Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

孤独な老人「J・エドガー」

2012年02月09日 | 映画

イーストウッドの監督作品なら見逃す訳にはいかないと観て来たのですが…

FBIの顔的人物J・エドガー・フーヴァー。
”1924年5月10日にFBI長官に任命され、72年に亡くなるまで長官職に
留まった。就任当時のカルビン・クーリッジからリチャード・ニクソンまで、
8代の大統領に仕えた、現在に至るまで合衆国で最も長く政府機関の長を務めた人物である。
なお以後のFBI長官任期は10年に制限されている。FBIを大きな影響力を持つ
組織へと創り上げた点で称賛されるが、一方で自らの権威を盾に、有名人に対する
諜報活動や恐喝に加え、政治的迫害を行ったことを始め、その巨大すぎる権力行使は
大きな非難を受けていた。 しかし、たとえば指紋による犯罪捜査のように、
現代において彼の残した業績は賞賛に値すべきものもある。”(Wikipediaより)

どんなに強い男の英雄物語かと思いきや、
画面に現れたのは孤独な老人(レオナルド・ディカプリオ)。
きっちりとスーツを着込み、昔の自分の手柄話を延々と部下に書きとらせている。
結婚もせず、友人も殆どおらず、母亡きあと家にいるのはメイドと犬だけ。
彼の華々しい業績よりも、興味を引かれるのはその負の部分です。
コンプレックスの塊でもある彼は、精神的に母親(ジュディ・デンチ)の絶対的な支配下にある。
自分がゲイであること、腹心の部下クライドを愛していることを多分認めながらも、
母親の「女々しい男になるくらいなら死んだ方がまし」という言葉を打ち破ることができない。
で、この二人はお互いに恋心を抱きながらもプラトニックを貫き(映画では)、
ともに生涯独身を通すのです。
(このクライド、何処かで見た顔だと思ったら
「ソーシャル・ネットワーク」で嫌味なエリートの双子を演じていたアミー・ハマーだった)
彼が生涯心を許したのは、母親とクライド、そして秘書のヘレンだけだったのでしょうね。


もうひとつ、殆どセリフもなかったフーバー家の黒人メイド、アーニー。
人種差別主義者であったエドガーは、多分彼女とは主従関係以外の何ものでもなく、
おそらく言葉を交わすこともなかったのでしょう。
そのせいなのか、エドガーが半裸で倒れてこときれても
ベッドに寝かそうとも毛布をかけてやろうともしない。
半世紀に渡って権力のトップに君臨したFBI長官の、床に転がった最期の姿…

この作品はJ.エドガーという人間を、賛美も批判もせず、
ドキュメンタリー映画のように淡々と描いています。
でもこれでは、共感も感情移入もできない。
早い話、とても好きにはなれない偏屈な老人の孤独な物語であったのでした。

「J・エドガー」 http://wwws.warnerbros.co.jp/hoover/index.html#/home
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「ママ友はいません」

2012年02月08日 | 社会
昨日の朝日新聞の子育てについての「リレーおぴにおん」に
「ママ友?私にはいません」と題した楊逸(やん・いー)氏の話が載っていました。

”娘が保育園の時、初めてPTAの集まりでカラオケに行ったのですが、
子どもたちの前で親たちが他の親の噂話をしていて嫌になりました。
中国では親同士が付き合うことはありません。
子どもは親が何しているかに関係なく、遊んでいました。
「ママ友」っていうんですか?
以来PTAの集まりには一切顔を出していないし、私にママ友はいません。”

楊逸氏といえば、外国人として初めて芥川賞を受賞した中国人の作家という認識しか
私にはなかったのですが
記事によると87年に留学生として来日、その後お茶の水女子大を卒業、
離婚して中国語教師をしながら二人の子どもを育てたのだそうです。
そりゃ女手ひとつで働きながら子どもを育てていたら
ママ友なんか作ってお茶している暇はないだろうなあと思う一方、
この人の周りは相当迷惑を被ったのだろうなあとも。

私のすぐ近くにもいたのです。
ママ友との交友をまったく持とうとしなかったフィリピン人女性が。
御主人は日本人の会社員で近くの分譲マンションに住み、
私とはスポーツクラブ仲間でもあったのですが
綺麗な英語は話すものの、最初の頃は日本語は殆どできなかった。
それもあってあまり付き合おうとしないのかとも思ったのですが
二人の子どもは超腕白で、近所の家で暴れまくり。
おやつは食べ散らかす、ゲームはやりたい放題、あの頃流行ったドラクエのカードを
盗った盗らないという問題も出てきて(モノによっては結構高価だった)、
私が下手な通訳に引っ張り出される始末。
大体子どもなんてみんな迷惑をかけながら生きているのだから
普通だったらお互い様、ということになるのですが
自分の家によその子は一切入れないで、よその家には毎日行かせ放題、
しかも仕事をしているわけでもないのにPTAにも無関心、
たまに顔を合わせてもすみませんの一言もないというのでは
そりゃ近所の日本人ママたちは怒るでしょう…

などと思いながら読んでいたら
”日本人は仲間意識がすごく強くて、それはひとつの美徳ですけど、それでは
個性は育たないと思います。それに中国の親は、子どもにすごく勉強させるのです。”
と楊逸氏は続けている。
そういえば去年、中国系アメリカ人が書いた、超スパルタ教育についての
「タイガーマザー」という本が話題になったっけ。
私の考え方は、意識しないうちに何処までも日本人的なのだなあと
改めて思ったのでした。

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一度味わってしまった自由「小さな村の小さなダンサー」

2012年02月07日 | 映画
中国が今のような経済大国となり
世界中に華々しく進出しているというニュースを目にする度に
不思議に思うことがあります。
例えばハーバード大学に留学したエリート中国人は自国に戻って
言論統制やネット規制について息苦しく思わないのだろうか?
一度自由な空気を味わってしまった後に
中国当局の抑圧に耐えられるものなのだろうか?と。



この映画は、見事にその疑問に答えてくれました。
中国山東省の小さな村の貧農の息子リー。
粗末な綿の人民服を着て走り回り、中国は世界一豊かな国、
帝国主義(資本主義)の国は貧しく、人民は惨めに暮らしていると教えられていいる。
夢は毛主席のために紅衛兵になること。
1973年、そんな彼が11歳の時、毛沢東の文化政策によって選ばれ、
北京の舞踏学校へ入学させられる。
毛主席のため、親兄弟の為、何年もの厳しい英才教育に耐え、
アメリカへのバレエ研修生に抜擢される。

80年代のヒューストンに着いたばかりのリー青年には、何もかもが珍しい。
ホームスティ先のバレエ団の理事、ベンの立派な家に驚いたり、
大声で大統領の悪口を言うアメリカ人の行く末を心配したり、
アメリカに住む中国系女性の派手な化粧や衣服が信じられなかったり。
それでも若者らしく、ディスコに行き、アメリカ人のガールフレンドを作り、
段々とアメリカの生活をエンジョイするようになる。
研修先のバレエ団の公演の主役のピンチヒッターを引き受け、
拍手喝采を受けて自信を持つようになる。
滞在延長願いを出すが認められず、帰国命令を受けた彼は
なんとガールフレンドと結婚し、アメリカに留まろうとするのです。
アメリカ人の弁護士、アメリカ人の妻を連れて中国領事館に交渉に行くが
いきなり力づくで拉致され、帰国させられそうになる。
アメリカ人弁護士は副大統領に訴え、大きなニュースとなって…

2009年、オーストラリア映画。DVDで観賞。
オーストラリアでベストセラーとなった、リー・ツンシンの自伝を映画化した作品。
監督は「ドライビング・ミス・デイジー」のブルース・ベレスフォード監督。
主演は英国ロイヤル・バレエ団のプリンシプル、ツァオ・チー。
なんといっても実話というところが素晴らしい。
そりゃ一度自由の味を覚えてしまったら
元には戻れないよねえ…
その頃の中国では、バレエといっても
江青女史の指図の元、銃を担いだ「革命的バレエ」しか踊れなかったのですから。
(それに対して「こんなのはバレエではない」と言ったチェン先生は”追放”される)
でも結果的にリーの行動は、自分の国を、
そして親兄弟を捨てることになる。
亡命に成功した後も、親兄弟とは一切連絡が取れなくなったリー。
「反革命分子」のプラカードを首にかけられ、公開処刑される親の夢を何度も見て苦しむ。

実話といっても、そして40年前のことであるとはいっても、
中国に関してよくここまで描けたなあと思ったら
ベレスフォード監督はやはり、中国政府から撮影を反対されたといいます。
「中国政府から、この脚本で中国での撮影はできないから変えてくれ、
毛沢東への言及も禁止だと言われたんだ。さらには、エンディングを変えて、
現在の中国が発展しているところを見せてほしいとまで言ってきたんだ」と。
http://www.cinematoday.jp/page/N0026588
結果的に出来上がった映画も、中国では公開されていないらしい。
ユン・チアンが書いた「ワイルド・スワン」が世界100カ国以上で出版されているのに
中国では出版されていないように。

祖国や親兄弟とアメリカとの間に挟まれたリーの苦しみが悩ましいだけでなく、
両国の裏の政治的な取引も見逃せません。
そして、ロイヤル・バレエ団のプリンシプル、チャオ・チーの踊りが素晴らしい。
人間社会の醜い諍いと華麗なバレエと。
それだけに、最後のサプライズには静かな涙が出ます。
原題は「Mao's Last Dancer」というのです。

小さな村の小さなダンサー http://chiisanadancer.com/
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「日本人のように個性豊か」

2012年02月06日 | 社会
久しぶりに米原万里の「ロシアは今日も荒れ模様」を読んで
次の民族ジョークに笑ってしまいました。


「理想的な人間像とは?」
「イギリス人のように料理がうまく、フランス人のように外国人を尊敬し、
ドイツ人のようにユーモアにたけ、スペイン人のように働き者で、
イタリア人のように自制心に優れ、アメリカ人のように外国語が得意で、
中国人のように高い給料を貰い、日本人のように個性豊かで、
ロシア人のように酒を控え目に飲む人のことです。」
(ロシア小咄集「独裁者たちへ!」より)


ついでに。
昨日、シーツを洗おうとベッドの布団をめくったら
タロウのおもちゃがゴロゴロと。
タロウ、寝る時にいつもおもちゃを咥えてくるのです。
目や鼻が一部なくなっていますが、タロウの大事な友達です。

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「日本を幸せにするスィーツ100選」

2012年02月04日 | 社会
婦人画報3月号の特集「日本のスィーツ100選」。
トップバッターは銀座千疋屋のメロンショートケーキ。
美味しそうな一面アップの写真とともに紹介されています。
はて…?
私は千疋屋のフルーツパフェやフルーツサンドが大好きで
以前行っていたものですが(そういえば最近行ってません)
メロンのショートケーキなんてあったっけ?
「千疋屋 ケーキ 画像」で検索してみたら、22ページにも渡る画像が出てきましたが
メロンショートケーキの写真は何処にも見つかりません。
婦人画報の記事をよく読んでみたら、このケーキはあまりにも柔らかくて壊れやすいため、
店頭ではホールでのみの販売とあります。
そして6号ホールで18,900円。


これじゃあそうそう買えないよねえ…
かつて桐嶋洋子が「聡明な女は料理がうまい」という本の中で
日本の高級牛肉の値段を指して"insult someone's intelligence"(人の知性を侮辱している)
というような表現を使っていたように思うのですが
ケーキひとつに二万円弱なんて。
人をバカにしている!
私には買えませんわ…


No.2は神田淡路町の近江屋洋菓子店のいちごのショートケーキ(写真)。
これは6号ホールで4200円(ホッとします)。 
私はここの洋なしのタルトの方が好きなのですが。

No.3は代官山小川軒のカスタードプリン(315円)。
レーズンウィッチで有名な小川軒のプリン、これは知っています。
バニラビーンズの黒点がポツポツついていて素朴な味が美味しい。


No.4は赤坂しろたえのシュークリーム(170円)そしてレアチーズケーキ(250円)。
学生時代の頃から大好きでした。
赤坂一ツ木通りのしろたえのカフェでよくお茶したものです。
小さめの柔らかなシュークリームと、やはり小さな四角いチーズケーキ。
いまだにこんな値段というのも素晴らしい。
(最近食べたしろたえのレモンタルト)

あとは自由が丘モンブランのモンブラン、
目黒のマッターホーンのダミエ、東京會舘のマロンシャンテリーなどと続くのですが、
ベスト10に入っているのは知ってる味が多い中でNo.1だけは。
ちょっと悔しい…

海外に行く度、日本のケーキというのはなんて美味しいのだろうと思います。
繊細で洗練されていて、お花畑みたいに美しくて。
ふわふわのスポンジに生クリーム、新鮮な果物を乗せたいわゆるショートケーキというのは
あまり見たことがないと思ったら
婦人画報によると、これは日本オリジナルのケーキであるらしい。
であるなら余計に、ベスト1にはもっと一般的な、
手に入りやすいものを選んでほしかったなあ…
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冬の京都③

2012年02月02日 | 国内旅行
月曜日も薄ら寒い曇り空、時おり小雪が舞っていました。
いっそ積もれば綺麗なのに、寒いだけ寒くてちょっと損した気分。

朝10時からの参観を予約してあった桂離宮に。


ここは17世紀に八条宮家(桂宮家)の別荘として造営されたものだそうです。
書院、茶屋、回遊式庭園からなり、7万平方mにも及びます。
10人ほどの見学者が集まり、予定時刻ぴったりに参観がスタートしました。
(ハイシーズンにはこれが40人ほどに膨れ上がるのだそうです)
グループに1人ずつガイドがつきます。


ここは、一言でいえば「月を観るため」に造られた離宮なのだそうです。
池に浮かべた船から、茶室から、庭園から
そのための仕掛けが至る所で為されているのだそうです。
月を観る、それだけの為にこれだけのものを造り上げた昔のお公家さんの
その典雅さ、贅沢さに思いを馳せない訳にはいきません。
”1933年にドイツから亡命したブルーノ・タウトは「泣きたくなるほど美しい」と絶賛し、
装飾を排した簡素な建築美はモダニズム建築の造形美にも通じるとして評価された”
のだそうです。(Wikiより)


今まで廻ってきた神社仏閣と圧倒的に違うのは
とにかく人がいないこと。
1時間毎に1グループしか入れないというのだから当然なのでしょうが。
おかげで静寂の中で、心ゆくままに楽しむことができました。
事前に、しかも随分前に申し込みをしなくてはならないというのは
何と面倒なのだろうと思っていましたが
こんなに繊細な美を保存するためには仕方ないのかも。


そこからタクシーで伏見稲荷へ。

ここは子どもの頃行ったきりで、裏山に何処までも不気味に伸びる赤い鳥居の道、と
いうイメージを私は持っていたのですが
今回行ってみたら、そのイメージのままでした。
あの果てしなく続く赤い鳥居、「千本鳥居」と呼ばれているようですが、
あれ一体何本あるのでしょうね?
石段は、私は歩きながら七百段までは数えたのですが…

ネットで検索してみたら「伏見稲荷大社の鳥居の数を数えよう」という
サイトを見つけました。
http://fleshwords.web.fc2.com/jikken/ji25_1.htm
そのサイトによると、2010年2月の時点で3381本なのだそうです。
世の中にはヒマな、いえ奇特な方がいらっしゃるものです。

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冬の京都②

2012年02月01日 | 国内旅行
日曜日は晴れ時々曇り、さらに時折雪。
まずは金閣寺へ。


金閣寺なんてベタすぎると私よりは京都通の夫は嫌がったのですが
久しぶりに行ったらやっぱり素晴らしい。
青い空、湖面に浮かぶ眩いばかりの金閣寺。
只この時、圧倒的にパワフルな中国人の団体観光客に囲まれ、
殆ど自分が異邦人のような感覚に…



金閣寺から竜安寺に向かう途中、道を訊かれたベルギー人女性イルスと
一緒に行くことに。
シンガポールで仕事をしている彼女、一週間だけ東京に出張、
その間の週末に京都に遊びに来たというタフな女性。
お喋りしながら広い竜安寺を巡り、結局その後の仁和寺も一緒に。
しかし改めて外国人に訊かれると、私の英語では答えるのに苦労する質問の
なんと多いことか。
祇園で多く見かけた綺麗なゲイシャはどんな仕事をしているのか?
ゲイシャとマイコはどう違うのか?
誰が彼女らを雇って、幾らくらい払っているのか?
ゲイシャになろうとしたら幾つくらいからその道に入り、
どんなことが要求されるのか?
…すみません、ゲイシャの給料については知りません。


竜安寺のあの有名なつくばい「吾只足知」について訊かれたらどう答えよう?と
ひそかに心配していたのですが
お寺のパンフに英語で書いてあって助かりました。
備忘録として書きとめておきます。
"I learn only to be contented."He who learns only to be contented is
spiritually rich, while the one who does not learn to be contented is
spiritually poor even if he is materially wealthy."
しかし随分くどい説明です。
「 われただ足るを知る」
日本語で9文字、漢字だとたった4文字なのに。


湯豆腐料理を食べて、タクシーで嵐山へ。
渡月橋の上は雪交じりの風が吹きすさび、地獄のような寒さでした。
天竜寺の法堂天井には縦10.6m×横12.6mという大きな「雲龍図」が。
八方睨みと言われるだけあって、このお堂の何処から見ても睨まれているようです。
こんな怖い龍は初めて見ました。
ここも撮影禁止なので、ネットから頂いた写真です。

http://www.tenryuji.com/unryuzu/
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