ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

クリスマスプレゼント

2019-12-27 08:02:03 | 子どもと学ぶ


月の一度のこどもの学習会。
学習会といっても、私が何かをすることがほとんどなくなって、だいたい子どもたちが好きなことをしている。

12月はお餅つき。餅つき機でつくので、子どもたちの仕事はまずあんこを丸めて用意しておくこと。お餅がつきあがったら、あんころ餅と白餅をまるめること。

子どもたちはあんこをうまく包めなくて、はみだしまくったけれど、40個以上はつくった。
作っては食べるので、正確な個数は分からない。
白餅も30個以上つくった。これは砂糖醤油や大根おろしと味付け海苔で食べた。
つきたての柔らかい餅のおいしいこと。

合間にそれぞれ冬休みの宿題のドリルや私のつくった問題をした。
一斉授業はなし。

工作は、新しい本『<トム・ソーヤ>と遊ぶ』の絵をつかった栞づくりを手伝ってもらう。

お昼はお餅でお腹いっぱいだったので、おやつがわりにお好み焼き。
その後、子どもたちは劇の仕込みに2階へ。
私とカズさんはようやくお茶などでほっこり。

2階で4人の女の子がワーワーキャーキャードタバタ大はしゃぎ。
そして、劇の上演かと思ったら、ダンスに変わっていた。
そうこうしているうちに、お母さんたちのお迎え。

この日、子どもたちは来るなり「私たちからプレゼント」。
袋を開けると手袋。
本当なら、私たちがクリスマスプレゼントを渡すはずなのに?
何も用意していないよ。
お年玉もあげたことがない。

「カズさんとペアルックでうれしいね」と言ったら
夫が横で「ゲッ!」とつぶやいたが…。

Cちゃんが「これ、スマホができるから」と教えてくれました。
親たちがとても気遣ってくれているのね。

ところで、このごろ子どもたちは宿題を早く済ませたいのでドリルをするのだけれど
こういったドリルではちっとも力がつかないのが良く分かる。

単純な計算や漢字はいいけれど、考える力はつかない。
Sちゃんの学校はドリルだけでなく、自主学習ノートがある。
自分で問題を考え、自分で答えも書く。

このノートを書くために、Sちゃんは考えている。
こちらも一緒に考える張り合いがある。
こちらのほうがよほどいい。

「電車に80人乗っていました。駅で14人おりて、16人乗りました。電車の中は何人になったでしょう」という問題。
80-14+16=82
計算はできる。

けれど、計算する前に「最初より減るのかな?増えるのかな?」と聞くと、とたんに答えられないのはなぜ?
「14人おりて、16人乗った」ということが、イメージできていないのでは?
文章問題が生活と切り離されて、機械的なものになってしまっている?
あるいは具体的な乗り降りを数字の変化に抽象化できない?
元が80人だろうと100人だろうと「14人おりて、16人乗」れば2人増えるのは一緒、というのがピンときてないみたい。

生活体験の希薄さだろうか?
こういう力はドリルをくりかえしてもつかない。
痛感させられた。

あくる日、夫婦二人で寝坊。
1日孫たちと一緒にいるのは、よほど疲れることらしい。
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またまた失敗!大失敗!

2019-12-18 15:10:33 | お仕事


仕事から遅く帰る日が連続していたが、
12時を過ぎたら、片付けはしなくても帰って良いとのこと。
他の人がまだ仕事をしていると、帰りづらいけれど、うれしい。

でも、今回は大失敗!

まず、ナスのミートソース焼きにナスを入れるのを忘れる。
「ありえない!」
でもやってしまった。なぜか分からない。
たぶん、レシピを見ないでもできる、と慢心してしまった。
次回からはもっとしっかり材料の確認をしよう。

実際はポテトとナスのミートソース焼き。ポテトだけで焼いてしまった。
ナスが入らなければ、ナスのミートソース焼きとは言えないでしょう。
リーダーに言うと「全部廃棄!」

お願い!新メニュー「ポテトのミートソース焼き」で売ってよ!
食品ロスで環境に悪いじゃん。…以上、心の声。
でも、ミスした私が悪い。

「ナスが残っているので、もう一度やり直しさせてくれませんか?」
とお願いして、ポテトとナスのミートソース焼きをつくる。
ナスだけは廃棄しないですんだ。

もうひとつは、ベーコンポテトのチーズ焼きの存在を忘れていた。
指示書に書いてあったのに、見落とした。
指示書にないものは、指示があるので指示されたことをすればよいけれど
指示書にあるのに忘れていると、誰かが気づくまで放置される。

リーダーが気づいてくれてベーコンポテトにとりかかったはよいけれど、
今度はそれようにフライして用意されたポテトに気づかず、
フライ担当にポテトのフライを注文してしまった。
これもリーダーが気づいてくれて、事なきをえたが。

だし巻き卵も今日は満足のいく出来ではなかった。
売り物にならないほどひどいものはなかったけれど。
餃子も一列分の餃子がきれいにそろわず、バラバラになってしまった。

卵を焼きながらリーダーと目が合ったので、
「今日は本当にすみません」というと
「いや、大丈夫。店頭に並ぶ前に気づいたから問題ないですよ」と。

リーダーがやさしいので救われる。

というわけで、
おまけに今回は欠員があったようで、盛りつけの方がテンテコマイ。
洗い物を少し手伝ったりして、
今日も早くは帰れず。

失敗ばかりの割に、この忙しさに充実感があったりして…。

夫に「今日も大失敗だった~!」というと
「書くネタになっていいんじゃないの?」だって。
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『〈トム・ソーヤ〉を遊ぶ』ついに発行

2019-12-16 09:59:57 | 本・論文・雑誌


もともとは、私の退職の合わせて今年の3月に発行予定だったけれど、諸事情で8月発行に延期したものが、12月になってようやく出版できました。

この間の環境の変化と意識の変化が大きく、本づくりに意識が集中できず、
これまでの本づくりの中で一番難産でした。

もっと良いものにできるのでは?という気はあるのに…。
けれど、本を出すということは、多かれ少なかれそういう面があって
世の中、どんどん変わる中で、その時点で「エイヤッ!!」と出さないと
いつまでたっても出せない。

いざ完成して手に取ると、
まりこさんや編集者の水野さんと一緒に、
とても良いものを作り上げてきたという感慨がしみじみ。
愛おしい。

この本は、津田塾大学で教員と教員をめざす学生を対象に実施したワークショップが基本です。
そのワークショップの振り返りを、元小学校の教員で今はインプロで活躍しているすぅさんと
現役のばりばりの小学校教員キューピーが書いてくれています。

それに、まりこさんと私の教育へのこだわりと、ふたりのプロジェクトの歩みを加えました。

日々、子どもと向き合って奮闘してる先生方にとって
「そもそもなんのために教育をしているのだろう」
「どういう子を育てたいのか」
「そのためにどういう方法があるのか」
そんなことのヒントになればいいなと思って書きました。

本が読まれない今日。
ただ出したいからということで本を書くのではなく
本当に読んでもらいたいことを、
読んでもらえるように工夫しながら書くことはとても大切ではないかと思っています。

聡子さんが表紙の絵を描いてくれて、今までにない味わいの本に仕上がっています。
絵にひかれて手に取ってくれるひともいるのでは。

立命館大学で縁があり、その後教員になっていった卒業生たちが読んでくれれば
こんなに嬉しいことはない。
彼らにどうやって届ければよいのかな?


晩成書房の本は、usedでないかぎり、アマゾンでは買えません。
でもインターネット上に、オンライン書店はたくさんあるので、そちらでお求めください。
また、晩成書房に直接注文いただくこともできます。
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獲得研12月例会でのワークショップ

2019-12-15 14:14:58 | お知らせ


次の土曜日、獲得型教育研究会の12月例会で、津田塾大学の吉田真理子先生とワークショップをします。

12月21日(土)14:00~17:30
日本大学文理学部 7号館2階1222教室
参加費500円

夏のセミナーで実施したワークショップをもう一度試みる予定です。

渡辺貴裕先生が「表現と理解の循環」について書いておられるのだけれど、
夏のワークショップは、そのことを意識して実施しました。

私の頼りない理解だけれど、
脳神経科学者アントニオ・ダマシオの『進化の意外な順序』のよると、
先に身体があって、神経系は進化のあとのほうで生まれたもので
神経系を持たない生物もたくさんあるわけです。

けれど人間には脳を中枢とする神経系が発達しており
神経系とそれ以外の身体というふうに考えたとき、思考しているのは脳だけなのかというと
脳を中枢とする神経系がないとイメージをつくれない。感情を意識することもできない。
けれど、身体の変化は感情を生み、行動や思考に影響するのです。

脳は身体を動かし、身体は脳を動かす。

また物理学者のレナード・ムロディナウは、『柔軟的思考』の中で、ヒトは3つの情報処理モードについて述べています。
ひとつは台本に則った処理、ふたつめは分析的思考、3つめが柔軟的思考。

台本に則った処理とは、深く考えずに反応してしまうようなこと。
『柔軟的思考』には面白い例が載っていますので(ムロディナウの本はいずれもたとえが絶妙で面白い。彼は本当に柔軟的思考のできる人だなと思う)、ぜひ読んでみてください。

思考を「環境を評価し、アイデアを生み出すことで意味のある反応をするという行為」としたとき、台本に則った処理が思考といえるかどうかは分からないけれど、思考との境界はあいまい、なのだそうです。

これまでの教育は分析的思考を鍛えることでした。
でも、今日重要なのは柔軟的思考だというわけです。

脳には、おもしろい、楽しいと感じたことをどんどんやる仕組みがあって、満足するとやめる。
だから外から目標を押し付けても、楽しくもなんともないし、やる気もおきない。
単純な計算練習などは、台本に則った処理でちっとも面白くない。

身体で感じて動く、動いて感じる、感じながら思考する。
柔軟的思考を育てるには必要な学び方といえるでしょう。

やってみて感じる→感じたことを話し合う→話し合いから感じたことを次の自分の行動に取り入れてみる
これを「表現と理解の循環」と私は言うのですが、そういった循環を意識しながらワークショップに取り組みたいと思っています。


また、『<トム・ソーヤ>を遊ぶ』の本のお披露目を予定しています。
お時間と興味のある方はぜひ!
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まだ12時代に帰れません

2019-12-13 09:42:06 | お仕事


同じような仕事をしているSさんは、12時までに帰れたそう。

私はそんなに仕事が遅いのか?と一瞬おちこんだけれど、朝の品出しはしなかったとこのこと。
「でもそれって30分でできるでしょう?」と言われたけれど…。
まだ30分では難しい。もう少し慣れる必要がありそう。

で、定番の作業で、特に追加がなくて、しかもだし巻きは15本で良くて。
しかもしかも、最後の5本のだし巻きの盛り付けをSさんが手伝ってくれて。

それでもやはり、仕事からあがったのは1時。
開店までにギョーザを焼けなかった。
朝9時に、焼きたてのギョーザを買いに来る人もいないだろうから、まあそれはよいのだけれど。

その日はフライ45円均一の特売日で、フライ担当の人が大忙し。
それで自分のところが終わってからフライ関係の洗い物を手伝ったため。
これがなければ、12時半、半は無理でも1時にはならなかっただろう。

私が遅い時も、誰か手伝ってほしいよ~。
まあ焦らず、時間を縮めていこう。
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