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歌は世につれ、世は歌につれ

2013-09-25 11:54:00 | 3・11大震災
子会社へ左遷出向された「半沢直樹」最終回の視聴率は、ドラマ史上歴代2位の42%だったそうな。最終週に入った「あまちゃん」は初回視聴率こそ23%だが、再放送にダイジェスト版、オンデマンド、録画視聴を合わせると驚異的な「国民ドラマ」になるらしい。

「あまちゃん」では、今朝、ようやく鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が「潮騒のメモリー」を歌った。すでに天野春子(小泉今日子)バージョンがヒットしているらしいが、こちらもサウンドトラックとしてリリースしてほしいものだ。

かつて批評的なメタ・アイドルだった小泉今日子を起用することで、視聴者の回顧趣味や裏話嗜好を満たしながらじつは遠ざけ、前代未聞の「アイドル論」ドラマとして、そのユニークな批評性を展開してきた。

一方、真正のアイドルだった薬師丸ひろ子を脇に温存し、クライマックスの北三陸復興イベントにおいて、海底からウニをつかんで急浮上するかのように、「本家アイドル」として鮮やかに再登場させた。

つまり、現在から過去をトレースしてきて、はじめて未来を、「ほんとうの復興」をかいま見せた。仮設舞台の上で、「ほんとうは歌える」鈴鹿ひろみに驚嘆する、舞台袖の「影武者」天野春子という象徴的な場面。

「じぇじぇじぇ!」という驚嘆から、「お構いねぐ」という冷静にキーワードも転じて、「あまちゃん」の「東日本大震災後の後」という同時代批評性が明らかになったわけだ。

「世は歌につれないが、歌は世につれるのである(@竹中労)」という同時代批評への反語を思い出させてくれる、もう一つの重要なドラマはまだ続いている。

残念ながら低視聴率にあえいでいることや、従来の幕末史と明治近代を反転させて「会津史観」を描いたという意味で、「非国民ドラマ」といえる「八重の桜」である。

ここでは、「会津史観」の「反時代性」をよくあらわす文書として、米沢藩士・雲井龍雄の「討薩檄」を引用するに止めたい。

薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、内は百姓の怨嗟を致し、外は万国の笑侮を取る。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

薩賊の兵、東下以来、過ぐる所の地、侵掠せざることなく、見る所の財、剽竊せることなく、或は人の鶏牛を攘(ぬす)み、或は人の婦女に淫し、発掘殺戮、残酷極まる。其の醜穢、狗鼠も其の余を食わず、猶且つ、靦然として官軍の名号を仮り、太政官の規則と称す。是れ、今上陛下をして桀紂の名を負はしむる也。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。


戊申戦争から150年近くを経てなお、「官軍」に抗した奥羽列藩同盟の地域に原発が集中していること。換言すれば、原発立地に適すほど「不毛の地」であり続けたことの「偶然」を思わずにはいられない。日本の近現代史に、「薩賊」は幾たびも姿形を変えては登場し、今日に至っても「其の罪、何ぞ問はざるを得んや」という「反時代」の嘆きは続いているように思える。

「八重の桜」を悔恨の近代、「半沢直樹」を懺悔の近過去、そして「あまちゃん」の現在に希望を見出そうとするならば、そこで歌われている、「世」につれて「世」につれない「歌」とは何か。

その歌とは、「三途の川のマ~メイド ♪」(日本を取り戻す! @安倍首相)を、「三代前からマ~メイド ♪」と替え歌する薬師丸ひろ子バージョン「潮騒のメモリー」にほかならない。NHKはよCD出せ! ついでに、マメりん(足立梨花)センターのアメ横女学院バージョンの「暦の上ではディッセンバー」も。

薬師丸ひろ子バージョン「潮騒のメモリー」

いずれ消されるだろうが、「同録」した貴重な映像です。つまり、演技の間で、生演奏に生歌が歌われ、「同時録音」している。薬師丸ひろ子ほか数人にしかできないことです。

(敬称略)
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