ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

ガリ版・ヤスリ版

2016-03-20 13:41:35 | 日記・エッセイ・コラム

実家を整理しているときに、ガリ版印刷(謄写版印刷)のときに使ったヤスリ版が出てきました。

私が最初に学級新聞をつくったのは小学校5年生ときです。
担任の先生に「つくりたい」というと許可が出て、友達何人かでわいわい言いながらつくりました。
そとのき使ったのがヤスリ版と鉄筆です。父が家でガリガリとヤスリ版で原稿をつくっているのを見ていたので、そうするものだと思っていたようです。

今後二度と使わないことに確信があります。
だから捨てようと思ったのですが、迷っています。

高校生の時には、よくぞこんな重いものを教室まで持って行ったものだと思いますが、授業中にガリガリと生徒会や部活のレジュメやニュースの原稿を作っていました。
高校在学中にボールペン原紙に移行して、ヤスリ版と鉄筆は顧みられなくなりました。

今から思えば、先生から叱られなかったのが不思議です。
一番うしろの席で先生は気がつかないのだろうと思っていましたが、教師になってみると気がつかないはずがないことに気づきました。

一生懸命になると周りが見えなくなる性格は今も昔も変わりなく、そんな私を先生方は大目に見てくださっていたのかもしれません。

ヤスリ版、重くて邪魔で二度と使わない。
分かっているけれど、もう少し置いておくことにします。
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研究室のお引越し

2016-03-16 22:23:06 | 日記・エッセイ・コラム
今日、引っ越しが完了しました。疲れた~!

共同研究室への移動ということで、狭くなるのでバッサバッサと捨てました。

古い本もいくらか処分しました。
雑誌や学会誌も思い切って捨てました。

特に、ダニ/アレルギー関係はこの7年間手をつけることができなかったので、思い切って捨てました。
また縁があれば、改めてスタートします。

かなりすっきりしました。

物を整理するとき、過去をふりかえり今後の生き方を考えます。
ときどきお引越しをするのは良いことですね。
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のじる

2016-03-11 21:22:55 | 日記・エッセイ・コラム
のじる。
動詞です。
「野路る」と書きます。

近江バスの立命館大学(びわこ草津キャンパス=BKC)からパナソニック経由南草津駅行きに乗ると、ひとつ手前のバス停が野路です。
野路から南草津までは、立命館大学内のバス停からキャンパス内の一番奥の建物より近い感じ。南草津まで乗ると230円ですが、野路で降りると180円。それでほとんどの人が野路で降ります。本当は南草津へ行きたいのに野路で降りることを「野路る」と言います。

学生の間で「野路る」が使われていると知ったのは最近でした。
もちろん私も野路っています。

同じ経験を共有し、新しい言葉が生まれる。
文化の共有というのは、こういうことの積み重ねからなりたっているのかもしれない。

今日、バスの中に「4月1日より立命館大学から野路までのバス料金が230円になります」と張り出されていました。
野路る人は少なくなるでしょう。
やがて「野路る」という言葉もなくなるでしょう。

けれど、この一時の文化(?)を共有した世代が集まると、そこでは「野路る」という言葉が生きているはず。こうして言葉が生まれ、言葉が変わっていくのでしょうね。
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思わず涙―今年度の沖縄研修最後の学習会

2016-03-06 20:45:20 | 日記・エッセイ・コラム
今年度の沖縄研修が終了しました。
正確にはまだレポートが残っていますが。

最後の最後に、卒業していく4回生が色紙にくれたそれぞれの言葉を読みながら思わず涙してしまいました。
彼らの優しさに、これまでのしんどい思いがふと緩んで涙になったような感じでした。

「ただ見守るだけ」と思っていたはずなのに、気がつけばつい力が入っていました。
明日から沖縄での活動が始まるというその日に、あるグループに「その計画で本当にいいの?」と迫っていました。

出すぎたという後悔の思いがありました。
「しんどい」と思いながら「自分で自分をしんどくさせているだけではないか?」。

本当にしんどかったのは学生たちでしょう。彼らはやりとげた。

いくら関わりたいと思ってもできるのはあと3年。どう関わっていくのか。
思案のしどころです。
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「しゃべらない」をやってみるーできそうにもないことをやってみる第2弾

2016-03-05 21:20:50 | 研究会報告
今日のワークショップは、かぜのすけのファシリテーションのもと「しゃべらない」で70分を過ごすことでした。

私は主催者でもあるわけで、最初は「みんなのようすをみているほうがいいのかなぁ」なんて思ったりしていたのですが…。

いろいろ用意されているものが気になりはじめ、小枝を手に取ってみました。するとよくしなるので、「かごでもつくれるかな」と思い始めました。やってみるとポキッと折れる。折れるとよい香りがする。「ありゃ~?、香りのする小さいオブジェみたいなものをつくって、へやにつるしたらどうかな?」

気がついたら、夢中になっていました。
一段落したところで、「あと何分かなあ」と思ったのですが、時計を見るのはこらえて「次は何をしようかな」。紙でハートを折りました。ハートが白では味気ないので、クレヨンで色塗り。これがまた、夢中になりました。

こうして夢中になっているうちに、70分があっという間に過ぎました。とても豊かな時間が持てた気がしました。

なぜ日常にこういう時間がなかなか持てないのでしょう。しゃべらない時間はあるのに。

「 」に書いたことは、「しゃべらない」という制約がなければ、独り言として出たであろうことばです。「しゃべらない」を意識するのは苦痛かと思っていたのですが、まったくそうではありませんでした。良い刺激(もの、ひと)があったからでしょうか。
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