25日夜、7時半からの官総理のTV会見「震災から2週間経ちました」は、残念ながら前回と同様に、無味無色無内容に終始しました。
何の意味があって、会見を開いたのか、国民側にわからなかっただけでなく、民主党側の意味も不明なものでした。つまり、菅内閣と民主党政権にとって、どのようなメリットがあったのか。それすら見えない無意味な会見でした。この危機と苦難を、菅内閣と民主党が、国民と共に乗り越えていくのだというアピールにすら、欠けるものでした。「2週間をひとつの区切りとして」という言葉がありましたが、区切りをつけるなら、区切る前と後に、明確な違いがなければなりません。なければ、役所や会社の会議のどうでもいい挨拶と選ぶところがない。
管さん、あなたはあれほど、官僚の書いた答弁は読まない、いや、官僚に答弁すら書かせない、と言っていたはずです。なのに、記者の質問に対して、机に目を落として答えていました。質疑応答にメモを見ながら答えるなら、質問も答えもあらかじめ用意された八百長に等しいが、まさか会見メモや応答メモも、官僚が書いているのではありますまいね。官僚の書いた文言を読むことは、あるいは官僚の言葉に習うことは、政治家から言葉を奪い、政治家と国民を切り離し、つまりは国民が言論を失うことに他なりません。それは政治主導の後退どころか、国民政治家として死に体を晒すことではないでしょうか。
この危機と苦難の時に、いたずらに菅内閣と民主党政権「叩き」に組みするつもりはありません。また、組みしてはならないと思っています。震災後、ただちに福島原発事故の視察に飛び、あるいは逃げ腰の東電に乗り込んで踏み止まらせた、あなたの行動力は評価されるべきものだと思っています。被災者に満腔の同情を寄せ、不安な国民を励まし、一日も早く東日本の復興に着手したいのなら、菅さん、まず政治家の言葉と行動を取り戻して下さい。政治家の言葉と行動では、まことに残念ながら、彼に先を越されています。どうか、がんばってください。
コタツ拝
石巻の避難所にルース駐日米大使夫妻らが激励訪問
http://blog.kajika.net/?eid=998512
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20110323-567-OYT1T00865.html?fr=rk
何の意味があって、会見を開いたのか、国民側にわからなかっただけでなく、民主党側の意味も不明なものでした。つまり、菅内閣と民主党政権にとって、どのようなメリットがあったのか。それすら見えない無意味な会見でした。この危機と苦難を、菅内閣と民主党が、国民と共に乗り越えていくのだというアピールにすら、欠けるものでした。「2週間をひとつの区切りとして」という言葉がありましたが、区切りをつけるなら、区切る前と後に、明確な違いがなければなりません。なければ、役所や会社の会議のどうでもいい挨拶と選ぶところがない。
管さん、あなたはあれほど、官僚の書いた答弁は読まない、いや、官僚に答弁すら書かせない、と言っていたはずです。なのに、記者の質問に対して、机に目を落として答えていました。質疑応答にメモを見ながら答えるなら、質問も答えもあらかじめ用意された八百長に等しいが、まさか会見メモや応答メモも、官僚が書いているのではありますまいね。官僚の書いた文言を読むことは、あるいは官僚の言葉に習うことは、政治家から言葉を奪い、政治家と国民を切り離し、つまりは国民が言論を失うことに他なりません。それは政治主導の後退どころか、国民政治家として死に体を晒すことではないでしょうか。
この危機と苦難の時に、いたずらに菅内閣と民主党政権「叩き」に組みするつもりはありません。また、組みしてはならないと思っています。震災後、ただちに福島原発事故の視察に飛び、あるいは逃げ腰の東電に乗り込んで踏み止まらせた、あなたの行動力は評価されるべきものだと思っています。被災者に満腔の同情を寄せ、不安な国民を励まし、一日も早く東日本の復興に着手したいのなら、菅さん、まず政治家の言葉と行動を取り戻して下さい。政治家の言葉と行動では、まことに残念ながら、彼に先を越されています。どうか、がんばってください。
コタツ拝
石巻の避難所にルース駐日米大使夫妻らが激励訪問
http://blog.kajika.net/?eid=998512
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