すごい本だ!
学校教育に関わる人にとって必読の書が生まれた。
というのが第一の感想。
【『なってみる学び』その1 「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」】
この本は、演劇的手法を授業に取り入れた実践とそのための教員研修、公開研について書かれている。美濃山小学校の「なってみる学び」について余すことなく伝えたいという書き手の思いがあふれている。
なんと言っても、授業研究の視点を「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」と表現したことがすばらしい。
「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」をもとにした教育実践とはどういうものか、読んでいてよく分かる。教師が共同で授業研究をすることで、学習者個々の変容・成長と集団としての変容・成長が結びついて授業が変わり、学校が変わっていく。
これまでの学びは、inputの連続で詰め込まれ、発表やテストという形でoutputし、それが評価されて終わり。そこから次への学習の発展がない。私の担当したある学生が「inputは好きだけれどoutputが苦手。でもoutputは次の学習につながる途中なんだと実感したときoutputが苦手でなくなった」と言った。それを「表現と理解の相互循環」と言うことによって、だれにも届く表現になった。「表現と理解の相互循環」は、「なってみる学び」=演劇的手法に独特のものではないけれど、演劇的手法を用いることで顕著に実感できることも確か。
「子どもの学びと教師の学びの同型性」もしかり。例えばジグソー法で授業をしようと思えば、教師もジグソー法で学ぶ必要がある。
私は教育方法論を担当していたことがあって、教育方法の変遷の歴史や教育方法の紹介やらを100人ぐらいの学生相手に講義していてとても行き詰まりを感じ、教育方法学会である先生に「教育方法の授業が講義形式ということに矛盾を感じませんか。どうされていますか」と質問したことがある。質問された相手は、「私は講義形式で問題ないと思ってやっていますがね」とおっしゃっていた。面白く有意義なお話をされていたのだろう。でも、「何かちがうなあ」という思いで、その後も授業方法を思考錯誤していた。理科教育の授業が増えた機会に教育方法論の授業から外してもらったときはホッとした。ドラマ教育はやっていても教育方法となると重荷だった。けれどこの授業を持ったおかげで様々な教育方法とその歴史を知ったことは良かった。
話しが逸れた。だから、もし学習方法として演劇的手法を取り入れないとしても、「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」は授業デザインと授業研究に必要だとわかる。子どもたちが体験する学習を教師が経験するということ自体がすでに「なってみる学び」なんですけど。
この本を読んで「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」を実感することで、授業改革がどの学校でも進むのではないか。そんな期待に胸が躍る。
【『なってみる学び』その2 本のつくり方】
この本のつくり方がすごい!
授業を紙面で伝えることは難しい。演劇的手法の授業は同時多発的にいろいろなことが起こるのでなおさら。さらに、身体的表現として見えることと、その時心の中で起こっている見えないことのどちらもが大事なので、何をどう書くか悩む。
この本全体の構成を伝える図を見たときに、本当によく考えられアイデアの詰まった本だろうという予感がしたけれど、その通りだった。
実践報告あり、インタビューあり、対談あり、Tips Galleryあり、コラムあり、プロの素敵な写真あり、技法の一覧あり、アンケートあり、年表あり、QRコードあり、失敗事例あり、Q&Aありと、ブックガイドも含め書籍に入れ込めるありとあらゆる方法を適切な場所に適切に配置してある。
こんなに多様になると、取り散らかるというか、本としての統一した体裁が崩れてしまいそうだが。構成がしっかりしているから多様な書き方が立体的にうまく作用している。
索引もある。この索引がまたおもしろくて、「なんだなんだ?ちょっと本文見てみよう」と思える言葉が並んでいる。「ホット・シーティング」がいちばんあちこちで出てきて次は「ロールプレイ」だとか、「表現と理解の相互循環」より「同型性」のほうがたくさん出てくるとか。小学校の先生にとっては、作品リストも嬉しいだろう。
作り手が愛しんで丁寧に作っていることが感じられ、それがまた読み手として嬉しい。
ブックガイドに藤原さんにも手伝っていただいた『〈トム・ソーヤ〉を遊ぶ』を紹介していただいた。新しくてブックガイドには間に合わなかったかもしれないが、鈴木聡之さん(すぅさん)の『レッツ!インプロ!』がないのが残念。これも小学校の先生には読んでほしい。
【『なってみる学び』その3 素晴らしい教育実践】
なんてすばらしい教育実践なんだろう!
この本を読み終えて、真っ先に思い出したのがレイフ・エスキスの『子どもにいちばん教えたいこと』を読んだ時の感動だった。
素晴らしい教育実践を読むと、ふたつのことが湧き出てくる。
「私もやってみたい」というのと「わあ!私にはとうてい無理だな」というのと。
本書は「私もやってみたい」と思わせる要素がたくさんある。
ひとつにはその1で書いた「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」という原理。これがあるために、幅広く応用可能。
授業、教員研修(教材と直接の関係ない演劇体験を含めて)、公開研のそれぞれについて多様な形で示されているので、「これならできる」という取っ掛かりが多い。
美濃山小学校の先生方や子どもたちもステキで、もっと困難な状況の学校がいくらでも想像できるけれど、今ある条件でできることが何かあるはず。
さらに後押ししてくれるのは、
〈1回限りの実践では「失敗」と感じる事例でも、追体験や対話をすることで、見え方自体が変わり、新しい実践が生み出されるということがあります。(略)逆に言えば、いきなり良い実践が生まれることはほとんどありません。83ページ〉
ということ。
失敗しても、一回であきらめない。「挑戦と失敗の相互循環(?)」。
QPもおそらく最初から今のような立派な研究主任だったわけではないはず。ひとつには、初任校での糸井先生との出会いがあったらしい。あこがれ、真似して、ここまで来た…などと、この本を読みながらそんなことまで想像している。
ここまで書いてふと本を手に取り帯を見た。
〈読めばあなたも動きたくなる「深い学び」がここにある〉
これ以上のことを何も言っていないな。ちょんせいこさん、すごい!
【『なってみる学び』その4 人柄と演劇的手法】
レイフの『子どもにいちばん教えたいこと』を読んだ時もそうだったけれど、焼ていることは真似できても、その生き方はなかなか真似できない。
常々思っているが、演劇的手法を用いたワークショップや授業は、それを実施する人と切り離せない。実践の形は真似ても実際に起こることは一期一会。だから面白い。だから厄介でもある。まあ、どの授業でもそうだけれど、演劇的手法を用いた場合は顕著に異なってくる。マウスで医学実験をするようにはいかないのだ。
この本では、著者の人柄が実践とどう関わっているかということを想像させて、それがすごく面白い。
たかさんが「フラットな対話の関係性」を常に意識し、大事にしていること。
「大泣き事件」で象徴されるQPの他者に開いた感性。
真似はできないけれど、大事だということは分かる。大事だということが分かることが、大事なんだと思う。
著者たちは多分人柄について書こうなんて思っていないし、だから「フラットな対話の関係性」も「大泣き事件」も索引にないけれど、これは大事な要素だと思う。そんなことを考えながら読むのが楽しい。
この本にコラムを書かせてもらって、しかも過大な紹介をしてもらって、この実践と本にほんの少しだけれど関わらせてもらったことは、とても嬉しい。