ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

渡部淳先生のこと

2020-01-28 09:44:36 | 日記・エッセイ・コラム
渡部淳先生が亡くなられました。

2020年1月20日午後10時13分。68歳。
9時ごろいつもどおりお家に帰られ、「着替えてくる」と2階へ上がられたところどすん!と大きな音がして、奥様が見にいかれたら倒ておられたとのこと。救急搬送むなしく亡くなられた、というのが、私の聞いた話です。

まったく急な話で信じられず、お通夜、告別式に列席させていただきました。
お通夜には遅れて参加し、最後のご焼香だったかもしれません。
ご遺影に向かって「なぜ」と思うしかありませんでした。
でも、その後獲得研のみなさんにお会いし、みなさんが銘々淳先生のやりたかった仕事、やり残した仕事について、「こうしたい、ああしよう」と語っているのを見て、「亡くなられた」と納得すると同時に、淳先生の蒔いた種が、これからあちこちで花開くだろうと思うと、うれしくて泣けました。

告別式では、気持ちの上でもお別れすることができました。
お棺の中の先生はブレザーでした。倒れられた時の服装だそうです。
先生のお顔を拝見し、すでにこの世にはおられないと実感しました。

淳先生に最初にお目にかかったのは、2007年3月だったと思います。
東京でのドラマケーション指導プログラムの研究開発事業報告会でした。
淳先生が司会で、何か話が混とんとしてきた状況で「混とんとしてきましたね。こういう状況、私は好きです」と笑っておられたことが印象的でした。
終わってから声をかけさせていただいたところ、「このあと何人かで食事をするのでご一緒に」と誘っていただき、食事のときに獲得研の話を聞かせていただいて、即入会となったのでした。
獲得研の発足が2006年4月だそうで、その約1年後ということになります。

とはいうものの、会の活動は東京中心で、私は当時沖縄、その後京都ということで、獲得研への参加は合宿、セミナー、たまに例会と年に数回程度でした。
それでも繋がってこれたのは、常に私のやれることを考えてくださって、セミナーのワークショップファシリテーターや執筆など割り振っていただいたおかげです。「沖縄でひとりよがりにがんばっているへんなやつ」をおもしろがってくださったのでしょう。

この獲得研で、渡辺貴裕先生と出会い、吉田真理子先生と出会いました。これは、私にとって大きな財産となりました。
貴裕先生との出会いによって、私の大学での授業は大きく影響を受けました。貴裕先生の論文は学生にも届く言葉で書かれていて、授業で学生と論文を共有することで授業の質が画期的に向上したと思っています。貴裕先生は私が最も尊敬する先生のおひとりです。

真理子先生とは、もう単に仕事上の関係だけではなく、仕事を離れても生涯心に残る関係となりました。
そのぐらい、ふたりで創ってきたものがあります。

そういった関係を繋ぎ、見守ってくださったのが淳先生でした

思えば、最初に真理子先生とペアでワークショップの担当を割り当てられた時(2012年3月「トム・ソーヤ」のWS)、淳先生はいったい何を考えているのか、東京と京都、英語と理科、この組み合わせで何をせよと…と、とまどったものです。それまで個人的に真理子さんと話したこともありませんでした。内容はまったくのおまかせ。
だからこそ、ふたりで何をしたいか踏み込んで話し合ったのでした。
淳先生も、さすがにこのペアがここまで続くとは思っておられなかったでしょう。

児童・青少年演劇フェスティバル(当時キジムナー、今はリッカリッカ)をプロデュースされている下山久さんに会いに、沖縄南部を淳先生運転の車で下山さん経営の喫茶店にはるばるドライブしたのに閉店だったこと。
京都へ来られた淳先生と岩橋由莉さんと一緒に食事して、当時私の抱えていたトラブルを聞いていただいたこと。
真理子さんと淳先生と3人で喫茶店でお目にかかったこともありました。

このブログも熱心に読んでいただいていたようです。
昨年12月の例会で私の新しい仕事の話になったとき「失敗ばかりしているようだ」と笑っておられました。
この12月の例会も、『〈トム・ソーヤ〉を遊ぶ』の出版お披露目をかねてワークショップをしないかと声をかけていただき、夏のセミナーの「happy」を真理子さん主導で実施したのでした。
先生は、子どもの頃の熟柿の思い出を語っておられました。
happyなワークショップでした。

いろいろ思い出されます。
『〈トム・ソーヤ〉を遊ぶ』の出版記念のささやかな打ち上げに参加していただく予定でした。
それは叶わなくなりました。残念です。

淳先生のご冥福をお祈りします。
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「私、失敗しないんで」

2020-01-15 14:27:53 | お仕事


お惣菜の仕事。

今日は朝の陳列で事件。
私は7時半からの勤務だけれど、だいたい10分前ぐらいには仕事にかかる。
同じ陳列の仕事をしている人たちは、もっと早くに来ていることが多く、私は途中から加わることになる。

ところが今日は私が早かったのか、他の人が遅かったのか、最初からすることに。
「まずケースのラベルを剥がして」と言われて剥がしたら、
「水産のものまでラベルを剥がしたので、どれが水産のか分からなくなった」と言われた。
ありゃりゃ! ラベルを剥がしてと言われれば、みな剥がせばよいと思うじゃないですか。

これでしばらく時間ロス。

陳列の手順。
まず、残っているものの日付チェック。賞味期限切れがないかどうか。
ワゴンの中のケースのラベルを剥がす。
サラダ、惣菜、麺類・汁物、弁当、寿司に分けながら、ワゴンからケースをおろす。
見栄え良く並べる。
賞味期限の早いものが前にくるようにするが、そればかりが前に並ばないようにも気をつける。
値段表示やポップが適当な位置にあるかどうかをチェック。
ケースをかたづける。
入荷一覧表を所定の位置へ。別の部門のものはその部門へ持っていく。
以上

一応、どこに何を並べるか、表をもらっているけれど、
季節やイベントで、そのころにふさわしいものがあるので、表にないものもたくさんある。
また、翌日のお天気やイベントを考えて発注担当者の裁量で発注されるため、
日によってはとても数が多い時や、少ない時もある。
今日は70分かかった。
これを40分ぐらいですませられるようにしたい。

そういうわけで、今日はだし巻きの本数が少なかったにもかかわらず、11時半までに終わらなかった。
11時半までにその日つくらなければならないものをつくって、
後片付けをして、
12時ちょっと過ぎに終わるというのが理想だけれど、なかなか実現しない。

結局1時前になった。
後片付けをどこまでやるか。
片づくまでやろうとすると、ずいぶん超過勤務になってしまう。
同じ午前勤務の人が一所懸命に片付けているのに、
私だけ帰りますとも言いづらい。
午後の人に余裕があるなら、午後に任せたいが…。

以前、ナスなしナスのミートソース焼きをつくってしまった件。
パート・バイトの中でも、経験豊富でリーダー格のOさんが私に
Oさん「私、この前ソースを入れ忘れてスパニッシュオムレツを焼いてしまったわ」と。
Oさん「全部捨てて、また作り直した」
私「そんな話を聞くと、ホッとする。私、失敗ばかりだから」
Oさん「完全な人はいないよ。誰でも失敗するから」と。

私のことを気遣って、わざわざ言ってくれた。
こういう人がいてくれると、ほんとに助かる。

「私、失敗ばかりなんで」ではなくて「私、失敗しないんで」と言ってみたい。
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特製ハヤシライス

2020-01-08 15:48:54 | 子どもと学ぶ

小学校2年生から4年生までの孫たち女の子4人が、手袋に引き続きプレゼントしてくれました。

かずさんのほうはくじびきコーナーがあって、くじはLOVEとか大好きとか書いてあるのに、
私もかずさんもどういうわけか数少ない「はずれ」を引いてしまいました。

私のほうは、開けて読む秘密の?お手紙がふたつ。
私たちを楽しませようと、いろいろ工夫されています。

それにしてもかずさんは「大大~すき」で、わたしのほうは「ありがとう」って…。
かずさんはよく一緒に遊ぶし、この前はスケートも一緒に行ったし、
めちゃ好かれているんですね。

「きょうのハヤシライス」とあるのは、学習会と称してハヤシライスをつくったから。
まず材料がどれだけ必要か、買い出しでは予算に収まるか、
そして切ったり炒めたり煮たりするのも楽しいお勉強。
家では火を使った料理はなかなかさせてもらえないようです。

市販のルーを使ったのですが、牛肉がたくさん入っているのでとても美味しい。
そのかわり材料費が米代をのぞいて、ひとりあたり400円もしました。
これをレストランで食べたら、1200円かな?

めっちゃ、美味しかったです。子どもたちの食欲はすごい!
私たちをいれて6人でごはん2合では足りませんでした。
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読んでほしいけれど…

2020-01-03 09:20:40 | 本・論文・雑誌


明けましておめでとうございます。
元旦は恒例の初もうで、おみくじ。
今年は大吉でした。昨年は凶。
凶なら精進し、吉なら謙虚になれということですね。

30日に立命館大学沖縄研修卒業生の同窓会に呼んでもらいました。
卒業2~4年といった人たち。教員が多いけれど、それ以外の職業についている人もいる。
沖縄研修の良いところは、学年を超えて集まれること。
それぞれがそれぞれのところで、悩みつつも頑張っている。話を聞いていて嬉しかった。

新しい本の話もしたかったけれど、彼らの話を聞いているうちに、今その時期じゃないと思いました。
彼らのほとんどは私の授業は取っていないし、演劇的な手法を経験したこともない。
経験があれば「ああ!」と思うところはあるでしょうが、なければ今読んでもピンとこないかも…。

とにかく、日々に精一杯というのが伝わってくる。
教育ってなんだろう、教師ってどういう存在なんだろう。
そういうことに深いところでそう考え始める時期は、もう少しあとかな?
そういうときに、読んでもらえたらいいな。
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