
観るのが非常につらい映画です。
マイク・リー監督の以前の話題作「秘密と嘘」でも私は、何か喉の奥につっかえるような
感じで後味が悪かったのですが、本作はそれを上回ったような。
この映画の宣伝コピーに「ここに集まると、喜びは倍に悲しみは半分になる」と
ありますが、それは大嘘。
そんな暖かい友情を描いたハート・ウォーミングな話ではまるでなく、
実に残酷でシニカルな話なのです。
地質学者トムと心理カウンセラー・ジェリーは幸せな初老の夫婦で
仕事を愛し、週末には家庭菜園に精を出し、人を招いては手料理でもてなしている。
ここに集まるのは、弁護士の息子を除けば、どこかしら問題を持った孤独な人々。
中でもメアリーは酷い(上の写真の真ん中の女性)。
その場の空気を読めず、いつも自分のくだらない話ばかり延々と続ける。
話すことと言ったら、自分がいかに不幸せか、過去にいかに男に捨てられたか、
あるいは他人の噂話。
およそ前向きではなく、友達にはなりたくない女性の代表格です。
例えば彼女が、自分は料理ができない、今日も朝から何も食べてないなどと
惨めったらしく言うシーンがある。
愚痴ってる前に、料理本を買うなり料理番組見るなりして
自分でなんとかせいよ、いい歳した女性が!と言いたくなる。

メアリーはトム&ジェリー夫妻を友達だと思って足繁く通っているけれど
実は夫妻にとって彼女は、友達でもなんでもないということが分かってくる。
そりゃあそうでしょう。
夫妻が彼女に与えるものはいくらでもあるけれど(美味しい食事とかベッドとか)
彼女から夫妻に与えるものなんて何もないのだもの。
終盤で、息子を迎えての家族水入らずの食事に乱入されたことに腹を立てたジェリーが
メアリーにはっきりと言うシーンがあります。
貴女は私に相談するのではなく、専門のカウンセラーに話すべきだわ、と。
そんなことを言われたら、私だったらその場で立ち去ると思うのですが
哀れなメアリーは気がつかない。
そして迎えた食事。
トム&ジェリー夫妻、その息子と恋人、という幸せな人々に挟まれたメアリー。
ウィットに富んだ楽しい会話に加わることもできず、どうしようもなく孤独なメアリーが
いたたまれずに目を泳がせるところでこの映画は終わるのです。

一体何処が「喜びは倍に悲しみは半分になる」というのか?
この中では「喜びは幸せな人のもの、悲しみは不幸な人のもの」なのです。
このコピーを書いた人は本当にこの作品観たのかしら?と思いたくなります。
幸せな人とそうでない人とはくっきりと区別され、どこまでも交わらない。
メアリーだって本当はいい所が何処かにある筈なのに
マイク・リー監督は徹頭徹尾彼女を、哀れで痛い中年女として描いている。
しかし、と思うのです。
自分はメアリーではなくジェリーだと胸を張って言える人がどれだけいるのか?
彼女ほどで極端ではなくても、例えば人との会話で
つい愚痴を押しつけたり、人の噂話をしたりしていることはないか?
その場の空気を読めず、自分だけ空回りしていることがまったくないと言えるか?
そして、友達と思ってもいないのに拒否せず受け入れるトム&ジェリー夫妻は
それは優しさではなく、富裕層(精神的にも経済的にも)の奢りではないのか。
そう思うと、冷徹なジェリーよりは、哀れなメアリーの方がはるかに愛おしくなる
ではありませんか。
観終わった後、何処までもモヤモヤ感が残る嫌な映画ですが
それこそがこの監督の狙いなのかもしれません。
原題は「Another Year」 といいます。
「家族の庭」 http://kazokunoniwa.com/