ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

クレッシェンド

2022-02-24 11:12:59 | 芸術およびコミュニケーション
『ドライブ・マイ・カー』に引き続き、映画館で鑑賞。

『ドライブ・マイ・カー』は演劇
『クレッシェンド』は音楽
どちらも芸術の力を信じているという点で、繋がりを感じた

以下、『クレッシェンド』をこれから観る人は、観てから読んでください。

『クレッシェンド』は、イスラエルとパレスチナの若者が一緒にオーケストラを奏でるというもので、一筋縄ではいかない。
その対立の根深さ。
憎しみが憎しみを生む連鎖。

けれどそれを何とかしなければと思う人がいて、若者に希望を託そうとする人がいる。
ささやかな、実を結びにくい抵抗であっても。
争いでなく、芸術の力を借りて。

空港での最後の演奏がかすかな希望を示す。
その曲にボレロを選んだのはすばらしい。
楽器が次々と加わり、力強さを増していく。

「なぜ感情をこめて演奏しない?」と聞かれて、「曲自体が素晴らしいから」と答えていたレイラが、
体をゆすり感情を込めて演奏する姿が印象的。

日々ぬるま湯のような自分の生活は、ありがたくもあり、これでよいのかとも思う。
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ドライブ・マイ・カー

2022-02-22 09:24:13 | 芸術およびコミュニケーション
ホームシアター派の夫が珍しく、映画館で観ようと言ったのは、自身が広島出身だから。

安芸灘大橋の根元、呉市川尻町にマンションがある。
居室は7階で、安芸灘大橋がよく見える。
主人公家福悠介が広島での宿泊先とした御手洗にも行ったことがある。
それやこれやで、興味をもった。

3時間は永かった。万人受けする映画ではないではないと思う。

私は「ワーニャ叔父さん」の演劇を上演するまでのプロセスがとて面白かった。
オーディションから始まって。
もし本当に上演されるなら、何としても観てみたい。
手話も含め、いろいろな言語が飛び交う芝居。

演出家は俳優たちにただひたすら台本を読むことを要求する。
ゆっくりと感情をこめずに。
台本の力を信じているからだ。
台本がすべて自分の中に入って、それで動き始めると、予期しないことがおこる。
台本と真摯に向き合えば。

こういう演出を良しとしない人もいるかもしれないが。

主人公はマイ・カーの中で繰り返し「ワーニャ叔父さん」のセリフを聴き、ワーニャのセリフを言う。
そのセリフが主人公の心の内とシンクロする。

自分の妻と向き合えなかった。
そのことが妻の死に影響した。
妻の死と向き合えない。
だから自分はワーニャがやれない。

最後のワーニャとソーニャのシーンは、主人公家福悠介とドライバー渡利みさきとの関係を暗示する。

自分や自分の身近な人と誠実に向き合うということは、なんと難しいことだろう。
失いたくないから、本音で話せない。
ああ!私も!

主人公が演じる「ゴドーを待ちながら」の一シーンも出てくる。
わけの分からない私の苦手な芝居だが、昨年末ワークショップで触れ、脚本も読んだ。
不条理劇と言われるこの芝居は、それこそお互い異なる言語で演じられるにはふさわしいかもしれない。

安芸灘大橋の根元のマンションは映りそうで映らなかった。
西島秀俊の横顔が長男に似ている。

この映画はあとあとまで心に残りそう。
村上春樹の小説は『ノルウェイの森』しか読んでいない。その時、あまり好きなタイプの小説ではないと思ったが、原作となった「女のいない男たち」を注文した。ここでも新たな出会いがあるだろうか。
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我が家もコロナ感染?

2022-02-16 11:07:54 | 日記・エッセイ・コラム
息子一家がコロナに感染。妻とこども3人がPCR陽性。息子は陰性だったらしい。
Oちゃんは陽性でも症状なし。
あとの3人は熱・喉・頭痛。

うちは濃厚接触者ではなかったはずだが、夫も喉・頭痛。熱は無し。

私は下痢・喉・頭痛。熱は最高で37度8分。
土曜日に下痢と発熱。日曜日に「きょうと新型コロナ医療相談センター」に電話。
熱は高くないし、その時は症状が下痢だけだったので、「コロナでない可能性が高いので、明日熱が下がったら医者へ行く必要はありません」とのこと。

お総菜の職場に電話。すると「明日は熱が下がるかもしれないけれど、念のため休んでください」とのこと。

結局、月曜日には熱が下がって、医者には行かず、検査もせず。
けれどそれから2週間以上たった今でも、平熱がいつもよりは高く、喉が痛く、頭も痛いし、胃がむかつく。

でもまあそろそろ、寛解ということにしよう。
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『hana 1970、コザが燃えた日』

2022-02-06 07:59:08 | 芸術およびコミュニケーション


2月5日(土)17時30分開演 100分 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティー

一番すごかったのは、その台本だと思う。
畑澤聖悟

登場人物の誰ひとり無駄がなく、「コザ暴動」と言われる当時の、それに至る戦前からの、そして今日にも沖縄が本土から良いように利用されてい来た沖縄を、重層的に深い説得力をもって描いた。まったくの想像でありながら、あたかも「ありのままを描いたらこうです」というように。

分かったような口を利く本土の記者。それはあたかも自分自身に重なる。私は沖縄に住みながら、いったい何をみていたのだろう!と。

役者たちは熱演だった。プロの演技を見せてもらった。
松山ケンイチ
舞台に登場した瞬間に空気が変わった。その存在感は半端じゃない。

畑澤聖悟のお芝居は前に沖縄で『修学旅行』を見た。
高校教師、担当は国語、演劇部顧問。
並みの人ではない。
彼の作品をまた見たいと思う。
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