Zooey's Diary

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貧乏貴族の婚活物語「いつか晴れた日に」

2012年02月14日 | 映画

昨夜、NHKーBSで久しぶりに「いつか晴れた日に」を観ました。
1995年アメリカ・イギリス合作映画。
製作シドニー・ポラック、脚本エマ・トンプソン、監督アン・リー。
アカデミー賞脚色賞を受賞。
ジェーン・オースティンの「分別と多感」”Sense and Sensibility”が原作。
前に観たのは、もう15年以上も前になるのか…
感動して、原作本も読んだ覚えがあります。

19世紀初頭の英国の緑豊かな田園地帯。
その頃の英国では、女性には相続権がなかったのですね。
上流階級では女が働くことも認められず、つまり結婚しか生きる道はない。
女のみならず、金持ち貴族の家に生まれた男であっても、
貧乏人の娘と結婚しようとすると、親に相続権を剥奪されたりする。
だから男も女も、金持ちで人品卑しからぬ相手を見つけるのに必死なのです。
この話は、その時代の婚活物語なのです。



立派な邸宅で何不自由のない生活をしていたのに
父親が亡くなって先妻の息子に家を相続されてしまった未亡人と3人の娘。
金持ちの親戚が貸してくれたコテージに引っ越しするが生活は苦しく、
上の二人の娘の結婚に期待するしかない。
長女エリノア(エマ・トンプソン)は分別があり、感情を外に出さないタイプ。
次女マリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)は多感で自由奔放。
そうなると大概損をするのは長女の役廻りと決まっているのですが
しかしどちらにしても、金持ち男を必死で探しているようなところはオクビにも出さず、
表面的には取りすましている。
そこに控え目な紳士エドワード、寡黙なブランドン大佐、“白馬の騎士”ウィロビーが現れ、
恋の駆け引きが始まるのですが…



オースティン原作の映画にはよく出てくるシーンですが
例えば外から客人が家にやってくることを見てとると(末娘などが窓から見張っている)
それまで汚いエプロンをつけて家事などしていた女たち、
さっとエプロンを取り、髪を整え、そこらのものを片付けて
綺麗な居間のソファで姿勢を正して座り、素知らぬ顔をして客人を迎え入れるのです。
貧乏貴族の矜持がよく出ていて面白い。

金持ち貴族だからといって容姿がよいとばかりは限らず、
親切な親戚のジェニングズ夫人はカバのように太っているし、
その娘はサルのような顔をしている。(財産目当てで結婚したであろう
彼女の夫が醒めていて中々面白い)
しかし二人とも良縁に恵まれ、ヒマとお金を持て余して
世話役に徹しているようなところがあります。

思慮深い長女も、奔放な次女も、思うようにいかない恋に傷つき悩むのですが
その苦しみが真摯であるだけに、生きる様が必死であることがわかるだけに
観ている側も応援したくなります。
普段冷静なエリノアが最後に泣き崩れるところでは、思わず貰い泣きしてしまいました。



「高慢と偏見」でもそうでしたが、オースティン原作の作品では
必死に相手を探す娘たち、娘に期待する優しい(あるいは無知な)母親、
計算高い(あるいは寛容な)独身紳士、ゴシップ好きな親戚たちと色々出てくるのですが
結局のところ根底に暖かな人間愛、人生賛歌が流れている気がします。
英国を旅した時にあちこちで見た、古く立派な石造りの貴族の邸宅。
その中では何百年に渡る華やかな生活だけでなく、
そうした悩みや苦しみといった人間の生き様が隠されているのだろうなあと思ったのでした。

コメント (6)
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