ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

ファシリテーターの権威

2007-12-30 13:30:03 | 日記・エッセイ・コラム

即興劇の進行役に権威は必要か?

親は子に対して、教師は生徒に対して、ワークショップの進行役は参加者に対して、指示を出すことが良くあります。このとき、権威が必要なのでしょうか?権威的であることが、支配へと結びつかないでしょうか?

権威とは何でしょう。

その中には、
進行役の自分自身への信頼(少なくとも自分が好きだと思えること、これは裏返せば参加者への信頼でもある。参加者の不安を取り除く包容力に繋がる)
その時点でそのワークショップなりプログラムなりをする必要性への確信
が含まれるでしょう。これらは進行役にとって必要なことだと思います。

けれど、
相手を自分の思い通りに支配しようと思うこと
自分を良く見せようと思うこと
は、必要ない。これらは、権威というより独裁というのではないでしょうか。

しかし、親も教師も進行役も、独裁的になりやすい存在だということは言えます。私自身、参加者の思いがけない動きに動揺してしまうことがあります。余裕があれば、その動きを次につなげるのでしょうが、時には強引に自分の方向へ引っ張ろうとしていることがあります。かっこよく見せたいという心理も働きます。参加者の目線を忘れないためにも、時々自分が一参加者となって他の進行役から学ぶことはとても大切だと思うのです。

私にとって激動の2007年が暮れようとしています。本を出版したことで、即興劇について新たな世界が拓けていくように思えます。

同時に、沖縄という地に住んで、世界の平和について悩む日々でもありました。

全世界の、特に子供や若い人々に希望の未来が拓けることを願っています。

良いお年を!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマと料理―「学びの即興劇」はスキル?

2007-12-26 12:46:04 | 日記・エッセイ・コラム

ある人から、自分の実践を検討するために、「対象が違ってもいつも同じ方法で実践することを試みたらどうか」と提案していただきました。「なるほど」と思います。

けれど「学びの即興劇」http://www.drama-ee.net/は、対象が変わるとそのグループの必要としていることが異なってくるので、テーマも変わってきてしまうのです。一方で、いつも同じテーマでドラマ・ワークショップを展開しておられる方もあります。そこで、気がついたのですが・・・。

ドラマは私にとって教育のためのひとつの方法です。

料理に、煮る・焼く・蒸す・・・と様々な方法があるように、教育にも様々な方法があります。
学習にドラマを使うことを、「焼く」に例えてみましょう。

夏に体験したコービー先生の「灰色島と緑島」のワークは、ピザに例えることができます。

「おいしいピザの作り方」のレシピの基本は決まっています。台生地とソースをつくり、チーズも含めて順に重ね、オーブンに入れて焼きます。トッピングは時々に応じて変わりますが、おおむね手順は決まっていて、繰り返すことができます。

「灰色島と緑島」は良くできたレシピなので、繰り返して使用することができます。

「学びの即興劇」は、「フライパンで焼く」という方法だけです。「フライパンで焼く」場合の、ポイントを述べているだけ。何を何とあわせて、どのように味付けて、どういう手順で焼くかは決まっていない。

「学びの即興劇」を使った、おいしいレシピを作るということが、これからの私の課題なのかもしれません。

日本大学の渡部淳先生が、メソッドとスキルということをおっしゃっていました。「技法と技術は違う」と。英語の知識がないので確信はないのですが、「灰色島と緑島」は体系的なメソッドであり、「学びの即興劇」はひとつのスキルなのだろう。

この年末に、何人かの方とドラマについて語る機会があり、ふとそんな風に感じたのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第10回「学びの即興劇」研究会

2007-12-20 00:30:27 | お知らせ

年末に新年会の話です・・・。
新年会をかねて、「学びの即興劇」研究会をもちます。第10回というのも、きりがいいですね。

ファシリテーターは雄功。
雄功は教職総合演習の2期生。今は高校の国語の先生です。

研究会:1月18日(金)19:00-21:00 宜野湾セミナーハウス(中部商業高校から琉球大学向け約100m)

新年会:同日21:30-23:30 琉球苑(沖国大向い長田向けすぐ)

予定しておいてくださいね。詳細は、また後日。
研究会だけでも新年会だけでも、参加歓迎。参加できる方は、ご連絡ください。
drama-ee☆cap.ocn.ne.jp(☆を@に変えてね)

では、よいお年を!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立命館大学の学生の感想

2007-12-18 22:54:30 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、11月23日の立命館大学での授業の感想が送られてきました。

学生たちは、授業の意味をとても深く理解してくれたようです。感想を読んでいて、嬉しく思いました。

一方で、本来ならもっと時間をかけてやるところを、90分でやってしまったので、やはり消化不良の部分もあったようです。それでもこなしてくれたのは、教職を目指す学生たちの、意識の高さでしょう。

90分で出来ることは限られています。でも、例え不十分でも、体験しないよりはしたほうが良い。そう思いました。教師になった時に、「ああいうやりかたもあったなあ」と思い出せば、具体的なことはそれからでも学ぶことは出来るでしょう。

同時に、90分でこのようなワークショップをするときの改善点も見えてきました。

立命館大学の学生に、またまた感謝! そして呼んでくださった小野先生にも!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心理劇と学校教育

2007-12-17 22:48:04 | 日記・エッセイ・コラム

日本心理劇学会の研修会と大会が、12月14~16日(2007年)沖縄(いずみ病院・いずみ苑)でありました。今回は大会の運営委員という立場で参加させていただきました。ドキドキハラハラや「失敗した!」と思うこともあったのですが、とはいっても言われたことをすればよい身分だったので、大変だったと言うより楽しい経験でした。

一方で発表もさせていだきました。今回は、「リーダー研修と学びの即興劇」について報告し、ドラマにおける教育と治療の境ということを疑問点として提起させていただきました。治療・臨床の方にとっては、あまり意識にのぼりにくいテーマだと思います。

実は、ドラマ教育の方にとっても意識にのぼりにくいテーマかもしれません。

けれど、ドラマは場合によっては人を傷つけます。治療臨床の方は、それは良く分かっている。

ドラマ教育、とりわけ演劇関係の方には、あまり意識されていないように思えます。もちろん、人によるのですが。別に心理に関わるようなことを扱っているわけではないので、意識しないですむとも言えます。

でも、学校教育にドラマを普及しようとするとき、うっかり知らないで人を傷つける分野に入り込まないために、治療と教育の境は意識しておいたほうが良いと思うのです。

学校教育でのドラマを「癒し」と位置づけている文に出会ったことがあります。私は「それは少し違う」と思います。結果として癒されることはあるでしょう。けれど、学校教育にドラマを持ち込む目的は「癒し」ではないはずです。そういう位置づけに「危険」を感じるのです。

今回、わたしのこんな思いを受け止めてくださる方があると知りました。個人的には、これが、今回の学会での最大の成果でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする