「学びの場をつくることがドラマの役割」というようなことを前回書いたけれど、場をつくらないドラマもあることを発見!
先日学生が行なった模擬授業は、私にとってとても気持ちの悪いものでした。
日本の企業の採用面接。様々な学生が、様々な外国人と一緒に面接を受け、面接官役の学生が採用を決めるというもの。
それぞれの気持ちに寄り添うことなく、シビアな競争として展開された。
けれど、そういうことを経て、ドラマについてまた学ぶことがありました。こういうものは、希望者対象ならありうるかもしれないが、普通の授業としてはNGだと。
今年の授業は「格差社会」をテーマにしてきました。弱者や少数者の問題を他人事と思って欲しくないと。
けれど、就活という競争に曝されている学生たちにとって、格差といえば競争だったのかもしれません。学生の本音にふれる授業がこれまでに出来ていなかったということでしょう。
本当にドラマは学校教育に活かせるのだろうか。むしろ、ドラマの側から教育が見えてくるといったほうがいいのではないだろうか。そんなことも考えさせられたのでした。
ドラマは難しい!と思うこの頃。何か大事なものを見失ってしまっていないだろうか。あまりの忙しさに、文字通り心を失ってしまっているのかも。