昨日、3匹の仔猫がやってきた。よりによって、上の階の猫嫌いのベランダに産み落とされていたそうだ。父母猫は見知っている。隣の公園をもぶれつきながら、歩いているのをよく見かけた。ようやく眼が開くかどうかだから、生後10日くらいか。そのうちの一匹が夕方死んだ。雨に濡れていたせいだろうか。あっという間だった。駐輪場の隅の土に埋めた。名前はない。白が多く赤茶の斑点があった。たぶん、雄だろう。
「朝には紅顔ありて」は、蓮如上人の言葉だそうだ。通俗なものだ。「朝には桃色の鼻と黒濡れた瞳ありて」だった。絶息するまで、膝に置いていた。ホットカーペットを強にしているので、汗をかいた。残った2匹のうち、三毛の雌は貰い手が決まってる。赤白はこのまま育てるしかないだろう。
今朝、新聞をめくると、頼近美津子と太田龍が亡くなっていた。
頼近美津子は、結婚して子どもを得たときに、「国際人に育てるために、英語が学べるアメリカンスクールに入れます」と談話したそうで、いまだに、あちらこちらの教育関係や日本語見直し本で、この発言が引用されるのは気の毒だった。
頼近キャスリーン美津子という名の通り、父親が日系米人というルーツなのだから、彼女にとっては自然な教育観だったのだろう。これがたとえ、福島の農家の息子と亀戸の水道屋の娘が結婚して、「国際人、英語、アメリカンスクール」と子どもの進路を自慢したとしても、従来の「国立大付属か有名私立小へ入れてエリートに」とほぼ同質なのだから、批難できる人は少ないはずだ。
もちろん、世間の人たちもそんなことは承知の上で、「浅薄なセレブ」と嫉妬と自嘲をまじえて笑ったわけだが、そうした批評的な受容のいっさいを無視して、たとえば、最近話題の水村美苗の
まず、頼近美津子はこの発言時、アナウンサーを退職して専業主婦となり公人ではなかった。個人として、自分の子どもの将来について希望を語ったに過ぎないのだから、誰も咎め立てすることはできないはず。また、戦後の日本人は、アメリカとアメリカ人へ憧れる欲望を広く共有してきたし、少なくとも、ついこの間まで、「アメリカ人のような日本人になりたい」という立身出世がオーソライズされていたことは、羞恥の事実だろう。
つまり、日本語VS英語、あるいは国際語とは何か、という「言葉」をめぐる問題とは、別であることは自明なのだ。それを知っていながら、頼近の「国際人、英語、アメリカンスクール」発言を、日本の英語化という文脈で取りあげるなら、牽強付会という以上に、そうまでして事例を探すほど台所事情が苦しいのかと思えてしまう。
知らずに取りあげたなら、世間のたいていの人は、フジサンケイグループの総帥に嫁いだ「玉の輿」に舞い上がったのだろう、くらいに生温かく見守っていたのだから、ただの世間知らずということになる。あるいはこうした、ちょっと見には高邁な「言葉」論議に、下世話な話題を引くことで、ただ読みやすくしたいと考えたのかもしれない。だとすれば、よけいなお世話である。
もちろん、「国際人、英語、アメリカンスクール」は、露骨に覇権主義的である。しかし、「英語よりまず日本語を」とか、「英語グローバリズムに反対」なども、じゅうぶんに特権的な言説であり、権力的になり得ることを弁えなければ、とてもバランスのとれた論議とはいえない。少なくとも、我々には、台湾や韓国など旧植民地において、もっと遡れば沖縄やアイヌに同化政策の下で、日本語を強制してきた歴史的事実がある。
そうした過去を清算して、とまではいわないが、眼中にないかのごとく、被害者や弱者のような、イノセントな日本語を想定してもらっては困るのだ。もし、そうした反動が許されるなら、そのときこそ、「日本語が亡びるとき」だろう。あるいは、日本語を見直すことによって、つまりあり得べき日本の時代や場所を固定することによって、何か日本人としての帰属性を確認したいということかもしれない。「日本人のような日本人になりたい」という欲望の表現として、「日本語のような日本語でありたい」なのかもしれない。
「日本人のような日本人になりたい」と「アメリカ人のような日本人になりたい」という欲望は、等しく自家撞着であり、見えない天井に閉ざされている。日本語という言葉は、天井も床もないからこそ、成り立ってきたはずなのだ。タミル語起源説、漢字の輸入、オランダ語の習得、欧米書の夥しい翻訳、カタカナ語の頻出、最近の携帯メールの絵文字まで、めまぐるしい変化こそ日本語だろう。日本語が変化したのではなく、変化してきた言葉が、結果的に今日、日本語と呼ばれているのではないか。
「日本人が培ってきた豊かな日本語」などという、安い手で上がってはいけない。「豊かな日本語が培ってきた日本人」という、さらに安い手で上がってもいけない。
追悼画面に出てくる近年の頼近美津子の衣装は、<a href="http://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/gakubukai/tokiwakai/"><span style="color:blue">常磐会ファッションに似て、ひどく野暮ったい。高い手で上がろうとするから野暮になる。下りてしまえばよかったのに、と思った。
太田龍はたとえ死んでも、「立派な人だった」とは誰もいわないだろうな。それはそれで、たいしたものかもしれない。
はじめてのウンチを三毛がした。ウンチが出るまでは安心できない。よかった。
(敬称略)
「朝には紅顔ありて」は、蓮如上人の言葉だそうだ。通俗なものだ。「朝には桃色の鼻と黒濡れた瞳ありて」だった。絶息するまで、膝に置いていた。ホットカーペットを強にしているので、汗をかいた。残った2匹のうち、三毛の雌は貰い手が決まってる。赤白はこのまま育てるしかないだろう。
今朝、新聞をめくると、頼近美津子と太田龍が亡くなっていた。
頼近美津子は、結婚して子どもを得たときに、「国際人に育てるために、英語が学べるアメリカンスクールに入れます」と談話したそうで、いまだに、あちらこちらの教育関係や日本語見直し本で、この発言が引用されるのは気の毒だった。
頼近キャスリーン美津子という名の通り、父親が日系米人というルーツなのだから、彼女にとっては自然な教育観だったのだろう。これがたとえ、福島の農家の息子と亀戸の水道屋の娘が結婚して、「国際人、英語、アメリカンスクール」と子どもの進路を自慢したとしても、従来の「国立大付属か有名私立小へ入れてエリートに」とほぼ同質なのだから、批難できる人は少ないはずだ。
もちろん、世間の人たちもそんなことは承知の上で、「浅薄なセレブ」と嫉妬と自嘲をまじえて笑ったわけだが、そうした批評的な受容のいっさいを無視して、たとえば、最近話題の水村美苗の
まず、頼近美津子はこの発言時、アナウンサーを退職して専業主婦となり公人ではなかった。個人として、自分の子どもの将来について希望を語ったに過ぎないのだから、誰も咎め立てすることはできないはず。また、戦後の日本人は、アメリカとアメリカ人へ憧れる欲望を広く共有してきたし、少なくとも、ついこの間まで、「アメリカ人のような日本人になりたい」という立身出世がオーソライズされていたことは、羞恥の事実だろう。
つまり、日本語VS英語、あるいは国際語とは何か、という「言葉」をめぐる問題とは、別であることは自明なのだ。それを知っていながら、頼近の「国際人、英語、アメリカンスクール」発言を、日本の英語化という文脈で取りあげるなら、牽強付会という以上に、そうまでして事例を探すほど台所事情が苦しいのかと思えてしまう。
知らずに取りあげたなら、世間のたいていの人は、フジサンケイグループの総帥に嫁いだ「玉の輿」に舞い上がったのだろう、くらいに生温かく見守っていたのだから、ただの世間知らずということになる。あるいはこうした、ちょっと見には高邁な「言葉」論議に、下世話な話題を引くことで、ただ読みやすくしたいと考えたのかもしれない。だとすれば、よけいなお世話である。
もちろん、「国際人、英語、アメリカンスクール」は、露骨に覇権主義的である。しかし、「英語よりまず日本語を」とか、「英語グローバリズムに反対」なども、じゅうぶんに特権的な言説であり、権力的になり得ることを弁えなければ、とてもバランスのとれた論議とはいえない。少なくとも、我々には、台湾や韓国など旧植民地において、もっと遡れば沖縄やアイヌに同化政策の下で、日本語を強制してきた歴史的事実がある。
そうした過去を清算して、とまではいわないが、眼中にないかのごとく、被害者や弱者のような、イノセントな日本語を想定してもらっては困るのだ。もし、そうした反動が許されるなら、そのときこそ、「日本語が亡びるとき」だろう。あるいは、日本語を見直すことによって、つまりあり得べき日本の時代や場所を固定することによって、何か日本人としての帰属性を確認したいということかもしれない。「日本人のような日本人になりたい」という欲望の表現として、「日本語のような日本語でありたい」なのかもしれない。
「日本人のような日本人になりたい」と「アメリカ人のような日本人になりたい」という欲望は、等しく自家撞着であり、見えない天井に閉ざされている。日本語という言葉は、天井も床もないからこそ、成り立ってきたはずなのだ。タミル語起源説、漢字の輸入、オランダ語の習得、欧米書の夥しい翻訳、カタカナ語の頻出、最近の携帯メールの絵文字まで、めまぐるしい変化こそ日本語だろう。日本語が変化したのではなく、変化してきた言葉が、結果的に今日、日本語と呼ばれているのではないか。
「日本人が培ってきた豊かな日本語」などという、安い手で上がってはいけない。「豊かな日本語が培ってきた日本人」という、さらに安い手で上がってもいけない。
追悼画面に出てくる近年の頼近美津子の衣装は、<a href="http://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/gakubukai/tokiwakai/"><span style="color:blue">常磐会ファッションに似て、ひどく野暮ったい。高い手で上がろうとするから野暮になる。下りてしまえばよかったのに、と思った。
太田龍はたとえ死んでも、「立派な人だった」とは誰もいわないだろうな。それはそれで、たいしたものかもしれない。
はじめてのウンチを三毛がした。ウンチが出るまでは安心できない。よかった。
(敬称略)