大谷翔平とその通訳の水原一平とは10歳の年齢差がある。当然、野球以外のアメリカの社会常識や生活知識、周辺の人々とのいろいろな連絡や交渉事などについて、高校大学をアメリカで過ごした年長者の水原は、大谷から公私ともに頼りにされる存在だろう。
大谷が英語でスピーチする際は助言し、言い回しなどチェックしているだろうが、日本語でのスピーチや談話なども水原氏は相談に預かっているのではないかと思っていた。大谷はスーパースターとはいえ、高卒の野球しか知らない28歳である。
WBCの予選ラウンドの後、大谷はじつに行き届いたコメントを出した。「韓国や中国などアジアの国々でも、もっと多くの人々が野球を知って楽しんでほしい」とMLBがめざす世界視野の未来志向をおさえた内容はメディアを感心させ、一方、敗退したチームへの気遣いも忘れず、まっさきに名を挙げられた韓国の野球ファンを感激させたといわれている。
あらかじめ、スピーチ原稿を用意する余裕など大谷にはなかろうし、スピーチライターとまではいかずとも、水原の反応や助言を大谷は参考にしたはずとほとんど信じていた。
しかし、大谷のスピーチに水原の介入などじつはほとんどなかったのではないかと思わせる内輪話を知った。いまや有名になった、あの「憧れるのはやめましょう」というWBC決勝前の大谷「声出し」のことだ。
自らも同じ思いをした経験をしたからこそ、MLB頂点のメジャーリーガーたちに、憧れて受け身になっては勝つことはできない、臆することなく立ち向かおうという内容だった。大谷自身が優勝後のインタビューでもそのように説明し、マスコミも同様に受け止めていた。
ただ、大谷の「声出し」の前にちょっとした出来事があった。
その日、決勝の舞台となるローンデポ・パーク入りした日本代表の選手から、水原はひとつの頼みごとをされた。マイク・トラウトのサインボールが欲しいというものだった。気軽に引き受けた水原は、アメリカ代表のロッカールームを訪ね、気のいいトラウトは「それなら」と日本チーム全員にサインしたボールを渡した。
水原が持ち帰ったサインボールを手に、日本代表選手たちは喜び浮かれたそうだ。そんなロッカールームの空気を引き締めたのが、大谷の「憧れはやめましょう」だったというのだ。
それを聴いていた代表選手の一人宮城大弥投手は、そう大谷スピーチの印象を語っている。「でも、みなが憧れていたのは大谷さんですよ」「だから、そこじゃないですよ」と思ったと明かしている。彼らにとって、大谷が名前を挙げたゴールドシュミットやムーキー・ベッツ、マイク・トラウトらより、大谷翔平こそ、もっとも意識する存在だったというのだ。
だとすれば、トラウトのサインボールに浮かれたというほどのことはなく、メジャーリーガーへの「憧れ」から「受け身にならず」という大谷の話にもピンとこなかった、つまり大谷の「声出し」はまるで的外れだったわけだ。にもかかわらず、聴いていた日本代表選手たちは奮起した。
アメリカ代表の面々よりも、いま眼前で落ち着き払った笑みを浮かべて諄々と語りかけてくる大谷翔平に、同じプロ野球選手として、「負けてなるものか」という闘志をあらためてかき立てられた。なるほど、そんな風に想像するほうがずっと納得できる。
あるいは、穿ってみれば、そこまで読んだ上で、「憧れるのはやめましょう」と大谷は口を開いたのかもしれない。大谷は投打の両方で毎試合、毎球ごとに打者や投手として読み合い、駆け引きして戦っている。そして、勝つためにはホームランを捨ててバントするのも厭わない、なりふり構わぬ「勝負師」としての作戦だったとしたら、これまた興趣は尽きない。
いや、大谷にそんな「腹芸」は似合わない。水原一平は独断でトラウトのサインボールをねだりに行ったのではなく、事前に大谷に相談し許可を得ていたのかもしれない。そして、「ああ、いいんじゃないですか」と大谷はさして気にも留めなかった。
大谷はもちろん、そんな些事以前から、試合前に「声出し」をするつもりだった。当初は、ただの元気づけくらいに思っていたが、トラウトのサインボールに浮かれている様子の代表選手たちを眺めた後、「憧れるのやめましょう」を思い立った。
(違うよ。俺たちが憧れて、受け身になっていたとすれば、ほかならぬあなたのせいだよ。憧れを捨てて立ち向かって勝ちにいかなくてはならないのは、まず大谷翔平だ。それも今日一日だけではなく、これからずっとだ!)
自分たちが大谷を強く意識していることに、大谷自身はまったく気づいていない。つまり、眼中にないのだ。「憧れ」という「浮かれた」言葉が使われたことで、選手たちは否応なくそれに気づかされた。闘志に火がついた。
そんな風に考えてみると、自分の「声出し」に手ごたえを感じて満足している大谷の笑みと選手たちのどこか不敵な笑みのわけがわかる。そこに、選手たちの奮起のきっかけをつくるとも知らず、ただ善意から何十個ものサインボールをせっせと書いているトラウトの武骨なうつむき顔もオーバーラップしてくる。
MLBを最大限にリスペクトした大谷スピーチは、日本だけでなくアメリカでも大きく報道され、ベースボールファンのみならず、「憧れられた」のMLB選手やそのレジェンドたちからも、感動と称賛の声が相次いだ。
それぞれが「同床異夢」ながら、脚本は「大谷劇場」に集約されたのはご存じの通り。
大谷翔平のほんとうの凄味は、その優れた身体能力や投打の技術以上に、メンタルの強さだというのは、メジャーリーガーたちの多くから指摘されている。
それはきわめてストイックな鍛錬や節制はいうまでもなく、不調や疲労から回復する受け身のタフさを指すようだが、「憧れるのはやめましょう」をめぐるエピソードは大谷翔平の勝ちにいく能動的なタフさをうかがわせるものに思える。
そのタフネスは、練習や試合に対するような、強い意志や綿密な計画や計算に裏づけられるものではなく、もしかすると能天気に見えるほど、天然自然なものかもしれない。そんな先人を私たちは一人知っている。背番号3番のあの人である。
(止め)
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