「千葉市に10兆ベクレル」というので仰天したが、時事通信社の誤報だったようだ。
「ヨウ素10兆ベクレル」未公表=世界版SPEEDI試算-文科省、安全委連携不足
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012040300430 (訂正後)
誤報
東京電力福島第1原発事故で、昨年3月15日、放射性物質の拡散予測データ 「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内でヨウ素の濃度が毎時10兆ベクレルという高い値が出ていたにもかかわらず、文部科学省と原子力安全委員会の間で十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった。
訂正後
東京電力福島第1原発事故で、昨年3月15日、放射性物質の拡散予測データ「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計した同原発からの放出量が毎時10兆ベクレルという高い値が出ていたにもかかわらず、文部科学省と原子力安全委員会の間で 十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった。
熊谷俊人(千葉市長)のツィート
http://twitter.com/#!/kumagai_chiba@peco_ex
要約すると、「千葉市が10兆ベクレルは誤りで、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計した同原発からの放出量が10兆ベクレルだった」ということです。訂正後もだいぶ変な記事ですが、千葉市民が心配する内容ではありません。
放射線関係のニュースは誤報であったり、後に原発事故と関係ないことが判明したことも含めて正確にツイートするジャーナリストと、そうでない方がはっきり分かれており、信頼できるジャーナリストを識別する意味では今後のためには良いのかもしれません。いくつか本を捨てました
「いくつか本を捨てました」というのが痛烈。問題は、ヨウ素の放出量ではなく、「文部科学省と原子力安全委員会の間で 十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった」のほうである。昨年の3月15日から現在まで、ずっと連携がじゅうぶんではなく、いまだに情報が公開されていない。
一年以上、誰も問題にせず、放置されたまま。そうした隠された「事実」を一般市民が知るわけもないのに、首都圏のスーパーでは関東近県の野菜は中国産並に敬遠され、昨日の春嵐の買い出しでも九州産から早々に売り切れている「事実」。メディアはそれを「風評被害」といい、市民はそれを「自己防衛」という。
まるで、生産者や流通業者と消費者が、放射能汚染と被曝をめぐって対立しているかのような図式だ。しかし、両者の隔たりとは、信ずべき筋からの信ずべき情報が跡絶えているために、拡がったものだ。必要な情報は周知されず、不必要な情報はあふれている。そうした事実上の情報途絶への「自己防衛」が「買い控え」を招いたのではないか。
信頼すべき情報がなければ、あとは個々人の「直感」に頼るしかない。私たちの「直感」は、私たちにこう告げている。とりあえず、関東近県の食品は買わない、万が一に備えて金は使わない、と。「買わない」「金を使わない」とどこかで思い決めた私たちを「消費者」と呼び、「消費行動」の枠組みで観測するのは、もはや不適切ではないか。
個人が、国民である前に、消費者であるような時代は、2011年3月11日を区切りとして、過ぎ去ったと思える。これからは、個人が個人として、国民になることを選択する時代でがくる。そこでは、「投票行動」もやはり問い直されるだろう。私たちの「投票行動」とは、没主体的な他力本願において、「消費行動」とほとんど選ぶところがなかったからだ。
ならば、やはりここでも、私たちの「直感」にしたがい、「投票行動」においても、「買い控え」を心掛けるべきではないか。先物買いなど論外だろう。もっとも、「消費行動」の買うという行動とは逆に、「投票行動」では、私たちは私たちの未来を実際には売渡しているているに等しい。
どのような選好も明らかにせず決断も下していないのに、投票によってあたかも何かを買っているかのような錯覚を受け入れている。現実の政治と政治家が、私たちの政治的決定と等価であることに、それほど失望せずにすむのは、実際には私たちは何ものをも買ってはおらず、言われるがまま、唯々諾々と売り渡してきたからにほかならない。
いいじゃないの幸せならば 佐良直美
「ヨウ素10兆ベクレル」未公表=世界版SPEEDI試算-文科省、安全委連携不足
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012040300430 (訂正後)
誤報
東京電力福島第1原発事故で、昨年3月15日、放射性物質の拡散予測データ 「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内でヨウ素の濃度が毎時10兆ベクレルという高い値が出ていたにもかかわらず、文部科学省と原子力安全委員会の間で十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった。
訂正後
東京電力福島第1原発事故で、昨年3月15日、放射性物質の拡散予測データ「世界版SPEEDI」の試算結果で、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計した同原発からの放出量が毎時10兆ベクレルという高い値が出ていたにもかかわらず、文部科学省と原子力安全委員会の間で 十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった。
熊谷俊人(千葉市長)のツィート
http://twitter.com/#!/kumagai_chiba@peco_ex
要約すると、「千葉市が10兆ベクレルは誤りで、千葉市内で計測されたヨウ素を基に推計した同原発からの放出量が10兆ベクレルだった」ということです。訂正後もだいぶ変な記事ですが、千葉市民が心配する内容ではありません。
放射線関係のニュースは誤報であったり、後に原発事故と関係ないことが判明したことも含めて正確にツイートするジャーナリストと、そうでない方がはっきり分かれており、信頼できるジャーナリストを識別する意味では今後のためには良いのかもしれません。いくつか本を捨てました
「いくつか本を捨てました」というのが痛烈。問題は、ヨウ素の放出量ではなく、「文部科学省と原子力安全委員会の間で 十分な連携が取られず、現在も公表されていないことが3日、分かった」のほうである。昨年の3月15日から現在まで、ずっと連携がじゅうぶんではなく、いまだに情報が公開されていない。
一年以上、誰も問題にせず、放置されたまま。そうした隠された「事実」を一般市民が知るわけもないのに、首都圏のスーパーでは関東近県の野菜は中国産並に敬遠され、昨日の春嵐の買い出しでも九州産から早々に売り切れている「事実」。メディアはそれを「風評被害」といい、市民はそれを「自己防衛」という。
まるで、生産者や流通業者と消費者が、放射能汚染と被曝をめぐって対立しているかのような図式だ。しかし、両者の隔たりとは、信ずべき筋からの信ずべき情報が跡絶えているために、拡がったものだ。必要な情報は周知されず、不必要な情報はあふれている。そうした事実上の情報途絶への「自己防衛」が「買い控え」を招いたのではないか。
信頼すべき情報がなければ、あとは個々人の「直感」に頼るしかない。私たちの「直感」は、私たちにこう告げている。とりあえず、関東近県の食品は買わない、万が一に備えて金は使わない、と。「買わない」「金を使わない」とどこかで思い決めた私たちを「消費者」と呼び、「消費行動」の枠組みで観測するのは、もはや不適切ではないか。
個人が、国民である前に、消費者であるような時代は、2011年3月11日を区切りとして、過ぎ去ったと思える。これからは、個人が個人として、国民になることを選択する時代でがくる。そこでは、「投票行動」もやはり問い直されるだろう。私たちの「投票行動」とは、没主体的な他力本願において、「消費行動」とほとんど選ぶところがなかったからだ。
ならば、やはりここでも、私たちの「直感」にしたがい、「投票行動」においても、「買い控え」を心掛けるべきではないか。先物買いなど論外だろう。もっとも、「消費行動」の買うという行動とは逆に、「投票行動」では、私たちは私たちの未来を実際には売渡しているているに等しい。
どのような選好も明らかにせず決断も下していないのに、投票によってあたかも何かを買っているかのような錯覚を受け入れている。現実の政治と政治家が、私たちの政治的決定と等価であることに、それほど失望せずにすむのは、実際には私たちは何ものをも買ってはおらず、言われるがまま、唯々諾々と売り渡してきたからにほかならない。
いいじゃないの幸せならば 佐良直美
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