Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「おそロシアに行ってきた」「ヴィオラ母さん」

2022年06月18日 | 

ウラジオストック、サハリン、カリーニングラード、モスクワ、サンクトペテルブルク、イルクーツクの旅行記、帯には面白過ぎる国だったと。
しかし…本文を読む限りでは、何処がそんなに面白いのか伝わってこない。
本書に出てくるロシア人は殆どが不愛想で、中にはいきなり怒鳴りつけてくる「鉄仮面女」も。
そして、書き方が少々表面的。
例えば、サンクトペテルブルクの食料品店に入った時。
”ビールと水を購入しようとしたが、2人の女性店員は露骨に差別的な態度で電卓に金額を打ち込み、それを見せてくれる”とありますが、愛想の良い店員に慣れている日本人に、どんな風に差別的なのかたやすく想像できるのかしら?
私は実際ロシアであの酷い接客を経験しているので、情景が浮かぶのですが…
所々にジョークを交えたやり取りが出て来ますが、それは同行者(日本人)との会話。
それなのに後書きでは、旅行をしてロシアが好きになったと言っている。
ロシア人は一見、不愛想だけど実は優しい人が多い、あまり干渉して来ないのに困ったときは助けてくれると。
でもそんなに助けて貰ったシーンあったかなあ?
ちょっと説得力がありませんが、写真が豊富で色々な蘊蓄もあり、旅行のガイドブックとしてはよくできていると思います。



「テルマエロマエ」の著者ヤマザキマリの自伝的な著作を読む度に出てくる、破天荒な御母堂。
14歳の著者をいきなり欧州に一人旅させた母親ってどんな人だろうと、興味を持っていました。

昭和三十五年、深窓の令嬢だったリョウコは二十七歳の時に会計事務所を辞め、オーケストラで音楽をやるため実家を飛び出す。
新設の札幌交響楽団の団員となり、その指揮者と恋に落ちて結婚する。
しかし著者が生まれて間もなく早逝され、次に出会った建築技師と再婚して二人目の娘が誕生するものの、相手は仕事で中東に赴任、結局まもなく離婚。
そして二人の娘のシングルマザーとしての生活が始まる。
まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代に、ヴィオラの演奏家をしながらなりふり構わず子どもたちを育て上げる。
著者が結婚もせずに赤ん坊を連れて、留学先のイタリアから帰国した際にも、
一言も責めず、「仕方ない、孫の代までアタシの責任だ」と。

音楽と娘たちと自分の人生を愛し、彼女が辿った道は決して平坦なものではなかった。
そして娘たちは、そんな彼女に振り回される。
娘たちはいつも夜遅くまで子供だけで留守番を強いられたし、演奏旅行となると長期間知り合いの家に預けられた。
食パンにマーガリンと砂糖を塗っただけ、あるいはトウモロコシだけのお弁当の日も。
それでも「生きることって結局は楽しいんだよ」と言い切る母の姿は、すがすがしい。
この本を書いている時点で85歳の彼女は、体調を崩しながらも今もヴァイオリンを教えているらしい。
あっぱれです、ヴィオラ母さん。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 行き倒れの図 | トップ | 想像以上に下剋上 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tona)
2022-06-19 19:04:55
サンプトペテルブルグで日本語でガイドしてくださった女性とか、モスクワのガイドさん、食事処のウエイターさんくらいしかロシアの人を知りません。ツアーですから何しにロシアに行ったのか、単なる物見遊山ですね。出会った人々はよい人でした。
しかし日本へのソ連侵攻時のソ連人、ウクライナ侵攻
のロシア人の酷いことには言葉もありません。古代からの世界史にはこんなことの繰り返しでした。

ヤマザキマリさんも大した人物ですが、そのお母さんのことを知りませんでした。
今では猛女と言っても良いほどの豪傑ですね。
返信する
tonaさま (zooey)
2022-06-19 22:44:12
私もロシアはツアーで行きましたので
出会った人は限られていました。
でも接客態度の悪い人はいっぱいいましたよ。
ロシアの民族ジョ-クには、劣悪な状況を皮肉っぽい目で見て笑いに転化するという、
高度な技術があったように思いますが
今回のウクライナ侵攻に関しては、まったく笑えませんね。
一般の庶民に罪はないのでしょうが…

ヤマザキマリさん、この母にしてこの子ありという、
まさにそんな感じでした。
返信する

コメントを投稿