ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

数独卒業!スリーザリンク

2023-07-31 10:35:23 | 日記・エッセイ・コラム
数独は卒業した!
毎土曜日に新聞に載っているものはすべて解ける。
もっと難易度の高いものもあるが、答えが2通りあったり、仮置きして解いたりするのは楽しくない。

今は、スリーザリンクにはまっている。
もっぱら10×10の難易度eまたはfに取り組んでいる。
10×10で難易度g以上はまだ見たことがない。
まずは10×10で頭をならしておこう。

それにしても、こういうクイズを考える人、尊敬する。
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ファミリーサポート:Sちゃんとのてんやわんや その2

2023-07-27 09:15:06 | 子どもと学ぶ
学童からの帰り、Sちゃんが「オシッコもらしそう」と言う。
そう言いながらも、帰り道を急ぐでもなく、相変わらずの道草。

そしてまた「もらしそう」というので、「そこらの道端でしたら」というと
本当に人通りのある道でパンツをぬぎそうになる。
「せめて木の陰に隠れるとか」と言ってみたものの、隠れられる木のあるところは通り過ぎてしまった。
「もうがまんきない」というので、仕方なくコンビニに入ることに。
交通量の多い道沿いにあるので、本当はその道は通りたくない。
ただでトイレを借りるのは申し訳ないと思い、Sちゃんがトイレに入っている間に目についたものを買う。

トイレから出てくると「おなかすいた。何か買って」という。
ちょっと強めに「買わない」という。
コンビニを出て「二度とここには来ないから、学童を出る前にちゃんとトイレに行っておいてね」という。

「この道は車がたくさん通るして、歩くのはとても危ない。Sちゃんは、私と手をつないで歩かないで、あっちこっちへ行くから危なくて心配で、この道は通りたくない。だから、これからは家に帰るまでトイレに行けないからね。」

「ふん!」と横を向く。「ふうみんなんか嫌い!」という。
けれど、Sちゃんはちゃんと分かっている。
もう二度とコンビニのトイレに寄ることはないだろう。

すぐふくれるし、気に入らないと喚くけれど、すぐ機嫌をなおす。
根に持たない。

おかあさんに、万一に備えてパンツを預からせてもらうようお願いした。
交通事故に遭うぐらいなら、オシッコを失敗するぐらい、なんてこともない。

Sちゃんは楽しいのだが、何に気を使うと言って、家までの1.6Kmの道中は非常に神経をすり減らす。
走りだしたり、どこかに隠れたりするのが大好きだけれど、
私は重いランドセルを持って、思うように走れない。
お願い!私の見えるところにいて。

この道中に神経をすり減らすものの、Sちゃんと一緒にいるのは楽しい。
けれど、疲れる。
疲れるけれど楽しい。

ファミリーサポートのデメリットとして、子どもを預ける側の方が「世話する側が自分の都合で休まれるので困る」というようなことを書いておられた。
けれど、受けている側は空いた時間を提供したいというボランティアの感覚。
仕事として位置づけているわけではない。

中途半端に金銭のやり取りがあるので、お金を出す側と受け取る側の感覚が違うのだろう。
私も、申し訳ないが自分の孫が最優先だ。
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全劇研in関西にて アトリエふうみんの思い出

2023-07-25 07:57:22 | ワークショップの報告
7月23日、演劇教育連盟主催の研究会(全劇研)に参加してきた。

午前は藤原由香里さんの講座に参加した。

2020年3月に、私が世話人として藤原由香里さんと渡辺貴裕さんの講座を開く予定だったが、コロナのために急遽中止となったのだった。

3年ぶりの関西開催となったが、私は今回実行委員会ではない。
コロナがなかったら、私は継続していただろうか。
「演劇と教育」の世界からまったく離れたわけでもないけれど、今の私の興味関心の中心は、そこにはない。やっぱり私は継続性がないようだ。

けれど藤原さんには、「3年前にできなかったのでぜひ」と声がかかったようだ。
それで私も講座に参加することにした。

藤原さんの講座は、見事だった。
場の温め方から物語に入り込むまで、自然で楽しく、しだいに深く進んでいった。

さまざまな技法を駆使していて、無理がない。
ゲーム感覚で楽しんだことがあとに生きてくる。
豊富な経験と積み上げられた理論がその背景にある。

午後は別の講座を受けたが、一般から集まってきた子どもたち相手に「スーホの白い馬」を演劇的な手法を用いて授業するという難易度の高いものだった。
おそらくファシリテーターはあまり経験もなく、なんとなく乗せられてやってしまったのだろうと思った。しかし、こういう難易度の高いことを経験の少ない人にさせるプロデュース側の意図がよく分からない。ベテランがいるのに、なぜ自分でやらなかったのだろうか。

そして子どもたちにとって、あの場はどういう場だったのだろう。
モンゴルという国をイメージする場だったのだろうか。
羊をおそう狼と狼から羊を守る馬の鬼ごっこによって、羊を守る大変さを想像してみることだったのだろうか。

私自身は考えるよりも実行してしまうタイプなので、ドラマをもちいた授業でも数々の失敗を経験してきた。そうしていろいろなものを身につけていったと思う。
だからこのチャレンジに敬意を払いたい。
子どもたちが鬼ごっこを楽しんでいた様子に安堵する。訳も分からないながら集められて、大人が見守る中、表現してくれた(あるいはくれなかった)子どもたちには感謝している。

さて、その帰り道、藤原さんの車に同乗させてもらった。
いろいろと話しているうちに、「アトリエふうみん」はどうなっていますか?
と訊かれた。
そうだった。アトリエふうみんの看板をかかげて、わが家でワークショップをしたことがあったっけ。おそらく2010年ごろの話。
あれからどちらもずっと「演劇と教育」の世界にいて、時には一緒に宝のような時間を過ごしたのだった。

この年になって、年齢が3回りぐらい離れていても、友達感覚で一緒に話したりお茶したりできることにとても幸せを感じる。
ドラマとの出会いが、私の人生を豊かにしてくれていることは間違いない。
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ブヨにかまれた!

2023-07-25 07:52:37 | 庭仕事
我が家の駐車場も庭も雑草が繁殖しまくっている。
今年町内会長になって、6月の一斉クリーンデイに町内を回ったが、わが町内はどのお宅も美しく保たれているのに、わが家は雑草のために一番荒れ果てて見える。

暑くなって、草取りの情熱もわかず、放置してあったが、
さすがにこれではまずい
という状態にまでなって、朝5時ごろから駐車場の草取りをした。

結果、顔と耳をブヨにかまれた。
衣服等で覆いつくしていたが、その部分だけは露出していた。
ぬかった!
蚊は警戒していたけれど、ブヨには最近とんとお目にかかったことがなく、
ぬかった!

かまれた直後は痛かった。
でも、痒いよりはまし。

その夜、痒くて眠れない。
特に、耳。倍ぐらいに腫れあがっている。
アイスノンの氷枕で冷やして、なんとか4時間ぐらいは寝ただろうか。

数日たっても、耳が痒かった。寝られないほどではなかったが。
耳穴からじくじくと浸出液がでたりした。
およそ1週間が過ぎたが、まだなんとなく痒い。

懲りた。
草取りをしてくれない夫よ。
せめて駐車場はタイルを張ってほしい。
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ムーミン2

2023-07-24 08:44:55 | 読書
これまでムーミンを読んで、良かったとか感動したとか思ったことがない。

まりこさんにムーミンランドに行こうと誘われたとき、正直言って気乗りがしなかった。
それでムーミンを読んでみることにした。

トーベ・ヤンソン原案という絵本が多くて、実は私はトーベが書いたものを読んでいなかったと気づいた。ムーミンを借りて、誰か違う人が書いたものらしい、と。
ここまでは、全回書いた。

それでムーミン全集を1から読んでみることにした。以下、ムーミン全集(講談社)より。

ムーミン全集1 ムーミン谷の彗星
スニフがとても面白い。怖がりで、自慢したがりで、キーキーと自分の存在を主張したがり、宝欲張りで、文句を垂れるし、良い子ではないけれど、愛すべき存在。

スナフキンは自由に生きている。誰にも束縛されず、誰も束縛しない。

じゃこうねずみが「地球が滅びる」などと子ども(ムーミン)の前で言うので、ムーミンママがムーミンパパに「じゃこうねずみさんが、子どもたちをいっそうこわがらせるのよ。あの人に楽しい話をするか、そうでなければ、なにもいわないように、おねがいしてくださいません?」とたのんだとき、言ったムーミンパパのことば。
「うん、そうしてみよう」「あの人は、ひとりぐらしが長かったから、いいたいことをそのまま口に出してしまうんじゃないかな」
ママに同意しつつも、じゃこうねずみへの思いやり。

ガーネットの谷間で、スニフがかかえきれないほどガーネットを採るが、オオトカゲに追われて結局すべて失くしてしまう。
逃げ帰ったスニフと谷底のオオトカゲを見て、ムーミンは「なんてこった」
スニフは地面に座り込んで泣いている。
スナフキン「すんだことだよ。ね、きみ」
スニフ「ガーネットが……ぼく、一つも取ってこられなかったよ」
スナフキン「なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると、むずかしくなっちゃうんだよ。ぼくはみるだけにしてるんだ。そして立ち去るときには、頭の中へしまっておく。ぼくはそれで、かばんを持ち歩くよりも、ずっとたのしいね」
スニフ「ガーネットはリュックに入れられたのに。(そのリュックも波にのまれてなくしてしまうのだが)観るだけと、手に持って自分のだと思うのとは、ぜんぜんちがうよ」

こういったやりとりを通して見える価値観の違いのおもしろさ。
自分はどうだろうか。

ムーミン全集2 楽しいムーミン一家
にょろにょろの気圧計をヘムレンさんがとってしまい、ヘムレンさんは取り返しに来たにょろにょろに感電したり、その拍子にテントを倒してその下敷きになったりする。
ヘムレンさんは嘆く。
「これじゃあ、あんまりだ。どうしてなんの罪もないまずしい植物学者が、平和な一生をおくれないのだろうか」
「生きるってことは、平和じゃないんですよ」とスナフキン。
自分が原因をつくっていることの分からなさ。生きるとはどういうことか。

ムーミン全集3 ムーミンパパの思い出
フレドリクソンとムーミンパパの会話
ム「ヨクサルがあんなに無関心なのは、おかしいと思わないか?」
フ「ふむ、もしかしたらまるっきり反対で、ヨクサルはあらゆることを気にかけているのかもしれないよ。落ち着き払って、ほどほどにね。
ぼくたちは、一つのことばかり考えてしまうんだなあ。きみはなにかになりたがっている。ぼくはなにかをつくりたいし、僕の甥は、なにかをほしがっている。それなのにヨクサルは、ただ生きようとしているんだ」
ム「生きるなんて、だれにだってできるじゃないか」
フ「ふむ」
ここでも、生きるとはどういうことか。

お化けがムーミンパパの予言通りやって来てみんなを驚かすかどうか、不安の中で待つムーミンパパの心の内。
どんなことをしてでも、まわりに強い印象をあたえたいというのが、わたしの性分なんです。尊敬でもいいし、同情でもいいし、恐怖でもいい。とにかく、人にわたしというものを印象付けることです。この性分はたぶん、人から無視されがちだった、わたしの子ども時代の影響でしょうね。
自分自身への省察。

自由気ままな冒険仲間が定住に安住しているのを見て、
いちばんこまったのは、そういうくらし方が、わたしにもうつってしまったことでした。略
愛する読者のみなさん、わたしの気持ちをわかってくれるでしょうか。はじめのうちは、たとえ閉じこめられていても、外のことを気にしていたのですが、しまいにはなんにも考えなくなってしまいました。
自分自身への省察。

生きること、自分というものについて、常に語られる。

ムーミントロールのお話は、多様な生き様を登場させ、負の感情をいだいても、誰かの前向きな、あるいは深みのあることばをちりばめて、日常と冒険を織りまぜておおむね楽しく進んでいく。

第7巻は、ちょっと様子が違う。
負の感情が渦巻く。
トーンが暗い。
スナフキンでさえ、不機嫌だ。
それでも時間が立つにつれ、それぞれの道へ歩みだしていく。

ムーミンには興味が湧いてきたけれど、テーマパークにはあまり興味が湧かない。
まだ行ってないが、はたして行くのだろうか。
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