Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「ドライブ・マイ・カー」

2022年03月03日 | 映画

村上春樹作品の映画化については、過去に何度もガッカリさせられてきたので、こちらも観る気には中々なれませんでした。
ところが、カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞、ゴールデングローブ賞を受賞、そしてアカデミー作品賞にノミネートされたとあっては、やはり気になってしまう。
という訳で先日ようやく観たのですが、どうにも感想が書きにくくて放置していました。
原作との比較を中心に、ネタバレしない程度に、簡単な感想を書いてみようと思います。


舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)の妻・音(霧島れいか)は、ある秘密を抱えたまま他界してしまった。
喪失感を抱えた家福は、寡黙なドライバーみさき(三浦透子)を雇うことになり、彼女と、そして若手俳優・高槻(岡田将生)のやり取りの中で、今まで自分が目を背けていたことに向き合うことになる。
最愛の妻は、実は複数の男たちと不倫を重ねており、高槻はそのうちの一人だったのだ。
家福は見て見ぬふりをし、それによってある罪を抱え、そしてみさきもまた、悲しい罪を抱えていた…



あの短い原作をどうやって3時間の映画に仕立てたのだろうと不思議だったのですが、表題作が収録されている「女のいない男たち」の中の、「シェエラザード」「木野」からも取り入れられた箇所があり、そしてたっぷりと膨らませてあります。
家福が愛する古い愛車は、原作では黄色のサーブ900コンバーチブルという設定でしたが、赤のサーブ900ターボに。
ベッドシーンが多いのは春樹の作品とも共通していますが、映画の中でのそれは音の創作活動とも直結していた。
音はセックスしながら物語を語り、作り上げるという性癖を持っていたのです。
若い高槻は、家福の知らない物語の続きを知っていた…
劇中劇の「ワーニャ伯父さん」の場面が何度も何度も挿入され、登場人物たちの心情と重なっていきます。
特にソーニャの、この台詞。
「でも、仕方がないわ、生きていかなければ。
 ね、生きていきましょうよ。」



人生という車は、自分で運転することができる。
「ドライヴ・マイ・カー」というタイトルはビートルズの曲名から取られ、そして「Drive My Car」は古いブルースの隠語で、セックスという意味もあるのです。
生と死、性と愛、罪と赦し、それらをひっくるめた人生。
劇中劇を含めた物語は多分、考え尽くされた多重構想となっていて、それを理解するのは容易ではない。
しかしそれがよく分からなくても、なんとなく春樹ワールドの雰囲気を楽しむことはできます。
その意味ではこの映画は成功であって、それが評価された理由なのでしょうか。
でも万人向きでは決してないし、長すぎるし(3時間)、アカデミー作品賞は難しいのではないかな…
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする