学童からの帰り、Sちゃんが「オシッコもらしそう」と言う。
そう言いながらも、帰り道を急ぐでもなく、相変わらずの道草。
そしてまた「もらしそう」というので、「そこらの道端でしたら」というと
本当に人通りのある道でパンツをぬぎそうになる。
「せめて木の陰に隠れるとか」と言ってみたものの、隠れられる木のあるところは通り過ぎてしまった。
「もうがまんきない」というので、仕方なくコンビニに入ることに。
交通量の多い道沿いにあるので、本当はその道は通りたくない。
ただでトイレを借りるのは申し訳ないと思い、Sちゃんがトイレに入っている間に目についたものを買う。
トイレから出てくると「おなかすいた。何か買って」という。
ちょっと強めに「買わない」という。
コンビニを出て「二度とここには来ないから、学童を出る前にちゃんとトイレに行っておいてね」という。
「この道は車がたくさん通るして、歩くのはとても危ない。Sちゃんは、私と手をつないで歩かないで、あっちこっちへ行くから危なくて心配で、この道は通りたくない。だから、これからは家に帰るまでトイレに行けないからね。」
「ふん!」と横を向く。「ふうみんなんか嫌い!」という。
けれど、Sちゃんはちゃんと分かっている。
もう二度とコンビニのトイレに寄ることはないだろう。
すぐふくれるし、気に入らないと喚くけれど、すぐ機嫌をなおす。
根に持たない。
おかあさんに、万一に備えてパンツを預からせてもらうようお願いした。
交通事故に遭うぐらいなら、オシッコを失敗するぐらい、なんてこともない。
Sちゃんは楽しいのだが、何に気を使うと言って、家までの1.6Kmの道中は非常に神経をすり減らす。
走りだしたり、どこかに隠れたりするのが大好きだけれど、
私は重いランドセルを持って、思うように走れない。
お願い!私の見えるところにいて。
この道中に神経をすり減らすものの、Sちゃんと一緒にいるのは楽しい。
けれど、疲れる。
疲れるけれど楽しい。
ファミリーサポートのデメリットとして、子どもを預ける側の方が「世話する側が自分の都合で休まれるので困る」というようなことを書いておられた。
けれど、受けている側は空いた時間を提供したいというボランティアの感覚。
仕事として位置づけているわけではない。
中途半端に金銭のやり取りがあるので、お金を出す側と受け取る側の感覚が違うのだろう。
私も、申し訳ないが自分の孫が最優先だ。