ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

山科四宮

2022-06-07 08:43:11 | 日記・エッセイ・コラム
今日は高齢者大学校の講座で四宮周辺をめぐった。

長年住んでいても、その土地について知らないことがたくさんある。
けれど長年住んでいたからこその思い出もまたある。

山科地蔵。
旧街東海道沿いで毎年行われる山科の地蔵盆は有名で、
東の四宮から西は山科駅前の南北の道にぶつかるところまで、
ずらりと屋台が並んでいた。

幼いころ母が連れて行ってくれた。
屋台の食べ物は「黴菌が心配」」といって買ってもらえなかった。
それでもせがんで飴細工を買ってもらった。

けれど肝心のお地蔵様について、なんの記憶もない。
今回小野篁(おののたかむら)が彫ったと言われる地蔵尊を始めて観た。
石のお地蔵様しかイメージに無かったが、彩色された木のお地蔵様。
しかもけっこう大きい。

ここに手水所があり、旅人や飛脚が休んだという。
高校の地理の時間にここまでフィールドワークに来たことがあった。
きっとお地蔵様の話しもされたのだろうけど、覚えていない。

蝉丸と人康(さねやす)親王の石仏の間に置かれた石造を観て思い出した。
これを「宝篋印塔」という、と。
「宝篋印塔」などという言葉がすらりと出てきて自分でもビックリ!
人の記憶のまか不思議。

私の記憶では、「宝篋印塔」はもっと井戸の近くにあった。
あれから50年。ひょっとしたら邪魔で今の場所に移されたのでは?しらんけど。


諸羽神社。
ここは、高校の時の遊び場というか憩いの場というか。
休校の時、たまには授業をさぼって、友だちとぶらぶらしていた。
何度も来たことがあるのに、岩坐(いわくら)も琵琶石もまったく知らなかった。
50年前も、本当にここにあったの?


一燈園。
突然思い出す。

「とんぼが寂しい机にとまりにきてくれた」 尾崎放哉

高校の国語の時間に習った自由律俳句。
尾崎放哉は一時期一燈園で過ごした、と教師が教えてくれた。

「とんぼが寂しい机にとまりにきてくれた」

詩や俳句が苦手だったのに。
人を求め共にいながらも孤独だった高校時代。

ガイドの方は尾崎放哉が一燈園にいたことはご存じなかった。
でも同じ高校の出身だと分かった。
コメント
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