「容疑者」の法律顧問として辣腕を振るい、バブル紳士たちをはじめとする「闇世界の守護神」と呼ばれるまでになった。その「反転」に至る回心に興味を抱いたのだが、「反転」の結節がまったく違っていた。

「反転」とは、法律家でありながら、石橋産業事件によって許栄中とともに「詐欺罪」で逮捕起訴され被告となり、一審で有罪判決を受けたことを指す。著者(田中森一)は、特捜検事時代もヤメ検になった後も、「法律家として、一線を踏み外したことはない」と自負しているからだ。当然、石橋産業事件で問われた詐欺罪についても、無実無罪を主張している。

「特捜のエース検事」と「闇世界の守護神」は著者においては連続しているのだが、なるほど、考えてみれば当たり前だ。多くのヤメ検弁護士たちは、検事時代に捜査や取り調べをした企業の顧問として、検察情報のいち早い入手や後輩検事への圧力を売り物に、「企業社会の守護神」となっている。著者の場合、顧問先の多くがそうした大手や一流企業ではなく、バブル紳士や広域暴力団をはじめとする「闇世界」の住人だったに過ぎない。

また、特捜検事として数多くの不正や犯罪を必死に追及しているときも、「社会正義の実現」といった気負いはなく、検察の本質は、「権力体制と企業社会」を守るものであり、すべてが「国策捜査」(by佐藤優)と醒めている。著者が得意とする贈収賄や不正経理事件の摘発を社会の「ドブ掃除」と考えてもいた。

ではなぜ、著者は辣腕検事と評価されるまで自らを鍛え、年金受給資格を後数年で得られる前に検事を辞めたのか。著者の辞任を報じた当時の週刊誌記事では、「圧力」に弱腰の検察当局への憤りがその背景ではないかと推測している。本書でも、三菱重工CB事件や苅田町の選挙違反事件など、捜査が尻すぼみに終わったことへの不満は記されている。

また、著者のような捜査しか眼中にない叩き上げの捜査検事にとって、東大法卒で法務省の官僚となる「赤レンガ組」や検察幹部と閨閥で結ばれたエリート検事たちが主流を成す東京地検特捜部が、「本籍」である職人肌の捜査検事が働きやすい大阪地検特捜部に比べて居心地の悪い職場であったこともその通りだろう。独居が無理になった母の面倒を見るために、「金と余裕がほしかった」という事情もあったという。

「天職」と思ったほどの検事を辞めた背景や契機はいろいろだったようだ。なぜそうしたかは、当事者にもなかなか説明し難いものだ。何かをはばかってというだけではなく、実のところは本人にもわからないからだろう。検事時代には、判事が有罪の判断を下せるように、ときには強引にわかりやすい「物語」を調書にしてきただろう著者が、はたしてそうだったろうかと自分の記憶に迷っている皮肉な姿を想像すると可笑しくもあり、それでは「調書」として、肝心の動機の部分がかなり弱いと机を叩きたくなる。

自伝的な本ではあるが、著者の心の軌跡といったものはほとんど伺い知れない。「回心」らしきことは、収監中に差し入れられた中村天風の著作によって平常心を取り戻したという下りくらいである。正直、拍子抜けした。それは日本を代表する政財界人の座右の書が、城山三郎や司馬遼太郎の小説と知ったときに感じる落胆に近い。中村天風やその著作についてまったく知らないが、著者自身、それらの本を「自己啓発本」と分類している。

特捜検事として肩で風を切り、弁護士に転じた一時期は40億円もの資産をつくるまでに稼いだのに、獄窓の月を眺める身分に落ちたとき、わずかに残された人の情けに涙し、ふと手に取った「自己啓発本」の一言半句に、たまたま感銘を受けたのかもしれない。その正直さには好感が持てるが、そこには人間の生き方として同時代性が感じられない。バブルという時代がどういう時代であったかはいくらかわかる。その狭間で生きた人間たちがどんな人たちだったかは、著者・田中森一を含めてよくわからなかった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幸福になるためのイタリア語講座 | トップ | 東京伝説 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノンジャンル」カテゴリの最新記事