盲ろう者であっても素晴らしい活躍をしている福島氏のことを書いてすぐの昨日、
「視聴覚障害に苦しみ安楽死選ぶ」という記事を見つけました。
聴力と視力を失ったベルギーの双子の兄弟が、同国で合法化されている安楽死によって
死去したのだそうです。
”2人はいずれも45歳で、生まれつき聴覚に障害を持ち、後に視力を失った。
互いの声も聞けず、顔も見られないことが耐え難いとして安楽死を選択。
2人はコーヒーを飲み交わした後、互いに別れを告げ、薬物注射によって死去した。
病院の担当者によれば、2人が死去したのは昨年12月14日で、家族も2人の意思を
尊重していたという。
ベルギーでは2002年に安楽死が合法化され、11年には1133件の安楽死があった。
そのうち86%が60歳以上で、72%ががんに冒されていた。
同国で安楽死を希望する患者は、成人で判断能力がある人物でなければならないほか、
持続的で耐え難い精神的・肉体的苦痛を感じていなければならないなどと制限が設けられている。”
ううむ。
何と対照的な事例でしょうか。
人間は何処までも強くもあるが、同時にまたその反対でもある。
しかし私には、このベルギーの双子を責めることなどとてもできません。
私だって、末期の癌や重度の認知症になる前に、
できるのであれば安楽死を選びたい。
自分の気持ちをどう整理してよいか分からないままに
昔観た「ジョニーは戦場に行った」というアメリカ映画を思い出しました。
ジョニーは第一次世界大戦に参戦したアメリカの兵士。
戦場で砲弾にやられ、手も足も顔も吹き飛ばされて、ただ肉の塊として
軍病院に収容される。
眼も鼻も耳も口も手足もない彼に意識があるとは誰も思っていなかったが
彼は頭を小刻みに動かしていた。
長い間、只の痙攣だとしか思われなかったが、それはモールス信号だった。
ようやくそれに気付いた医師が彼に問う。
「君は何を望むのか」
「外に出たい。人々にぼくを見せてくれ。できないならころしてくれ」
はるか昔に観たきりなのに、忘れられない映画です。
唯一動かせる頭の上部を必死に動かして打ち続けるモールス信号。
「ぼくはこれ以上このままでいたくない。SOS、助けてくれ…」
ジョニーの願いを誰が否定できるのでしょうか…?
これは極端な例だとしても、安楽死、難しい問題です。
ベルギーの45歳双子兄弟、視聴覚障害に苦しみ安楽死選ぶ
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE90E02120130115