先月末、古い仲間たちが20人ほどが飯田橋の居酒屋に集まった。一足先に逝ったN氏の七回忌、U氏の三回忌が名目だった。出会ったときは私が一番若く18歳だったので、いまだにガキ扱いされているのだが、最年長のN氏が6歳上、たいてい4歳以上も離れている先輩たちばかり。当時もいまも宴会となると放歌高吟になるのが恒例で、七回忌のN氏の十八番のひとつが、蒙古放浪歌だった。
蒙古放浪歌
N氏はほかにも馬賊系の歌をよく歌い、当時、キャロルの「君はファンキーモンキーベイベー」を口ずさんでいた私としては、なんと古色蒼然なと辟易していた。でも、この「惜別の歌」は好きだった。
惜別の歌 小林旭
最近はあまり聴かないが、右翼の街宣車のテーマ曲なので聞きおぼえがあるはずの「昭和維新の歌」もよく歌われていた。「散るや万朶の桜花あ~」と唱和して盛り上がるのだ。
昭和維新の歌 映画 『2・26』 より
放歌高吟とは私たちにとって慣用句ではなく、実際、私たちの宴会ではかならず詩吟を披露するH氏という人がいるのである。それも、桜田門外の変でときの大老・井伊直弼を討った水戸浪士の一人、黒沢忠三郎の「絶命詞」が定番。
狂と呼び
賊と呼ぶも
他の評に任す
幾歳の妖雲
一旦に晴る
正に是れ
櫻花の好時節
櫻田門外
血
櫻の如し
もちろん、こんな歌ばかり歌われたわけではなく、C氏の「オーソレミオ」や先に紹介したO氏の「サントワマミー」などの十八番もあった。しかし、キワモノはこちらのほうで、ご紹介したような幕末まで遡る戦前の歌が好まれた。前出のH氏などは放っておけば、次々に軍歌を歌い出したものだ。
そして、間違いなく右翼的心情を抱いていた先輩たちは、かつては新左翼の党派に属していたか、全共闘活動家の一員だった。「昭和維新の歌」と「ワルシャワ労働歌」が同居して矛盾しないこの人たちが、とくに変わっていたというわけではない。当時は、そういうものだったのである。
なんとアナクロ(時代錯誤)と呆れる向きのために、ひとつ補足しておくと、愛唱歌の馬賊歌どおりの風貌でもあった亡きN氏は、後にハードロックのAC/DCを好んで聴いていた。先輩や兄貴分とはいつまでも謎めいているものなのだ。
(敬称略)
蒙古放浪歌
N氏はほかにも馬賊系の歌をよく歌い、当時、キャロルの「君はファンキーモンキーベイベー」を口ずさんでいた私としては、なんと古色蒼然なと辟易していた。でも、この「惜別の歌」は好きだった。
惜別の歌 小林旭
最近はあまり聴かないが、右翼の街宣車のテーマ曲なので聞きおぼえがあるはずの「昭和維新の歌」もよく歌われていた。「散るや万朶の桜花あ~」と唱和して盛り上がるのだ。
昭和維新の歌 映画 『2・26』 より
放歌高吟とは私たちにとって慣用句ではなく、実際、私たちの宴会ではかならず詩吟を披露するH氏という人がいるのである。それも、桜田門外の変でときの大老・井伊直弼を討った水戸浪士の一人、黒沢忠三郎の「絶命詞」が定番。
狂と呼び
賊と呼ぶも
他の評に任す
幾歳の妖雲
一旦に晴る
正に是れ
櫻花の好時節
櫻田門外
血
櫻の如し
もちろん、こんな歌ばかり歌われたわけではなく、C氏の「オーソレミオ」や先に紹介したO氏の「サントワマミー」などの十八番もあった。しかし、キワモノはこちらのほうで、ご紹介したような幕末まで遡る戦前の歌が好まれた。前出のH氏などは放っておけば、次々に軍歌を歌い出したものだ。
そして、間違いなく右翼的心情を抱いていた先輩たちは、かつては新左翼の党派に属していたか、全共闘活動家の一員だった。「昭和維新の歌」と「ワルシャワ労働歌」が同居して矛盾しないこの人たちが、とくに変わっていたというわけではない。当時は、そういうものだったのである。
なんとアナクロ(時代錯誤)と呆れる向きのために、ひとつ補足しておくと、愛唱歌の馬賊歌どおりの風貌でもあった亡きN氏は、後にハードロックのAC/DCを好んで聴いていた。先輩や兄貴分とはいつまでも謎めいているものなのだ。
(敬称略)
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