伊丹十三と「戦後精神」
世代的に「総括」という言葉には忌避感が伴うのだが、「伊丹十三論」の「無さ」を入り口に、日本の「戦後精神」の「無さ」を通底して、戦後日本人を「総括」してみせた、内田樹の伊丹十三論考である。
物わかりのよいリベラルの代表のイメージだが、意外なことに「弱者の正義」に辛辣な舌鋒を下すなど、内田樹ファンを裏切る幅員も見せている。生まれて初めて講演に行き、『ヨーロッパ退屈日記』は20代の座右の書だったと明かすほどの伊丹ファンとして、「憧れの人」の前では率直にありたかったのだろう。
『ヨーロッパ退屈日記』をテキストに、1933年生の「戦中派」である伊丹十三の「戦後精神」の瘤になった「屈折」と「含羞」について、二人の人物を補助線に語っている。一人はメンターとして振舞い弟分であったとされる大江健三郎であり、もう一人は同年生まれの江藤淳である。大江を取り巻く忖度の権力性を指摘しながら、江藤淳のGHQ検閲研究を「妄執」と感心するほど、その無垢純情を対比させている。
内田樹の読者であり、そのブログやツイッターにも接している者なら、内田にとって山本義隆が大江にとって伊丹十三に近い存在であることにすぐ気づくだろう。東大闘争に加担した内田はその意味で「戦中派」であり、「敗戦後」の「屈折」と「含羞」を共にしている。
東大全共闘の闘争宣言として有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」を迂遠に引用さえしているが、東大全共闘議長であった山本義隆が一介の予備校講師として後半生を生きた「孤立」の姿に、暴力団や宗教団体と闘う渦中で、自死したとされる伊丹十三を重ねているように思う。
ちなみに、その山本義隆が『磁力と重力の発見』を著し、第30回大佛次郎賞(2003)を受賞した際に、選考委員の一人であった養老孟司は、東大全共闘運動への「留保」から選評を拒否して話題になったことがある。内田は養老に私淑するような関係らしいので、内田とこの事件について何か話し合ったのか興味深いところだ。
この講演録を読んで、ひとつ思いつくことがあった。内田の方法論は、起きても不思議なことがなぜ起こらなかったか、あるいは、語られなかったのはなぜか、「無さ」について想像をや思考を巡らすことだ。本講演でも、なぜ包括的な伊丹十三論が書かれなかったかを入り口に、日本人の戦後精神に言及している。
そこで、思いついた。大谷翔平論は数々あれど、なぜか彼が毎回のコメントに繰り返す「勝利」について正面から考察したものに接したことがない。野球はゲームだから勝利を目指すのは当たり前だからか。たしかに、彼は日々の試合に勝ち、ワールドシリーズで優勝することを勝利としている。
大谷翔平が口にする勝利は、私たちにとってどんな意味があるのだろうか。あるいは、他人のTVゲームの勝敗のように、私たちにとっては何の関係や意味もないのだろうか。ならば、なぜ私たちは彼の活躍に熱狂するのだろうか。何を彼に仮託しているのだろうか。舞台がMLBというアメリカであることの影響は何だろうか。力道山への熱狂と似たものは見つからないだろうか。
内田樹がけっきょく村上春樹を着地点にしたように、私もまた大谷翔平が念頭を去らないのである。これはかなり奇異なことに違いない。
(止め)
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