今年度、いつものごとく物事を熟考しないで実行してしまう私は、団地の管理組合の会計を引き受けてしまいました。
順番に回ってくる役は断わることができず、会計は同居の次男が簿記ができるのでやってくれると思ったから。
毎月、帳簿の整理を息子と二人でするのですが、私はミスばかり。「会計なんて、絶対むいてへんわぁ~」と嘆いていると、
息子「教師になるとき、向いていると思ったのか?」
私「いやあ、今でも向いてるのかどうかよう分からんなあ」
息子「そんなもんやろ。向いてるかどうかやない。引き受けたらやるしかないんや」
私「そうかぁ?」
息子「社会貢献してるんや。そう思ったらやれるやろ」
息子の方が、なんぼかしっかりしています。伊達に鳶をやっていたわけではないな。あと半年、やるしかない!
教育方法学会で、報告をさせていただきました。
私は、ドラマという手法がコミュニケーションにとても優れた方法で教育に有効にもかかわらず、現場の教員がそれを導入するにあたって、何が抵抗になっているかということをディスカッションしてみたかったのですが、
ラウンドテーブルでの参加者の発言が、その意味でとても面白かったのです。様々な感想が出されたけれど、それ以上に突っ込んで話ができなかったのは残念!
要は、教師がやってみようと思えばできるけど、やってみようと思えなくしている原因は何? 外的要因として人数、場所、時間などの問題。内的要因としては、演劇になじみがないということもあるけれど、もっとも大きいのは教師の想定の枠から子どもたちがはみ出るというこではないだろうか、と思いました。何が起こるわかないからこそ、ドラマは面白いのだけれど。
あるいは、逆にドラマのもつある種の威力をよく知らないで素人が用いることへの反発もあります(今回はでなかったけれど)。踏み込んではいけないところを、踏まえておくべきということには、私も賛成。
ところで、難しいのはすばらしい実践をみると「これは特殊なケース」となりがちだということ。逆にうまくいかないと「やはりドラマの手法ではダメでしょう」ということになる。そういう意味では、8月の大阪演博での「ドラマによる授業を体験しよう」ワークショップは、とてもよい取り組みだったと思います。それぞれが、「私だったらどうするか」と考えたのでした。
思ったのですが、教育方法学会で「教育方法は教育を変えられるか」をテーマにシンポジウムをすると良いのでは。いろいろな方法を提唱している人たちが、自分たちの方法の自慢大会をして、それが教育を変えることとどう繫がるかディスカッションするのです。盛り上がると思うのですが。
今回の学会で、一番盛り上がったのは(私としては)、飲み会でした。藤井さん、最後までお世話くださってありがとう!
ところで、発表の日、パワーポイントを使う人は八時半に会場へということだったのですが、携帯のアラームがサイレントになっていて不覚にも寝坊。大変ご迷惑とご心配をかけてしまいました。
充電不足でしばらく携帯が不通になっていた事もあって、息子に連絡しないまま出かけてしまい、行方不明の母親を心配してくれたようです。息子とは生活時間が違うのですれ違いが多いのです。「こちらから電話が入っているのに気づいたら、せめてメールでどこにいるかぐらい連絡してな」と言われてしまいました。
各所にご心配おかけして、すみません。オーバーワークぎみで脳がついていってないようで、何かがいつも抜けています。
心理劇学会のシンポジウムは、面白い形式でした。
世代別御代拝借型テーブルディスカッションというもので、若手、中堅、ベテランの各3名が、それぞれお題に基づいて井戸端会議(高良先生によるとツイッターだそう)をするというもの。例えば、「心理劇実践の場において、もっとも大切にしていることは何ですか?」というお題で、若手が4分間、井戸端会議。次に中堅が4分、ベテランが4分。4分経つとマイクを取り上げられるので、それ以上は話せません。
それぞれのグループで三人が三角形になっていて、この三角形が適度に離され直線上に配置され、それをギャラリーが楕円状に囲む・・・という説明で、どういう状態か分かってもらえるでしょうか?
お題は6つ。パワーポイントで提示され、全体の司会進行は高良先生。この形を考えたのも高良先生。
お題の中に、「監督は訓練次第で、誰にでもなれるものですか?もともとのセンスは関係ある?」というものがありました。私の考えは、「サイコドラマの監督は努力しても誰にでもなれるものではない」。だって、難しいもの。学ぶ方法も、盗むしかないという感じだし。私は落ちこぼれました。まちがいなく。
例えば、心臓外科の名医は、訓練だけではないと思う。もし、手術をしてもらうなら、やはり腕のいい人にしてもらいたい。サイコドラマも同じ。腕のいい人にお願いしたい。心臓外科以上に、センスが問題だと思います。
ドラマの方法はいろいろあって、誰でも訓練次第で扱えるものから、そうでないものまでいろいろあります。サイコドラマは、誰でも扱えるしろものではありません。心理劇という言い方をするととても曖昧になるのですが・・・。
6題の世間話が終ると、まず、グループに向けての質問を受け付け。次にギャラリーは若手、中堅、ベテラン、どれに属して良いか分からない(あるいは属したくない)の4グループに分かれ、同じグループで3~4人ずつで話し合い。さらに、全体に向けて発信したい人の意見や感想を聴き、シンポジウムが終わりました。全員参加型シンポジウム。
シンポジストとして参加していた私には、あっという間の2時間でした。
シンポジストの依頼があったとき、心理劇をやっているわけでもない私、しかもまだドラマ経験10年ほどの新人なのに中堅グループとは・・・と、思ったのですが、高良先生の「大会はお祭りですから気楽に楽しんで」のことばに惹かれて、引き受けてしまいました。
でも前日は、翌日どうなるかと思うとほとんど眠れず。不覚にも楽しみにしていたエムナー先生の講演で少し居眠りしてしまいました。
会長講演(高良先生)から始まって、飲み会も含め、最後まで充実した大会でした。