ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

教科書問題県民集会

2007-09-30 21:59:54 | 日記・エッセイ・コラム

070929_1644 2007年9月29日、宜野湾市海浜公園に約11万人の県民が集まりました。

教科書から集団自決への日本軍の関与を削除した怒りでした。削除した側は「軍の命令があったという明確な証拠がない」ということですが、なんらかの日本軍の関与が無ければ集団自決はおこらなかったというのが、体験者の実感です。

いつも思うのですが、「足を踏んだ人は忘れても、踏まれた人は覚えている」。踏んだ人と踏まれた人が同じ思いをもつことは難しいけれど、踏まれた側に立ってみることが必要なのでは。違う立場に立ってみることができれば、平和な世の中になると思うのですが・・・。

とても暑い熱い9月29日。約11万人の一隅に参加しながら、「即興劇は、違う立場に立ってみるには、うってつけの方法なのだが・・・」などと考えていました。

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第六回研究会報告―「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

2007-09-30 08:56:09 | 研究会報告

沖縄に帰ったのが26日ということで、研究会のお知らせがバタバタと直前になってしまい、28日の研究会は学生2名にりこさん、私の4人というささやかさでした。

アメリカ体験など雑談をする中で、サンジエゴの子どもたちに教えてもらったゲーム「ダック・ダック・グース」と「グリーンライン・レッドライン」を披露。

次にスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の絵を配り、感想を話しあいました。その後、絵の中の気になる人をピックアップ。四人が絵の中の人になり、役作りをし、絵の中のポーズから始まって、別のポーズで終る1場面をつくりました。その後、また絵について話し合い。絵がとても印象深く心に刻まれたのでした。

スーラの絵を使うというアイデアは、ピッコロシアターでの平成教育委員会・夏期集中講座からいただきました(近畿大学文芸学部教授竹内銃一郎氏)。他の絵でも、画面の中の誰か、あるいは何かになってみることで、絵の鑑賞が深まりそうです。

「夏休み中なので、8時半には終えてほしい」と図書館側から急に言われたのですが、参加者が少ないおかげで、時間までに終えることができました。四人でも楽しい。でも、もう少し多いほうがにぎやかでいいね。

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夏休み

2007-09-29 10:28:47 | 日記・エッセイ・コラム

8月から9月にかけて約2ヵ月の夏休み。

8月5日の京都ワークショップのために4日に沖縄を出発し、戻ってきたのが9月26日。その間、どうしていたかというと・・・。

8月7日は、東京・池袋のあうるすぽっとでケネス・テーラー氏のワークショップおよびセミナー。8月17日は阿佐ヶ谷でLプロ同期のみいちゃんのプレイバック・カフェへ。8月25日はピッコロシアターhttp://hyogo-arts.or.jp/piccolo/で平成演劇教育委員会・夏期集中講座を見学。高校演劇部の生徒を対象としたワークショップだった。

Origami2 夫の実家、2週間の信州での休養(実践報告を執筆)、それ以外は、主として京都で、連日なつかしい友人・知人と飲み会・会食。

最大のイベントは、9月、アメリカ・カリフォルニア・サンディエゴでの約3週間。2週間は現地の小学校へボランティアとして通いました。語学力不足もあって、2年生のクラスへ。子どもたちと折り紙をしたり、休み時間に縄跳びをしたり。(写真上は、子どもたちが自分で作った折り紙と一緒に。下は担任の先生が、午後の読み聞かせのあと「今日は眠いから踊りましょう」と音楽をかけ、それぞれ好きに踊る。)Dance

この53日間、一日として酒を飲まない日がないという、珍しい日々。正確にいうと、アメリカで風邪で寝込んだ3日間は飲まなかったけど。

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本のお取り寄せ

2007-09-29 09:22:54 | 本・論文・雑誌

Manabidrama01_2 この表紙、とても気に入っています。でも、何度も見たつもりだったのに、やはり誤字脱字が・・・。ウ~ン! 第2版を早く出したい!・・・なんてね。

Amazonで「学びの即興劇」の本が取り寄せられない・・・とのことですが、出版社の話では、Amazonに掲載されるタイミングが良く分からないとのことでした。いずれは掲載されるでしょうが、それまでは近くの本屋さんで注文していただくか、晩成書房 http://www.drama-ee.net/ で直接お取り寄せお願いします。

お近くの方は、私からという方法も。ご連絡ください。drama-ee☆cap.ocn.ne.jp(☆を@に変えてね)

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なんでも迫れる奥の広さ

2007-09-27 15:07:25 | 本・論文・雑誌

現在、中学校の理科(専門は生物)の先生をしている内山裕之氏から、本の感想をいただきましたので掲載します。内山氏(http://homepage2.nifty.com/hirouchi/)は大学時代の同級生。学年は一緒でしたが、学科は違い、私は化学でした。

医学博士になった大学時代の友人の武田さんが本を出した。「学びの即興劇」である。表紙にはタイトル以外にサブタイトルというかねらいを暗示させる「テーマを掘り下げ、人間関係を結ぶ」「環境問題を即興劇で学ぶ」「自分のからだ・自分のことばで表現し、深く理解するために」等の言葉が書かれてある。

この本を読んでの感想だが、私が中学校教師なので特別かもしれないが、とても面白かったし、役立つと感じた。なぜならば、この本は「学びの即興劇」というワークショップの実施方法が書かれていた。全部は無理にしても、子どもたちに使ってみたいと思う箇所がいくつかあったからだ。

さて、それでも少し違和感があるなと感じたことがある。それは表題の「環境問題を即興劇で学ぶ」というフレーズである。どうして環境問題なのだろう。環境問題でなくても良いのではないか。例えば、ジェンダーの問題、民族差別の問題、特別支援教育に関わる人権問題、食育の問題・・・・、なんでも、迫れる奥の広さが「学びの即興劇」の表現手法にはあるのではないか。読んでそう思った。

というのも、誰かが即興で環境問題の悪しき本質に迫ろうと演技をしたとする。その演技を真に迫るものにするには、その人はあらかじめ環境問題の核心部分を学んで憤りを感じていなければならない。とするならば、環境問題の直接的な学びの課題が別に必要である。即興劇によって具現化され表現されたものは、比喩であり引喩である。劇の中身は「たとえ話」または「イメージ」のようなもので、環境問題をよりわかりやすく理解する上では助けになっても、環境問題そのものではない。

別の言い方をすれば、即興劇と環境問題との関係は、自然と理科教科書との関係のようなものである。生徒は理科教科書を学ぶのに必死で、忘れがちだが、生徒が理科教科書を学ぶ理由は、教科書を通して自然を学ぶのである。教科書は自然ではない。原子記号やニュートンやジュール、モルの計算は自然の中を探しても、どこにも転がっていない。即興劇で環境問題の本質に迫るイメージは表現できても、それは環境問題そのものではない。生徒が環境問題を「学びの即興劇」によって理解を深めることができたとしても、環境問題そのものの学習がなければ、それは片手落ちである。

だから、環境問題だけをうたわず「学びの即興劇」の良さを啓発した方がよいように思う。つまり、即興劇の自己表現そのものの楽しさ、すごさである。これは歌やスポーツにも共通するものだと思う。自己表現することで、もやもやとした気持ちが改善され、すっきりする、つまりカタルシスである。この積み重ねによって自己実現が増え、きっと自尊感情(セルフエスティーム)まで高めると思った。また、和気あいあいとした雰囲気、お互いを認める雰囲気は、ライフスキルや共感能力の育成にもつながると感じた。

私もそう思います。私が環境問題をテーマに取り上げているのは、私はそれが今のところ大学からいただいたテーマであるからです。チャンスがあれば、色々なテーマに挑戦したいと思っています。HP(http://www.drama-ee.net/)の「ワークショップ」のページでは、他のテーマでのワークショップも書いていますので、参考にしていただければと思います。

附録:「学びの即興劇」の京都山科ワークショップに参加した感想だが、やはり即興劇はこう演じるんだよというモデルを示してほしかった。武田さんが全国にこの手法を広めて行くには、武田さん自身が即興劇を演じ、観客の心をほぐす(腹の底からの笑いとか共感から真剣に傾聴するとか)場面が必要だと思う。多くの人が映画を見に行くか、それとも吉本新喜劇を見に行くか、落語を見に行くか・・・・・その選択肢の中で「即興劇ワークショップ」を選んだのだから、良かった、面白かったと感じて帰っていただくことは大切だと思う。

Photo いろいろ書いたが、昔の友人だからあえて書いた。すごい取り組みには違いがない。

(写真:京都ワークショップより。「北山スギと大きく張った根」後方中央が内山氏)

ありがとうございます。私も、進行役自身が演じられればそれに越したことはないと思っています。「吉本新喜劇を見に行くか、落語を見に行くか」という選択肢の中で即興劇のワークショップに行く場合もあると思います。プレイバック・シアターやインプロは、私の中ではまさにそういう位置づけです。演じることを楽しんでいます。

「学びの即興劇」では何かテーマがあって、それを学ぶことが主になるので、演じることは単なる手段なのです。上手く演じよう、あるいは演じさせようとすることで、かえって肝心のテーマが抜けてしまうことも。でも、「演じる」と言うとどうしても「お芝居」の固定観念があるので、そこをどう取り払うか。う~ん! 「即興劇」と名づけるべきではなかったのか。でも、即興劇をするわけだし。う~ん! 悩む!

京都のワークショップで、私はそこをはっきり示すことができなかったのですね。つまり、何のために、今、演じようとしているのかということを。「感じてもらえるだろう」ではなく、はっきり言葉として示すべきでした。それが見えてきました。本当にありがとうございました。

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