コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今夜はナイジェル・ケネディ

2013-09-15 02:25:00 | 音楽
ステファン・グラッペリとナイジェル・ケネディのどちらにしようか迷ったけれど、グラッペリはいずれ。とっちゃん坊やがひょこひょこ出てきて、演奏も変わっているけれど、ナイジェル・ケネディ、いいでしょう?

フジコ・ヘミングもそうだけど、音楽家の私服って、辻音楽士の昔に戻ったようなボヘミアン風になるのがおもしろい。日本もね、変なマオスーツ着るのはやめて、総髪に羽織袴で、指揮者なら扇子を振ってはどうか。クライマックスでは扇子を広げて、楽団員を煽るわけ。

ピアノやバイオリンなどを演奏する女性の場合も、振り袖やお召しのままでは機能性に欠けるので、弓道や薙刀のようにたすき掛けの着物に袴なら。いずれも威風堂々、勇気凜々のビジュアルになること請け合い。

Nigel Kennedy - Nigel Kennedy Vivaldi The 4 Seasons full


Nigel Kennedy Czardas


Nigel Kennedy - Bach - Inventions on Violin and Cello


Tommy Emmanuel & Nigel Kennedy - Summertime


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賢いからって、それがどうした

2013-09-13 06:22:00 | ノンジャンル
駐輪場を通りかかったら、逃げ遅れたのと目が合った。目が合えばしかたがない、何か云わねばならない。「何やってんだ、おまえっ! 」と少し大きな声を出した。駐輪場の低い屋根と立ち止まった私に阻まれて、ジタバタしている。まだ、子どものようだ。貧乏くさい真っ黒な顔に埋まった、真っ黒い鈍くさい目がオドオドしている。

「だ、だって」とドモる。「お、おばちゃんが」とドモる。目をグルグル回して、なんとか逃げ道を探そうとしている。「い、いいっていったもん」「た、食べてもいいって、お腹すいたら」と半泣きのアワワ。同情を引こうとしてやがる。「だからって、こんなに散らかしやがってっ」と散乱した新聞紙や皿に舌打ちした瞬間、黒いガキは身を低くして私の脇をかすめ逃げていった。周囲の屋根で待っていた仲間たちと一鳴きして、隣の公園の方に飛んでいった。片目のプクちゃんがそれを見上げていた。

「地域猫の面倒を見るのは近隣住民の義務」として、プクちゃんたち野良猫のために、ウチのが駐輪場で猫缶やカリカリをやっていたら、近くの林のカラスたちも食べるようになった。「プクちゃんは小食だから」と是認しているようだが、「地域ガラス」が駐輪場に集まるのには、「カアカアうるさい」「群がって怖い」「糞で汚れる」と駐輪場を利用する、この集合住宅住民から苦情が出ている。おかげで白黒の糞をタワシやデッキブラシでこすり洗うのは、私の仕事になった。

犬より猫よりカラスは頭がよいという研究結果があるらしい。イルカはじつはそれほど頭がよくないらしい。すると、カラスがいちばんになるわけだが、誰もカラスを保護観察しようとする者はいない。いくら頭がよくたって、悪さと悪戯ばかりしてるもんな。

実は「イルカは凶暴、頭は良くない」研究者報告に保護論者騒然―中国メディア
http://news.livedoor.com/article/detail/8056746/

(敬称略)
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続報 1

2013-09-10 10:14:00 | ノンジャンル
ルムンバ大学留学ではなくコムソモールへ派遣

ネットに駆逐される情報誌 で「現代産業情報」の故石原俊介氏について書きました。先日、週刊ポストを立ち読みしていたら「黒幕」(伊藤博敏)と題する石原俊介評伝が連載されていました。

これを読むと、石原氏が若き日、「ルムンバ大学に留学したと聞いた」と私は書きましたが、ルムンバ大学ではなく、コムソモールに派遣されたが正しいようです。

中卒工員から19歳にして、日本共産党からソ連へ派遣されるほど、将来を嘱望される民青の労組活動家だったそうですから、思想堅固なだけでなく、実践活動にも優れていたようです。にもかかわらず、帰国後は党を離れ、「情報屋」となる30歳まで、およそ10年、謎の空白が続くようです。

第3回しか読んでいませんが、「情報屋」の日本経済裏面史としてまとめるのか、石原俊介とは何者かという人間ルポになるのか。両方にまたがるにしろ、石原氏の「弁証法」の典拠がどこにあったのか、ネタ元は何だったのか、それがいちばんの謎かもしれません。

謎の標識は書き換えられていた

関越道下り車線の東松山付近に見かけた、「謎」の標識「東松山・テヘラン・ラスベガス」とは? 先日、走行したら、標識に「北緯36°」が書き加えられていました。批判的に書いたのは、なかば冗談でしたから、「謎」がなくなってちょっと残念な気がします。

ためしに友人オニールに、「東松山・テヘラン・ラスベガス、なあ~んだ?」と質問したところ、「緯度か?」とたちどころに正答。緯度や経度へ走るような海外の辺境ツーリングもするオートバイ乗りだからかもしれないが、「いや、そーゆー、緯度が同じって、町おこしの宣伝なのか、けっこうどこでもあるよ」とのこと。

腹立たしいほどわからなかったのは、私くらいだったのかもしれない。当ブログを読んでのことではないだろうが、書き換えなくてもよかったのに、東松山市。

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をんなの助けなくして立ちゆかぬくに

2013-09-08 18:27:00 | スポーツ
そんな簡単な話でもないだろうが、決め手は高円宮妃久子さまと滝川クリステルだったろうな。まずフランス語を用いたこと。かつて外交公用語としたヨーロッパの委員がぐっときた。くわえて高円宮妃の気品に参った。皇室は王族や貴族とはちょっと雰囲気が違うからな。「ヒゲの殿下」三笠宮寛仁親王に代わって、引っ張りだこになるだろう。翻訳はあるのかな。

高円宮妃久子さま IOC総会で復興支援に感謝の言葉


滝川クリステルさんのプレゼンテーション 


IOCのおっさんたちも、「オ・モ・テ・ナ・シ」には鼻下長だったに違いない。ただし、お布施もらうときの坊主以外は誰もしない拝みお辞儀を、日本生まれ育ちの日本人滝川雅美さんにさせる逆オリエンタリズムはいただけなかったが。

アベノミクス「第3の矢」は、やっぱり東京五輪招致だったようだな。とにかくこれでしばらくは景気は上向くだろう。これを契機に、都知事や首相、次官と閣僚の半分も次は女性で行こうや。それこそ目に見える政治改革であり、構造改革に結びつくだろうさ。

(敬称略)
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珍しいものを見た

2013-09-07 15:17:00 | レンタルDVD映画
町工場のオヤジが引退した。72歳。ふつうは家族や社員くらいしか知ることのない、いや周囲の人々ですら、これほどまとめてオヤジの口から引退の弁を聴く機会はなかっただろう。私は町工場が集積した大田区蒲田で小学生時代を過ごしたので、町工場と町工場のオヤジや工員たちは昔なじみである。町工場のオヤジは、たいていこんな人だった。

かあちゃんの弁当を持って家を出て、日がな一日、暗い工場の蛍光灯の下で仕事をして、土日も休まない。新聞は読みラジオは聴くけれど、暇がないから映画やTVドラマは観たことがなく、むずかしい工作やちょっとした工夫が巧くいったときだけが楽しみ。そんな町工場の職人的なオヤジの地味な引退の挨拶が、朝日新聞の3面のすべてを占めて報じられ、世界を駆け巡った。

宮崎駿監督「公式引退の辞」全文
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/06/news063.html

宮崎監督引退会見ライブ(1~7)「今回は本気です」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130906/ent13090614240011-n1.htm



「公式引退の辞」には参った。誰が読んでもわかる文章である。だが、めったに読める文章ではない。Karaさんからレーガン大統領が「グレート・コミュニケーター」と呼ばれていたと教えられたのを思い出した。たぶん、(レーガン大統領にはこれといった知性や教養はないだろう)(がしかし)という逆接を前提に、彼は国民大多数の心に言葉を届ける才能と技術に優れていたと私は理解した。宮崎駿の場合、レーガン大統領とはその前提が違うはずだ。たぶん、(宮崎駿の知性と教養を疑う人はいないだろう)(にもかかわらず)という逆説を前提に、彼は世界の少年少女だけでなく、大人たちの心にも「勇気と優しさ」のイメージを届ける才能と技術に優れていたと。

私自身は、宮崎駿やジブリファンではない。「風の谷のナウシカ」と「となりのトトロ」しかみていないから、観客ですらない。しかし、「風の谷のナウシカ」には心底びっくりした。作品にではなく、Kにだった。アニメ嫌いの私をこの映画に強引に誘ったのは、一回り年下のKという男だった。Kは、食い詰めて私の所属する会社の事務所に寝泊まりしていたのだが、自衛官上がりで街宣右翼、ときどきヤクザの下働きをしている殺伐と物騒側の人間だった。知性や教養はもちろん、情操もきわめて乏しいと思えた坊主頭に悪相のKが、「風の谷のナウシカ」のクライマックスで人目も憚らず「おうおう」と泣き出したのだから、とても映画どころではなかった。

宮崎駿の「風の谷のナウシカ」によって、私は60年代生まれ以降が根深いアニメ世代であることを知り、その当時はそんな言葉など知らなかったが、宮崎駿が「グレート・コミュニケーター」であることを知ったのだと思う。

以下は、引退会見の宮崎の言葉から拾った。

だから(創作を)続けられたらいいと思いますが、今までの仕事の延長線上にはない。僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わった。今後、やろうと思っても、それは年寄りの迷い言だと

僕は児童文学の多くの作品に影響をうけてこの世界に入った。子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えることが、仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません

それから僕は、文化人になりたくないんです。僕は町工場のおやじ。それを貫きたいと思っています。文化人ではありません

『風立ちぬ』の構想は、震災や原発事故によっては影響されていません。はじめからあったものです。時代に追いつかれて、追い抜かれたという感じを映画を作りながら感じました

鈴木:僕が宮崎作品に関わったのは『ナウシカ』から。そこから約30年間、ずっと走り続けてきて、過去の作品を振り返ったことはなかった。それが仕事を現役で続けるということだと思っていた。どういうスタイルで映画を作るのか、なるだけそういうことは封じる。作品が世間にどういう影響を与えたのか、考えないようにしていました

宮崎:まったく僕も考えていませんでした。採算分岐点(損益分岐点)にたどり着いたらよかった、と。それで終わりです

あがってくるカットを自分でいじくっていく課程で、映画への自分の理解が深まっていくことも事実。あまり生産性には寄与しない方式でしたけれども…。とぼとぼとスタジオにやってくる日々。50年、そういう仕事でした

監督になってよかったと思うことは一度もない。でも、アニメーターになってよかったと思うことはある。うまく風が描けたとか、水の処理がうまくいった、光の表現がうまくいったとか…そういうことで2、3日、短くても2、3時間は幸せになれる

僕は、監督や演出をやろうという人間じゃなかった。僕は監督をやっている間も、アニメーターとしてやってきた

そこから長い下降期に入った。バブル崩壊とジブリのイメージは重なっているんです。その後、『もののけ姫』などずるずる作ったりしてきました

僕は18の時から修行を始めたが、監督になる前「アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだ。風や人の動きや表情やまなざしや体の筋肉の中に世界の秘密がある。そう思える仕事だ」と分かった。そのとたん、自分の仕事がやるに値する仕事だと思った

自分のメッセージを込めて映画は作れない。自分の意識で(作品は)捕まえられない。最後に未完で終われたら、こんなに楽なことはないんです。僕は叫んでおりません

実際、机に向かえるのは1日7時間が限度。打ち合わせだとか、そういうことは仕事ではないんです。机に向かってこそ仕事

長い間ありがとうございました。(会見について)2度とこういうことはないと思います

(敬称略)


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