ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

「水のダンス」

2009-06-27 13:25:15 | ワークショップの報告

小学校の教員を目指す人たちの演習授業で、ドラマ教育の紹介をしてほしいといわれました。

打ち合わせの中で、理科の授業に使えるものということになり、「水のダンス」をつくることに。

受講生は5名と聞いていましたが、他の授業からの参加があり、計8名。

自己紹介と今日の授業の目的を話した後、まずは水滴をじーっと観察するところから。コロンとした水滴と洗剤を混ぜてダラーっとした水滴を見比べて、水の結合に思いを馳せます。

次にダンスをするためのウォームアップとして、「背中でおしゃべり」「ワン・ツー・ポーズ」「ワンタッチ・ゴロゴロ」「振り子」。

次に鬼ごっこ「H2O」で水分子を3人で作った後、4人ずつグループをつくりました。

「今度は一人一人が水分子になってもらいます。固体・液体・気体を4人で表現してみましょう。まず固体の水、氷になってみましょう。グループで相談して、やってみて。相談時間は1分です。」

「では一緒にやってみましょう。せーの」で2グループが同時に固体を表現。手をつなぎあったり、ぴったりくっついたりしています。「固体はまったく動かないのですか?振動してませんか?」と声をかけると、手を振ったりしていました。

同様に、液体、気体を表現。気体はそれぞれが気ままに動くグループと、動き回りながら出会うとハイタッチをして分子の衝突を表現するグループと。

「じゃあ、今度は三態変化をストーリーにしてダンスをつくってみましょう」。小道具として懐中電灯、タンバリン、色々な布を用意しました。

最初に発表したグループは、懐中電灯を熱源として照らし、固体から液体、気体への変化を見事なダンスで表現しました。気体になるときにポケットから布をとりだし、分子の運動の激しさを表現。最後は円になって後ろへ布を投げ、後ろへ反り返って大きく手を広げたポーズで終了。水分子になりきると同時に、芸術作品として仕上がっていました。

二つ目のグループは、液体が冷蔵庫に入れられ氷になり、少女のおやつのジュースに入れられ液体になり、今度は熱せられカップ麺のお湯となり、少女がカップ麺を食べて終了しました。お湯になるときはピンクの布を持ち、そこから離れていくことで、一部が気体になることを表現しました。生活の中での三態変化を表現したのでした。

説明的でなければ言葉を使っても良いと言ったのでのですが、このグループの場合、「声を使ってもいいけれど言葉はだめ」と言ったほうが、より観る側の想像力を刺激する作品に仕上がったかもしれません。

人数が少なかったこともあり、ここまで70分ぐらいで終わってしまいました。あとは、今日の感想を聞いたり、ドラマ教育の説明をしたり。「授業で使えそう」と言ってくれたのは嬉しかったし、担当の先生が「後期は、この手法を生かした実践を学生たちにやってもらいたい」と言ってくださり、楽しみです。

時間があるなら、即興で音楽をつけるともっといいな。

「水のダンス」はプランとしては暖めていたけれど、こんなに素敵な作品に仕上がるとは。チャンスを与えてくださった皆さんに、感謝!

ドラマの授業は、講義形式の授業にはない、一緒に作り上げる喜びがあります。疲れを忘れます。

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総合演習

2009-06-20 04:10:05 | 授業・教育

毎日がめまぐるしく過ぎてゆきます。バタバタしているうちに、何かをなくすことが多く、まいっています。まったく「忙」の字のごとく、心まで亡くしそう。

そんな中で、総合演習の授業は心のオアシスになっています。

先日は立命館大学の総合演習で、初の学生の授業。ESD(持続可能な発展のための教育)をテーマに授業をすることになっています。

せんだみつおゲームから始まって、父・母・子(5歳ぐらい)のグループに分かれてワンシーン。次にこれを父・母・子どもの3人に組みなおして、家の中でのワンシーン。次に、電気もガスもないものとしたら、このシーンの状況がどう変わるかを演じる。

いったい何がテーマなのだろうと思っていたら、地球温暖化だった。

電気やガスがなくなれば、生活がとても手間のかかるものになると実感する一方で、家族の大事な時間がかえって便利さの中でなくなっているのかもしれないと考えさせられた内容でした。

また来週がたのしみです。

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誰のケータイ?

2009-06-11 14:05:49 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真:ラヴリーな新しいケータイ)

来年から古いケータイが使えなくなるそうで、かなり傷んでもいたので新しいのと換えました。

操作も違うし、音も変わって、自分のケータイが鳴っていても気づかない。あとで慌ててかけなおしたり。留守電の聞き方が分からなかったり。

年をとると「新しい」ことに弱い。保守的になるはずです。

今朝は早くからバイブな音が鳴り続け。息子に「誰かから電話かかってるよ!早よ起き!」というと「おれのじゃない」。おれのじゃないって、誰のよ。

昨日まで使っていたケータイのアラームが鳴っていたのでした。セットしていたのを忘れていた。息子よ、ゴメン!

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講演:学校に何ができるか―ホッシーの教育観

2009-06-05 14:45:56 | お知らせ

7月4日(土)10:40~立命館大学衣笠キャンパス 16:20~びわ湖草津キャンパス

詳細はメールでお問い合わせください。drama-ee☆cap.ocn.ne.jp(☆を@に変えてね)

ホッシーこと星野人史さんは珊瑚舎スコーレhttp://www.sangosya.com/の代表=校長先生です。

私は、珊瑚舎スコーレの講師をさせてもらって、「学ぶってなんだろう」「教えるってなんだろう」とずいぶん考えさせられました。成績評価の縛りがないところで成り立つ授業本来の姿というべき授業(もちろん評価しないということではありません)。そこでは、あまりにも教師は(いや、「私は」と言うべき」)無力です。けれど、自分の無力を自覚したときに、生徒との新しい関係が生まれます。

新しい学校の形が、珊瑚舎にはある。新しい学校は、実は学校の原点なのかもしれません。

ぜひ大勢の方に珊瑚舎スコーレを知ってもらいたい。とりわけ、学校の教師を目指す人たちには。

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獲得研2009春セミナー・・・ティーチャーインロール

2009-06-04 10:16:39 | ワークショップの報告

3月に東京で獲得型教育研究会のセミナーでさせていただいたワークショップの報告をすっかり忘れていました。後ろをふりかえることなく走っていたか、ダウンしていたか、どちらかでここまで来てしまいました。

皮肉にも、新型インフルエンザで休校になったことで、ちょっと一息ついたという感じ。

またまた貴重な体験をさせていただきました。「ヤンバルの自然」のワークショップをさせてもらったのです。このワークショップは、今までの私のやり方とかなり違って、ドラマ教育の手法を取り入れています。ヤンバルの自然を紹介したいということと共に、ドラマの手法を紹介するワークショップでもありました。でも、獲得研に来るメンバーに、ドラマの手法を私が紹介するというのはとてもおこがましいわけで・・・。結局、ヤンバルの自然を紹介するということと、ドラマの手法を紹介することがどちらも中途半端になっていたのではと反省しました。

果敢にも、ここでティーチャーインロールに挑戦したのですが、難しい!

「本場イギリスでもティーチャーインロールを使う人と使わない人に分かれる。それは、教師が自分を見せるということに走りかねないからだ」という話を後日聞いて、そういう面もあるのかと思いました。

私は恥ずかしさがぬけ切らないのです。ティーチャーインロールをしようと思うと。意識しすぎるのでしょうね。あまり無理しないで本来の自分のやり方の戻ろうと思うこのごろです。

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