ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

すぅさんとインプロ

2020-08-25 08:41:21 | 読書


すぅさんが本を出した。
『子どもたちとレッツ!インプロ!』
サブタイトルが〈誰もが「ここにいていい」と思えるばづくりのために〉
小学校での実践について書いている。
もと小学校の先生ならではの本。

ステキなところがいっぱい詰まった本だけれど、
何より「場づくり」に焦点を当てたところがいい。
そして「どういう場をつくりたいのか、子どもたちと一緒に考えよう」というスタンスが
インプロらしくて、そしてすぅさんらしくてとてもいい。

各章の間にちりばめられたコラムを通して、すぅさんがインプロとどのように出会い、
どのように成長してきたかも語られる。
私は最初にコラムを通して読んだ。
すぅさんは本当にインプロの人だなと感じる。

教師という立場で、子どもたちと一緒に考えながら場づくりをしていくことの難しさ。
評価をしなければならない教師には、
子どもとの関係のつくり方になかなか難しいところがある。
教師ではなくて、外部から入ってくる人だからやれることがある。

すぅさんが教師を辞めてインプロを職業としたのは、大変な決断だったと思うけれど、
そういうすぅさんだからこそやれることがあるんだ、とこの本を読みながら思う。
すぅさんは本当にインプロが好きで、またインプロの資質を持っている人なんだ。

第2章に場づくりで大事にしていることがまとめられている。
これにそって第3章では「オススメプログラム」が32も紹介されている。
その紹介の仕方も【ルール】【所要時間】【実際の進行例】【オススメポイント】【現場でのエピソード】【失敗談】【元ネタ】と豊富な実践経験から実に丁寧に書かれている。
インプロをやってみようとする初心者には、とてもありがたいことだ。

私にとって好ましいのは、その合間に「キーワードから語るこだわり」が書かれていて、
すぅさんがこれまでの経験の中で、自分がどんな場をつくろうとしているのかを吟味し、
選ぶ言葉が変わってきたことが分かること。これは6章にもつながる。
私自身のたどった道と重なって、とても共感する。

ただ、こういう実践を文字で伝えることの難しさも感じる。
特に第5章は、各小学校での実践が断片的で、もう少しまとまったものとして読みたかった。『演劇と教育』誌に掲載されたとのことだけれど、再録されても良かったのではないだろうか。
欲張りすぎとも言えるが。

最後にすぅさんとのコンタクトの取り方が書かれている。
この本を読んで「インプロやってみたいな?」と思う人はぜひ参加者の立場で体験をしてほしい。
すぅさんを招いてまず学校の先生方が体験することができれば、一番いいと思う。

できればすぅさん以外のインプロや、インプロ以外の演劇的要素をもったワークショップも体験されることをお勧めします。
そんな中で違和感を感じたり面白くない体験もすること。
そのことに「なぜ?どうして?」と考えること。
こういうことがないと、誰もが「ここにいていい」と思える場 の意味が深まらないだろう。
教師(ファシリテーター)から見える場と、参加者から見える場が違うというということ。
また同じ場にいても参加者一人ひとりにとって違うということを体験してほしい。

注釈に名前を載せていただいてありがたい。
お世話になったのはこちらだけれど。
すぅさんにはワークショップに参加させてもらったのはもちろん、大学の授業に来ていただいたり。

なんといっても忘れられないのは、すぅさんも書いているように
『ドラマと学びの場』のワークショップと本づくり。
あのメンバーがすぅさんときゅーぴーだったり、はねちゃんとゆりさんだったり、いろいろコラボして発展している。
私が介護疲れでひきこもり気分の時に、ワークショップの講師として引っ張り出してくれたのもすぅさんときゅーぴーだった。
この秋には、きゅーぴーとたかさんの新しい本が出る。これまた楽しみ。
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なるほどなるほど

2020-08-19 15:20:48 | 子どもと学ぶ


Oちゃんは昨日3歳になった。
おめでとう!

お姉ちゃんたちがウボンゴで遊んでいるのを見て、自分もやりたいという。
でも、なかなか難しい。
試行錯誤しているのを見ながら、うまくいきそうになると私は感心して思わず「なるほどなるほど」。
私に誘導されつつ、なんとか2つのピースが嵌った状態で、最期のピースをOちゃんが嵌める。
うまく嵌るとうれしそうに「ウボンゴ!」と叫ぶ。

誕生日のプレゼントにパパからプラレールをもらった。
今度はプラレールに夢中。
自分でレールを繋いでいくが、ちゃんと輪にならない。

私にやってほしいという。
私がレールを繋いでいると「なるほどなるほど」という。
言い方が私ソックリ!
3歳の孫に褒められている感じ。
なんだかおかしくて笑ってしまう。

Oちゃんはホントに楽しそうなので、Oちゃんと遊ぶのは楽しい。
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怪傑ゾロリ

2020-08-17 21:17:52 | 子どもと学ぶ

このところ工作はお休みです。


小学校の夏休みも今週で終わる。

子どもたちが宿題をかかえてやって来た。
本当のお楽しみは午後の水遊びだけど、ともかくは午前中は勉強する。

Sちゃんは読者感想文。
読んでいる本を見て
「あっ!怪傑ゾロリや」と言うと
「ふうみんも読んだことある?」

「Aちゃんのパパが小学校のとき読んでいたから、その時読んだよ」
「ふうみんが小学校のときは?」
「まだゾロリは生まれてなかったのと違うかな。作者は何歳やろ」

調べてみたら原ゆたかは私と同年だった。
「ふうみんが小学生のとき作者も小学生やし、ゾロリは生まれてないわ」

さてSちゃんの感想文。
みんなゾロリが大好きで、なんで好きかという話になり、
それを書いて完成!
一人で書くのも大事かもしれないけど、話し相手がいるから見えてくることもあるよね。

それぞれが自分の宿題に集中する時間と、みんなで話す時間と、気分転換にウボンゴなんかで遊ぶ時間と。
今朝は二時間学びました。
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『坂の途中の家』…どうすれば良い人間関係が紡げるのか

2020-08-08 09:32:48 | 読書

読みながら考えた。「対等な夫婦関係とはなんだろう」と。

夫の言葉によって、自己評価がどんどん低くなっていく専業主婦里沙子。
里沙子は裁判員の経験を通して、そのことに気づいていく。

里沙子の母親は里沙子を自分の分かる範疇に閉じ込めようとする。
少なくとも里沙子はそう感じる。
母親は主観的にはそうは思っていないだろう。
しかし、母親自身も世間体や自分の育ってきた環境の中で身につけた価値観から逃れられない。

里沙子はそういう環境から逃れようとして東京に出る。
結婚したいと思っていなかったが、陽一郎と出会い、この人ならと結婚する。
自分には育児と仕事が両立できるはずがないと、出産前に仕事をやめてしまう。
家庭・育児以外の場所があれば、里沙子の自己評価はずいぶん違ったのではないか?

いやどうだろう。
里沙子自身に、夫の価値観を優先するという考えがあれば、「家庭と仕事」を両立できないとよけいに自分を卑下したのだろうか。

夫のことばで傷つき自分は能力がないと自己評価を下げていく。
里沙子は裁判を通して、そうした自分に気づく。

夫にはもちろんその自覚はない。
おそらく里沙子の夫は世間的に言えば良い夫だ。
だけど里沙子は夫の愛を感じていない。

なぜか。

夫は里沙子をリスペクトしていないから。
この「リスペクト」を尊敬とか尊重とか書くと、どうも違うような気がする。
夫は支配的で、自分の価値観を押しつけようとする。しかしその自覚はない。

人間、お互いにリスペクトが必要だ。
夫婦や親子が同じ屋根の下で良い人間関係を築くには絶対必要だ。
だが夫婦関係において、夫は妻をリスペクトしない。
それはお互いさまと言うかもしれない。
けれど妻は相手に期待できないので、家庭がうまく回るように、基本的に自分が我慢の立場に回る。
そうでない家庭ももちろんあるだろう。あって当然だ。
だが家父長制度からまだ逃れられない日本の多くの家庭では、妻が我慢する。
夫はその価値観にからめとられ自分の価値観の押しつけや支配的な態度に気づけない。

妻が我慢しなければ言い合いになる、会話がなくなる、別居する、経済的に可能なら離婚する。

離婚を経験した友人が「私が我慢すればよかったのかしら」と言ったが、もちろんお互いに我慢しなければならないことはあるだろう。だが自分が一方的に我慢していると感じたなら、その我慢に限界が来るのは当然だ。

リスペクトするということは、お互い対等だということ。
まずは相手の言うことを認めるということだ。これは賛成するということと同じではない。賛成できれば賛成すればよいが、どうでも良いと思っても、あるいはそんなことはおかしいとか、「こいつバカか、こんなことも知らないのか」と思っても、一旦は「そうなんや」と言う、ということ。たとえ相手が自分の言ったことに間違ってとんちんかんなことを返しても、バカにすべきでない。自分の伝え方が悪かったのでは、と考えてみるべき。相手が何を言っているか分からないときも。まずは「あなたの話を私はちゃんと聞いたよ」と知らせるのがこの「そうなんや」なのだ。「ふうん」でも「ふんふん」でも構わないのだが。

「バカか」などとそしったり、気に入らないからとすぐに大声出すとかは、最低!
自分のほうが先にそしったり切れたりしておいて、こちらが大声出したとそしるのも最低!
でも、本人は自分が相手をそしっていると気づいていないことも。
そういうとき、やはり「私はそれが嫌だ」と言うべきだと思う。

私たちは家庭でこういった良好なコミュニケーションを学ぶ機会がない。
私も夫も、その両親が楽しく会話しているところをあまり見たことがない。
うちの場合は、父が一方的に話し、母は聞き役。
夫の親は、いつも口喧嘩ばかりしている夫婦だった。

うちの子どもたちはどうだろう。
長男のほうは妻に気を配っているようにみえるが(まだ結婚2年目だし)、次男のほうが配慮しているようには見えない。まあ、子どもとはいえよその夫婦のことは分からないけれど。

家庭以外でも学ぶ機会はない。学校ではひたすら「聞く」ことを教えられる。
リスペクトをもって相手を受け止めることは教えられない。
一方で、人間関係を壊したくないと、言いたいことも言えず一方的に受け止める関係を続けることも。
人間、言いたいことを言わなければ、自分が何を言いたいかも見失ってしまう。

でも、最近の教育は多少変わってきてる。少なくとも大学へ行けば、一度はコミュニケーションについて学ぶ機会はある。福祉関係なら絶対だ。
学んで身につくかどうかは、人それぞれだが。
というか、生育過程で刷り込まれた価値観を見直すことは容易ではなく、人間関係に上下や支配・被支配を持ち込もうとするのは避けがたく、相手へのリスペクトを持ち続けるのはカウンセラーのようなコミュニケーションの専門家ですら難しいことではある。
ただ、そういう自覚や戒めがあるがどうかは大切だ。

学ぶ機会が無いより有るほうが良い。
子どもが生まれる際に両親学級があるが、そのときに夫婦でコミュニケーションについて学ぶ機会があると良いのではないかと思う。

これまでの人間関係を顧みると、『ドラマと学びの場』のワークショップの企画、実施、本の作成の過程は、本当に楽しかった。男女半々、20代から50代までほぼ5歳刻みの世代も違うメンバーだったが、全員が「相手をリスペクトする」ということをやっていたのだなあ、と今になって思う。これは本当に人生の宝だ。
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古いTシャツでわらじを作りました

2020-08-04 11:35:06 | 日記・エッセイ・コラム


この夏、以前にもらった手作り布わらじをスリッパのかわりに履き始めて、その気持ち良さに手放せなくなりました。
けれどたまにはそのわらじも洗いたいので、自分でも作ってみることに。

まず材料を買いに行ったのですが、5.5センチ幅のソフトウールの布というのが探しきれず、古いTシャツを裂いて使用することに。
最初からハードル高いなあ。

本を見ながら作成開始。
一日目夜。Tシャツを裂く。3枚分。

二日目。
爪先から全体の三分の二ぐらいまで。
片方ずつ作ると色のバランスがとれないかもしれないので、両方を交互に進める。

三日目。
完成!一度目でこのできばえ!すごい!
途中で分からなくなってやりなおしたりしたので、計10時間ぐらいかかった。

履き心地抜群です。
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