ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

居眠り

2024-11-29 09:37:18 | 日記・エッセイ・コラム
55歳で新しい仕事に就いたころから、昼食後に居眠りする自分に気づいた

授業ではさすがに居眠りはできない
けれど、頭が重く授業にキレがなくなるので、
13時からの授業の時は、昼食はバナナ1本ぐらいにとどめて、
終わってから何かをつまむことにしていた

会議だったりすると、
プロジェクター投影のために電灯が消えると
気がつけば寝ていた

今は仕事がないので、昼食後に居眠りをしても何の問題もない
何の問題もないのだが
先日「歴史探偵」(NHKテレビ)で宮沢賢治をとりあげるというので
録画を見ていたら
途中で寝てしまった

気がついて、観たところまで戻して
観ていたけれどまた寝ていた
二度も同じことをしてしまうなんて初めてだ

先日『星の王子様』の朗読劇があったけど
うぬぼれやと酔っ払いのところがなくて
そういう演出かと思ったら
友だちは「ちゃんとあったよ」という
客席に座っていて寝てしまうなんて

膵臓かなにか知らないけれど
どこか弱ってるんだろう

とにかく、昼食後ニ時間から三時間は要注意
午後のお芝居やオペラも気をつけよう
昼食を食べ過ぎないように
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103万円の壁

2024-11-23 07:33:09 | 日記・エッセイ・コラム
扶養控除を受けるためには扶養対象親族の年収が103万円以下でなければならない。
これが103万円の壁と言われている。
これを178万円にするということが話題になっている。
国民民主党と自民党が連合する取引に使われている。

103万円は1995年に定められ、それから最低賃金が1.73倍になっていることが178万円の根拠だそうだ。

未成年の扶養は分かる。成人でもまだ学業についている間の扶養も分からなくはない。
けれど、妻を扶養家族とするのはどうなんだろう。
もし何らかの事情で成人であっても働けず収入が得られないとしたら、その人の生活を保障する制度は必要だろう。けれど、働いているのに扶養というのはどういうことか?

夫が働いて収入を得、妻は働かずに家事育児をする。
妻の場合、その前提に立った扶養家族ではないだろうか。
そうして扶養の立場にいることで、DVに遭っても離婚に踏み切れない。

お総菜の仕事をしていたとき、パートの人たちが103万円を超えないように休みをとって調整していた。
最低賃金が1,100円として、1日5時間月に24日間で約160万円、あるいは1日8時間月に15日間でも約160万円。逆に178万円を月20日間で計算すると、一日約6.5時間となる。178万円になれば、これだけの長時間を最低賃金で働かされるということだ。

これだけ働けば自立して暮らせる賃金が得られても良いはずだ。
扶養を178万円に引き上げることが、働く人にとってより良き改善になるというイメージが持てない。それよりもっと抜本的に見直さなければならない税の取り方と分配の問題があると思う。
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ただ「いる」だけのこと

2024-11-22 09:03:16 | 読書
『居るのはつらいよ』東畑開人(2019年発行)
気になってはいたものの、漸く読めた

精神障害者のデイケアの場について書かれている。
主人公はセラピストで、そこでケアに関わった。

小説ではないので、主人公という言い方はおかしい。
著者と書くべきだろう。
けれどまるで小説のように読める。
主人公の成長譚でもあるからだろう。

私はボランティアで障害者の方に関わっている。
障害に見合ったケアをされていないと感じることが多々ある。

この本を読んで、 現代の経済社会の仕組みの中で 障害の有無にかかわらず、ケアの場をつくること、ただ「いる」ことを保証する場をつくることの難しさを痛感した。

福祉に関わる人たちも衣食住の生活がある。家族もある。
給料が必要だ。

私が関わっているのは大抵生活保護を受けて暮らしてる方たちだ。
部屋の居心地の良さが家によって全然違う。
ヘルパーさんによって掃除が行き届いている家とそうでない家と。
基本、本人が望まなければしないという前提だが。

例えばベッドの脚周り。
一応掃除機がかけてあっても、そこにべっとりホコリや髪の毛がついていたりする。

そのヘルパーさんの家はどうなんだろう。
おそらく同じように、あるいはそれ以上に片づかない家に住んでいるのではないか。
自分にゆとりがないのに、他人に行き届いたケアができるだろうか。
そして現社会では、ゆとりをもたらすのはまずお金だ。

けれどこの本を読むと
スタッフの給料という単純な問題ではなく
その施設やシステムが利益や成果を生み出さないと維持できないという構造的な問題とからんでいる。
「ただいるだけ」が許されているようで許されない。

何もかもがお金で縛られるこのシステムこそが障害になっている。
斉藤幸平さんのいうコモンズという世界観はそれを打ち破ることなんだな?

障害のあるなしに関係なく「ただいるだけ」でいられる空間をつくっている人がいる。
インプロのすぅさんやかなこさんがそれだ。
あらためてそう認識した。
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金銭管理

2024-11-14 08:50:07 | 日記・エッセイ・コラム
ボランティアで障害のある方の金銭管理のお手伝いをしている

身体介護とか料理とかはあまり得意でなく
これに行きついた感じ

ところが最近
私自身が金銭管理は苦手だということを自覚した

友達人奈良へ出かけ、特急料金と展覧会の入場券を立て替えてもらい
入場券だけ返して特急券代を渡し損ねた
あとで気がついたけれど
その友人は自分についてきてもらったのでもともと入場券は自分が出すつもりだったので
特急券はいらないという
そういうものではないと思うが
つい甘えてしまう

けれどまあ友人関係は今後の付き合いで穴埋めはできるだろう

ボランティに関しては
大体がいつも銀行に行って決まった額を下ろしてくるだけなので
あまり深く考えていなかった

けれど最近担当するようになった人は
各請求書をすぐになくす
水光熱費の何をどこまで払ったのかわけが分からなくなる

記録をつけてはいるが一週間に一度なので
私は前回のことを忘れてしまう

おまけに預金残高が少なく借金もあるので
何をいつ払うかを考えて払わないと
次の収入までお金がもたない

そんなことを考えながら書類をつくって銀行へ行ったりしていると
利用者さんのサインをもらい忘れたり
報告書の記載を忘れたり
いろいろとりこぼしてしまう

自分でも一番苦手だと思うのは
書類にミスがないかちゃんと点検すること

まだ二か月ほどなのだが
もう少ししたら慣れるだろうか
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父の自転車

2024-11-12 13:13:22 | 日記・エッセイ・コラム
父が乗っていた自転車を私が15年前から乗っている

乗り始めてしばらくして、ブレーキとベルと前のカゴを取り換えた
父はかなり乗っていたのだと思った

次にパンクして、後ろのタイヤチューブを取り換えた

次に荷物の重みで自転車が倒れ
スポークが欠落し何本か取り換えた

次に隣に駐車していたバイクが倒れてきてリムが曲がり
漕ぐと車輪がぶれるので
とうとう買い替えるつもりで自転車屋に行った

すると店員さんが
「うちでリムのゆがみを完全にとは言わないけれどある程度治せますよ。修理して使ったら?」
とのこと
なんて良心的な店なのか

そして今回
タイヤが前も後ろもつるつるで、後ろのタイヤがまたパンク
いくらなんでももう買い替え時だろうと自転車屋へ
前回の店は休みで、違うところ

一万円ぐらいのママチャリを買うつもりだったけれど
今時一万円では自転車は買えないらしい

店員さん曰く
安いママチャリだと2~3年で壊れますよ
運が悪ければ1年ぐらいで壊れるときも
今乗っているクラスの自転車なら6万円はしますね
それなら長持ちします

父の自転車はそんなに上等だったのか!
老い先短い私としてはそれほど長持ちしなくてよいのだが3年は短いように思う

結局タイヤを前後両方付け替えて乗ることに
一万円なり

いい自転車は長く乗ってほしいのだろうね
店員さんの自転車への愛を感じる対応でした
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