インプロのすぅさん、しなリレのキューピーがかかわっているということで、即興型教育研究会に呼んでいただきました。
40人を越える参加者。午前はすぅさんによるインプロ。
すぅさんが丁寧に場をつくってくださって、安心して午後の部へ。
午後に「学びの即興劇」のワークショップをさせていただきました。
まず Shagidi,shagidi,shapopo で体を動かしました。
このゲーム、いろいろ深いところがあるのですが、短時間で切り上げました。
次に「人生の楽園」の新聞記事をとりあげ、グループで話し合って新聞記事の内容を静止画で。
そして、記事から「人生の楽園」と思えるシーンをつくり、テーマをつけて上演。
「状況、配役、出だしと終わり方を決めたら、後は即興で」ということで、表現についての相談は短く。
ノリのよい方々が多くて、どのグループも「なるほど」という内容。最後には、ミュージカル仕立てが飛び出しました。
グループは解散して、今度は違うグループで「人生の楽園とは」の話し合い。
最後にひとつの円になって、それぞれの考える「人生の楽園」について少し話し合いました。
現実が「人生の楽園」とは程遠い人もいるかもしれなくて、「これでいいのか」と思ったりもします。
今回のように人数が多いと、そういうしんどさは出しにくく…。
私自身は、こうして呼んでいただけることは嬉しいことだし、「人生の楽園」と思えるひとつのできごとかもしれません。
でも、他人に左右されず「これぞ人生の楽園」と思えることがある人は、元気で長生きできる気がします。
ひとそれぞれの「人生の楽園」があり、自分でつくっていくことで「人生の楽園」が見えてくるものなのかもしれません。
ワークショップのあとに質疑応答。
休憩をはさんで、それぞれが話したい話題で話し合い。
こうして、きちんとそれぞれの思いを出せる時間をつくってくださったことは、本当にありがたい。
それにしても、主催者の方々のパワーに驚き!! 元気をもらいました。
40人を越える参加者。午前はすぅさんによるインプロ。
すぅさんが丁寧に場をつくってくださって、安心して午後の部へ。
午後に「学びの即興劇」のワークショップをさせていただきました。
まず Shagidi,shagidi,shapopo で体を動かしました。
このゲーム、いろいろ深いところがあるのですが、短時間で切り上げました。
次に「人生の楽園」の新聞記事をとりあげ、グループで話し合って新聞記事の内容を静止画で。
そして、記事から「人生の楽園」と思えるシーンをつくり、テーマをつけて上演。
「状況、配役、出だしと終わり方を決めたら、後は即興で」ということで、表現についての相談は短く。
ノリのよい方々が多くて、どのグループも「なるほど」という内容。最後には、ミュージカル仕立てが飛び出しました。
グループは解散して、今度は違うグループで「人生の楽園とは」の話し合い。
最後にひとつの円になって、それぞれの考える「人生の楽園」について少し話し合いました。
現実が「人生の楽園」とは程遠い人もいるかもしれなくて、「これでいいのか」と思ったりもします。
今回のように人数が多いと、そういうしんどさは出しにくく…。
私自身は、こうして呼んでいただけることは嬉しいことだし、「人生の楽園」と思えるひとつのできごとかもしれません。
でも、他人に左右されず「これぞ人生の楽園」と思えることがある人は、元気で長生きできる気がします。
ひとそれぞれの「人生の楽園」があり、自分でつくっていくことで「人生の楽園」が見えてくるものなのかもしれません。
ワークショップのあとに質疑応答。
休憩をはさんで、それぞれが話したい話題で話し合い。
こうして、きちんとそれぞれの思いを出せる時間をつくってくださったことは、本当にありがたい。
それにしても、主催者の方々のパワーに驚き!! 元気をもらいました。
http://minna-movie.com/
この映画を見ながら、笑い、泣きました。
学校は、なんと可能性の秘めたところでしょう。
この映画を見て「これはこの学校の特殊な話だ」と見るのか、「どの学校でも実践できるヒントがある」と見るのか。
生き方が問われる映画だなあと思いました。
この映画を見ながら、笑い、泣きました。
学校は、なんと可能性の秘めたところでしょう。
この映画を見て「これはこの学校の特殊な話だ」と見るのか、「どの学校でも実践できるヒントがある」と見るのか。
生き方が問われる映画だなあと思いました。
クローズアップ現代で清水寺平成縁起絵巻が取り上げられました。
それを見ていて、これのストーリーを考えた父のことを思いました。
本当のところ私は、奉納のときに見せていただく前は、どんなに豪華な絵巻かと期待していたのです。意外と質素だと感じました。
五木寛之氏が「静謐な」と表現していました。それを聞いてなるほどと思いました。
一寸法師や物くさ太郎の話が出てきて、「父はお茶目だな」と思ったのですが、それは権力者だけでなく庶民に支えられてきた寺だったことを表現したかったのでしょう。
この先、戦乱がなくこの絵巻が存続し続けること。そんな平和を願う思いも込められているに違いありません。
改めて見ると、「父らしいな」と思えました。
五木氏と私が一緒に写っている写真があります。といっても、ずっと以前、たまたま清水寺で写真をとったときに、来ておられた五木氏が写っていたというだけなのですが。あの写真、どうしたかしら。