ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

子どもたちと紅葉狩り

2020-11-26 10:28:10 | 子どもと学ぶ

安楽寺門前


23日勤労感謝の日に、カズさんと子どもたちと紅葉狩りに行った。
子どもたちというのは、孫のAちゃんとその従姉妹Tちゃん、Kちゃん、Sちゃん。

きっかけはこの4人のご先祖が明智光秀とゆかりがあるということで、11月3日に安土城へ行ったこと。
「次は紅葉を観に行きたいね。福知山城かな?」という話しもあったのだが、安土城と博物館、交通費などで意外とお金がかかったので、今回は節約。

南禅寺→哲学の道→安楽寺(本当は法然院のはずが間違って入ってしまった)→如意ヶ岳の大の字まで→哲学の道→南禅寺 のコース

紅葉最盛期。
南禅寺、哲学の道、安楽寺、どこも美しかった。
哲学の道を歩きながら、子どもたちと哲学をしようと思ったけれど、失敗だった。
Sちゃんは行ったところをメモしていたが、他の子たちはどこへ行ったのかすら良く覚えていないと思う。
前にも書いたかもしれないが、Sちゃんの小学校は自由学習が宿題になっていて、Sちゃんは自分で問題を考えたり、体験を書いたりすることを自由学習にしている。こういう習慣がつくと、賢くなるんじゃないかな。
他の子たちも、どこへ行ったかは覚えていなくても、紅葉の美しさや大の字からの絶景は心の隅に残るのではないだろうか。

かやぶき屋根の門だったので、間違って入ってしまった安楽寺だったが、本堂で「安楽上人、住蓮上人、松虫姫、鈴虫姫」の物語を聞かせてくれた。
安楽上人、住蓮上人の声明はそれは美しかったという。
松虫姫、鈴虫姫が安楽上人、住蓮上人に出家を嘆願したのは、その声明に惚れたのかもしれない。
そう思うから、後鳥羽上皇は安楽上人、住蓮上人を許せなかったのだろう。
などと自分の中で物語を膨らませていた。

ここの休憩所でお弁当を食べることもできて、安楽寺に入って良かったと思う。
法然院はまた次の機会に行くことにしよう。

紅葉の美しさを一日かけてめでたのは、わたしにとっても久々の経験だった。
春の桜、秋の紅葉を寿ぐことで、生きていることを励まされる。
家の菊も良いけれど、散策することにもまた意味がある。

子どもたちは、「次はスケート」と言っているらしい。
スケートは苦手。カズさん、よろしく。
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子どもに負担をかけない人生の仕舞い方について

2020-11-20 07:53:33 | 日記・エッセイ・コラム


104歳の義父が入院したというので、お見舞いに。

15年ほど前に妻が施設に入ってから、ずっと独り暮らし。
10年ほど前に妻は亡くなった。
100歳になってようやくデイサービスやヘルパーさんを受け入れるようになった。
デイサービスに行くようになってからは、私たちが訪ねていくといつも上機嫌だった。それまでは、難しい顔をしていることが多かったのに。

若い(といってもみな40歳は過ぎているようだったが)女性からちょっと英語を話すと「すごい」と誉めてもらえるので、デイサービスはすっかり気に入っていたようだ。
そんな誉められ体験の連続が機嫌の良さに結びついていたのだろう。

けれど首に腫れ物ができ、今までのデイサービスでは世話ができないと言われ、別のところでショートステイで受け入れてもらったがそこも長期は難しく、腫れ物も治らないので病院に入院することになった。
ショートステイのところはコロナ対策ということで面会できなかったが、病院は面会できる。
3ヶ月ぶりの再会だ。

治療といっても包帯を換えるだけ。食が細くなっているということで栄養点滴もうけている。
退院ののち、ケアマネ―ジャーは在宅か施設か決めてほしい、と義姉に言ったようだが、義姉は病院が一番安心と、このままを希望している。

私が義父だったら、在宅を希望する。病院は行動を制限され退屈だ。施設はそれなりのプログラムがあるから、病院よりはましかも。

お義姉さんは洗濯や掃除のための週に一度の実家通いに疲れて、在宅は考えられないという。お義姉さんの家から実家まで車で20分ほど。この運転がすでに大変になってきている。
お義姉さんの大変さは分かる。
けれどお義父さんはそこそこお金を持っているので、家政婦さんを雇うとか、お義姉さんが楽できる方法は考えられる。

自分の最期を迎えるにあたって、自分の意思は聞かれず、子どもの都合で決められてしまうのは、何とも悲しい。まだ自分で食べられるし、トイレも行けるし、そこそこの判断もできるのに。

「子が親を看るもの」という固定観念から抜けられず、かといって共倒れにならないためには自分に出来ることは限度があり、入院や施設に頼ってしまうのだろう。

私自身がお義父さんのようにならないために、今から何ができるだろうか。

お義父さんは、カナダ移民の子として産まれ、収容所で終戦を迎えた。
一人で生きていける強さを持った人だ。
個人主義者で、子どもに頼って生きたいとは思っていない。
親子で話し合うということが全く無い家庭だった。

最期をどのように迎えるかということは、どういう関係性を築いてきたかに左右されるのだろう。
しかしながら、どんな人生を歩んできたにせよ、一人ひとりの最期が尊重される社会と制度であってほしいものだと思う。

お義父さんは、元気だった。
息子を思い出すのに少し時間がかかった。
孫に至っては本当に思い出したかどうか怪しい。
息子の妻の私については、さいごまで思い出さなかったようだが、私たちが来たことをとても喜んでくれた。
機嫌良く、日々の生活にもなに不自由無いとのことだった。
元気なお義父さんと息子、孫の三代を写真に収めることができた。
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冒険王

2020-11-17 12:44:24 | 芸術およびコミュニケーション


高校の同級生が出演するというので、神戸へお芝居を観に行った。

出演者は同年代の男性ばかり。
テーマは私たち世代にふさわしく、「認知」。
認知症の主人公の記憶が行きつ戻りつ、非現実や忘却も含めて錯綜する。
したがって、出てくる人たちも、おかしな格好をしていたりする。
同級生の役は唯一まともな医者だったが、これも最後には怪しくなり、実在なのか主人公の認知の中なのか、よく分からない。

「冒険王」というタイトルに共感する。
「冒険」という言葉には、とてもチャレンジ精神を感じるし、
冒険しようという気持ちは人生を豊かにすると思う。
そして現実に、ささやかかもしれないけれど冒険して生きてきた。
例えば誰を人生の伴侶にするかということも冒険だったかもしれないし、
その結果は良い面も良くない面もあるにしても、
確かに自分で選んで歩いてきたことに意味がある。

これから年を重ねると認知が壊れるというか変容するというか、
他人の認知とのすり合わせが下手になっていく。
自分の守備範囲にこだわっていると、他人との関係がますますとれなくなる。
日常を豊かにするためには、一歩踏み出す冒険心がますます必要になってくるように思う。

私も吉田真理子さんという信頼できる仲間を得て、
「冒険」のワークショップをやってきた。
見せる演劇ではなく、私たちのは自分たちで楽しむ演劇だが。
冒険心で、人生をエンパワーメントしたい。

同級生たちのお芝居をみて、
会場を借りて人を集めて見てもらうエネルギーの大きさを改めて感じる。
しかも彼らは自分の暮らしているところから出てきて、
ホテルに滞在して練習し、時間もお金もかけている。
おまけにコロナ禍に対処しつつ。すごいエネルギーだ。
このエネルギーに元気をもらう。

その熱演から、かけたエネルギーの大きさが推し測れるけれど、
一方で演劇はとてもエネルギーをもらう営みでもある。
演劇をやっている人は同世代に比べて若い。

他人に見せる演劇は大変だけれど、
そんな大げさなことでなくても地域で演劇サークルがあり、
自分たちで演じて自分たちで見せ合う…みたいなのがあれば、
それこそ認知症予防になったりするのじゃないか。
けれど今のところ私にはそれに向かうエネルギーはなく、
この地域でそういう方面の気の合う仲間もみつけられないでいる。

観るということでいえば私の好きな演劇は、井上ひさしやシェークスピアなど。
高校生の時、民芸の「ベニスの商人」を観たのが演劇を好きになるきっかけだった。
それまでに本で「ベニスの商人」を読んだことがあって、
ポーシャの賢さを面白いと思ったものだった。
ところがお芝居を観ると同じ話なのに世界が一変。
シャイロックの差別されるユダヤ人として悲哀、娘を失った悲しみが胸に迫ってきた。
シャイロック役は滝沢修。
「私は戯曲を読みこなす力がないなあ」と思い、
劇は読むより観たほうが面白い、と思ったものだった。

沖縄ではめったに芝居が見られなかったが、こまつ座の「父と暮らせば」を観た。
すぐには立ち上がれないほど衝撃を受けた。
良い本と出合うのと同じぐらい、良いお芝居と出会うのは人生にとって重要だ。

そういう傾向なので、正直今回のお芝居が楽しめるのかどうか分からなかった
でも、本当に楽しかった。
筋が通らない、理性では解せない、荒唐無稽なことも、
あいまいなことはあいまいなままそれを楽しいと感じる自分自身に、変化と成長を感た。
(な~んて自分でいうのも変だけど)

ただ一点楽しめなかったのは、女性への覗き見や女性(役)の背中のサロンパスという笑い。
笑わせるのは、難しい。
ステレオタイプがあればこその笑いって、笑っちゃうけれど、
自分の中の何かに触れるとき嫌な気持ちになる。

今回のお芝居で、役者の熱演とともに、とても良かったのは観客。
密集と言えるようなあの狭さが良かったのか。
私の後ろの人が最初はおとなしかったが、途中から心の声が漏れるようになり、
「出口がわからんのとちゃうか。だれか助けたりいな」「場面ひとつとばしたんやな?」とか。
その口調が非難ではなく暖かく、その言葉も含めて楽しく鑑賞させてもらった。

京都でお芝居を観ると、私が選ぶお芝居のせいかもしれないけれど、
観客がおとなしすぎると思う。
私だけが笑っていたりする。
あれでは俳優たちは張り合いがないだろうな。
大阪や沖縄は、
観客はお行儀悪いけれどノリがいい。
特に沖縄では、オーディションで地域の人たちが出るようなお芝居が多いせいか、
とても暖かい。
京都は、批評者として観ている人が多いように思う。

お芝居は、やはり観客という存在も含めてのもの。
Zoomでつくった「12人の優しい日本人」を観たとき、役者たちがさすがで、
リモートでもここまで面白いものをつくれるのか、と思ったけれど、
映画で「12人の優しい日本人」を観たらやはり映画のほうが面白く、
人は生きていくには3密が必要だと思った。
まして子どもは3密で育つようなもので、
コロナのマナーが一般化してしまうと、いやな社会になりそう。

お芝居を観た翌日、演劇と教育のジャンルのウェビナーに参加した。
プロの劇団を主宰し学校でワークショップをしている蓮行さんと、
学校で授業に演劇的技法を取り入れている渡辺貴裕さん、藤原由香里さんの対談。

「プロの演劇人から見て、学校で素人が演技をすることについて、
あれは演劇ではないとか、思うことありますか?」と蓮行さんは聞かれ、
「ないです」と即答していた。
演劇は誰でもできる。
その場に触発されて、むしろプロが「まいった」と思うような場面も出てくる。
ではプロは何が違うかと言うと、
そういう場面をあたかも今回初めてかのように、毎回同じレベルで演じられること。
また、同じことをやっていても何かハプニングが起こったとき、
それが流れの一部であるかのように自然に対応できることを挙げていた。
「ナルホド!」と深く共感。

そういう意味では、今回の冒険王は
「ハプニングが起こったとき、それが流れの一部であるかのように自然に対応」
できていなかったので、プロに一歩及ばずというところだろうか。
観たのが初回だったので、きっとあのあと、回を追うごとに完成度が上がっただろう。
でも、私も私の後ろの人も、ハプニングも含めて楽しませてもらった。

同級生の女性3人で観に行ったのだが、
スマホのナビや、ラインへの招待や、ライン電話など
文明の利器がうまく使いこなせないハプニングが続出。
それも含めて、楽しんだ。
かつての同級生が生きて元気に会える間は、
まだまだ人生楽しめそうだ。
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庭仕事

2020-11-16 12:54:08 | 庭仕事



毎年この季節になると菊真っ盛りの庭になる。
色とりどりの菊が咲き乱れる。
私が植えたわけではない。父の遺産だ。
雑草化していて逞しい。

春にはチューリップと水仙の庭にしようと、このところ庭仕事に精をだしている。
ようやく蚊がいなくなり(と思ったら今日は出てきた)、作業しやすい。
天気も上々。

母が亡くなり5年、家を建て替えもう3年め。
実家の風呂・トイレが狭すぎて、父を在宅で看ることができず、
母のときには間に合うようにと離れを建てたのだが、
そのために庭は日当たりの悪い場所となった。
母は母屋から離れず、母の役には立たなかったが、私の仕事場兼休憩所となっている。
すぐ南には隣家があり、南と西から陽がささない。
東側も路地を挟んで家がある。
菊は、そのぎりぎり陽が当たるところに生き残っている。

野菜作りもことごとくうまくいかない。
成功したのはモロヘイヤ、オクラ、ゴーヤ、ミニトマトぐらいだろうか。
それでいろいろ調べた結果、日当たりが悪くても育ち、手間もいらないということで、
2月ごろにジャガイモを植えることにした。
その畝づくりもしている。

ジャガイモが終われば、小松菜もしくはネギ。
次の春には、モロヘイヤ、オクラ。
オクラの種はとってある。
現在、モロヘイヤの種が成るのを待っている。
そして秋にはまた小松菜かネギ。

うまくいけば、この繰り返しでやってみたい。
時にはジャガイモを縮小して、ミニトマトを挟んでも良い。
野菜はもっぱら陽が当たりやすい東の畝。ひと畝2メートルぐらいの小さな畝が4つ。
東の畝の中でも一番南の日当たりの悪いところは、堆肥作りにあてる。

真ん中の畝の一番北は菊に占領されている。
その南側に水仙とタマスダレ、さらに南側には水仙とチューリップとミョウガを植えてみた。
ところがそのミョウガが何者かに掘り返されている。

誰だ!
何者か知らないけれど、あちこちに足跡やら堀跡やらをつけている。

真ん中の一番南、一番陽当たりの悪いところは、アジサイを植えた。

その西にさらに幅1メートル、南北に5~6メートルの花壇があるのだが、この西に離れを建てたために、父が植えたバラは枯れてしまった。
アジサイばかりが元気だったが、このアジサイのおかげでその南側に植えられたマーガレット、カキツバタなどが咲いても家の中からは見えない。
それでアジサイを徐々に小さくして、行く行くは移転の予定。

この花壇の一番陽当たりの良い北側は、小さなイチゴ畑になっている。
今年はその南側にチューリップと水仙を植えた。
来年の春、水仙とチューリップはちゃんと咲くのだろうか、楽しみ。

陽当たりの良いところを好むものは、プランターで育てることにする。
試しに、ホウレンソウを植えてみた。

これは根付きのホウレンソウを買って、小さな数枚の葉を残して植えたもの。
要するに食べ残し。

他にも食べ残しのユリネも植えた。
オニユリの花が咲くかどうか。
楽しみ。

庭仕事は父の遺したものを感じ、亡き父と対話する時間でもある。
そして、太陽と水から自身をつくる植物の偉大さに打たれる。

朝9時ごろの庭
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庭仕事と断捨離

2020-11-10 08:42:36 | 庭仕事

庭の菊をアレンジしてみました


ようやく蚊がいなくなり、庭仕事に最適の日々。
菊が最盛期で、先日習ったフラワーアレンジメントの技を用いて、活けてみました。
ウ~ン! イマイチという気もするけれど、無いより生活に潤いがあるかな?

最近、週一で断捨離のテレビ番組を見ているので、過去のもう使わないものは整理していかなければ。と同時に自分のこだわりとは何か、何を大事にしたいのか、と考える。
ほんと。これといって趣味もない。ただ言えるのは「書くことが好き」ということ。
時間はあるのだから、消費ではなくて、豊かなもの、美しいものを自分の手で生み出せればと思う。ただ、色や空間に対する美的感覚があまり洗練されていないので、なかなか難しいのではあるけれど。
身辺を整理することはできる。片づいているほうが美しいもの。
気づいたところから、ボチボチやります。

昨シーズンに掘り起こしたチューリップと水仙の球根を植えた。
ついでに野菜の種が出てきたけれど、植え付け時期がみな7月だった。
7月8月なんて蚊の猛攻撃を受けるので、とてもじゃないけど畑仕事をする気になれない。
でも、こんなに種を買ってあったのだ。
来年こそは植えよう。
忘れないように手帳に書いておく。
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