ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

2016年度沖縄研修事後学習会

2017-02-27 09:41:14 | 日記・エッセイ・コラム

今年度の沖縄研修が実質終了しました。あとはレポートと報告集の作成を残すのみです。

4月に立ちあげ隊の活動が始まって、6月に募集、第一回目の学習会での実行委員選出。
8月から毎月1回の学習会を経て2月に沖縄へ。
そして2月末または3月初めの事後学習会。

このパターンが定着しつつあります。

昨日の事後学習とその後の食事会は、特筆すべきものとなりました。

最後には、全員で合唱。学生にとっては中学や高校の合唱コンクールや卒業式でおなじみの曲だったらしく、ちゃんとハモっていました。
最近の学生がこうして合唱するというのは私にとっては珍しく、70年代の私自身の学生時代の雰囲気を思い出しました。

事後学習では、それぞれの班が自分たちの学びを報告したのですが、一班5分という制限時間をかなり超えました。
それぞれの口から自分の体験から出た真実のことばが語られ、少しも長さを感じさせませんでした。沖縄へ行けなかったメンバーも仲間と一緒に前に立ち、報告の一環を担っていたのも印象的でした。

その後、小グループに分かれて2セッション、それぞれの報告についての話し合い。

最後には、がんばった実行委員へみんなから一言を書いたメッセージのプレゼント。
実行委員に内緒で準備されたものです。

実行委員からは、立ちあげ隊へ感謝の花のプレゼント。私にまで花をいただきました(写真)。これもサプライズ。

そして、打ち上げへ。
小さなイタリアンレストランを借り切り。
ここでもまた、卒業する4回生にみんなからひとことのビデオ上映のサプライズ・プレゼント。
そして肩を組んでの大合唱となったのでした。

涙する4回生。
笑い合う仲間。
良質のドラマを観ているようなすばらしい瞬間でした。

毎年似たような状況ですが、今年はとりわけ集団の凝集力が高いように思いました。
事後学習に良く分からない理由で欠席する人はひとりもなく、
サークルの合宿中にもかかわらず早く抜けて駆け付けた4回生、
例年なら沖縄に参加できないと事後学習には来ない人もあるのに、
沖縄に行けなかった4名が「みんなの報告を聞くのを楽しみにしてきた」と全員出席。

班学習の予定が沖縄に行ってもまだ煮詰まっていなかった班があったのがうそのようです。

なぜこうなったのか。
真実は分かりませんが私なりに感じたことを書いてみると

・メンバーに、実行委員にまかせっきりのお客様意識が生じなかった。
2回生ばかりの実行委員だったため「助けなければ」という意識が芽生えたのでしょうか。
事前学習でチェックイン・チェックアウトをするようになったことも、誰もが自分のことをみんなの前で話す機会があり、耳を傾ける、聞いてもらえるという関係づくりに繋がったように思います。

・対立的な話し合いがなかった。
事前学習でも沖縄でも「賛成か反対か」といった議論をすることが一度もありませんでした。何かを話し合うときは、小グループで話し合っていました。グループで話し合ったことをシェアすることもほとんどありませんでした。お互いの思いを聞きあうといった話し合いでした。
私としては「これでよいのか?」と思うこともありましたが。

・班学習のメンバーでよく話し合っていた。
例年なら沖縄の学生たちと一緒に行動することが多かったのですが、今年は計画が遅かったこともあり、班だけでの行動がほとんど。それだけに班での絆は深まったようです。
せっかく沖縄まで行って、沖縄の学生と交流しなかったのは残念ですが。

・事前学習のたびに飲み会をやっていた。
こんなに頻繁に飲み会をしたのは初めてでした。
「学習会のあとには、飲み会がある」みたいになっていて、それが楽しいからと参加者は増え続け、沖縄での打ち上げに至っては、仕事で早く帰らなければならなったN先生を除いて沖縄へ行った全員が参加しました。こんなことはかつてなかったです。
これまでは研修が終わった後も独自にあちこちを訪問したりして学習を続ける人たちがいました。そういう意味では「沖縄の打ち上げに全員参加した」ということが手放しで喜べることなのかどうかは分かりませんが、「もっと話したい」「いろんな人と話したい」と学生たちは言っていました。

学生たちは口々に「ここでは何をいっても受けとめてもらえる」「真面目な話ができる」といいます。日常では「真面目」ということがかっこ悪い、ダメな事のように受け止められているようです。けれど学生たちは真面目に話たいのです。

今回私は実行委員会にもほとんど出なかったし、実行委員や立ちあげ隊の誰かの相談にのることもほとんどありませんでした。
沖縄で、N先生の車での移動プランを立てるために班学習の計画の聞き取りをすることで、ようやく出番があったぐらいです。

今年の実行委員がたまたま良かったのか。
今年のメンバーがたまたま良かったのか。
これまでの蓄積がこういう形で繋がってきているのか。

教員は学びの質へどのように貢献しているのか、いないのか。
教員の介入は、ない方がよいのか、必要な時もあるのか。
見守り隊としての教員は必要なのか、いなくても良いのか。

そんなことを考えた昨日の事後学習でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気をもらうとき

2017-02-22 10:50:46 | 日記・エッセイ・コラム
この時期は、今年度の仕事や授業を反省し、次年度への準備をする時期。
でも、毎年まとまってゆっくり考える暇なくバタバタと終わってしまう感じです。
おまけにずっと頭痛が続くのはどういうわけか。
そういえば、昨年も「花粉症になったのかも」と思ったっけ。

安保法制が可決されて自衛隊が海外で軍事行動をするようになるかと思えば、
今度は共謀罪。
不気味。どんどん「戦前の日本」になってきている。
21世紀こそは平和の世紀と思っていたのに、子や孫の行く末が案じられます。

そんな中、最近読んだ本では『アメリカの教室に入ってみた』
http://www.honyaclub.com/shop/g/g18438514/
に元気をもらいました。

これに元気をもらったというのはおかしいかもしれません。
神戸大学大学院准教授の赤木和重さんがアメリカの学校に入ってみて思ったことや感じたことを書いています。
決して明るいことを書いているわけはない。

アメリカの「教育改革」がもたらした貧困地区の公立学校の現実。
格差が格差を生む状況。
日本にとってもよそ事ではない。

その中でも、新しい教育の形を追求する学校の存在。
教育とは何か。
本来どうあるべきなのか。

静かな問いかけがありました。
学問書という堅苦しさもなく、自分の感性を大切に書いていながら、
単なる私的見解を越えた研究者としての説得力もある。

こういう若い人の柔軟さ、聡明さに希望を感じるのです。
元気をもらいました。
教育に関係する多く方に読んでほしいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バレンタインデーのプレゼント

2017-02-15 14:24:00 | 日記・エッセイ・コラム


またもや、画像が横向けですが、孫からのバレンタインデープレゼント。

うちの息子ふたりは小学校に上がるまで文字に興味なく、多少は読めても全く書けませんでした。
だからといって、学習について行けないこともなく。
親がそう思っているだけで、先生が苦労されたかどうかは知りませんが。

でも、孫はいとこたちがみな年上という影響もあって、お手紙を書いたりするのが大好き。
「かずくん」「ふうみんちゃん」って、お友達かい!
鏡文字になっていた「く」もいつのまにか普通になっています。

なぜか私へのプレゼントは飾りが少なく、夫へのプレゼントはもりもりのデコレーション。
おいしかったよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高江に行ってきました

2017-02-02 18:01:59 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は、友人のRさんの車に乗せてもらって高江に行ってきました。
Rさんの日程が合わなければ、バスで行く予定でしたが、いやあ、バスではかなり歩かなくてはならず、とても苦労したでしょう。

高江に入ると、ところどころに警備員が立っていて、ここがヘリパット(オスプレイパット?)の入り口かぁ、と思いました。

警備員の方がズラリと並んでいるゲートがあって、「ここがメインなんだな」という感じ。
道路向かいのテントで4人ほどが歓談されておられ、お話を伺いました。
ここはN1テントと呼ばれているそうです。
墜落事故後もオスプレイは飛んでいたそうですが、昨日・今日あたりは久々に静かとのこと。
急ごしらえで作ったヘリパットが崩れてしまったりして、オスプレイも飛ぶに飛べない状態なのでは?ということでした。

「来てくれてうれしい」「私らはたいした力もないけれど祖父母の代から暮らしてきたこの土地を守るためにできることをするだけ」「また来てね」と言われました。
もっと険しい感じなのかと思っていましたが、ホッとするような温かい空間でした。

それに引き換え、向かいでゲート前にズラーッと警備員の方々が身じろぎひとつせず並んでいるのが、異様な感じでした。警備というより、威圧という感じ。

N1裏と呼ばれるゲートにも行ってみましたが、そちらは今度はゲート内で警備員の方が等間隔で縦に並んでいました。ほぼ誰もいない状態にもかかわらず(もちろん私たちは居たのですが)、こちらも身じろぎひとつせず立っておられるのは、本当に異様を通り越して滑稽な気がしました。警備の方々は、お互い話もするなと言われているのでしょうか。どういう思いで警備をされているのでしょうか。苦しいでしょうね。

警備は機動隊や警察ではなく警備会社の方です。地元の方の話によると、機動隊は結構良いホテルに宿泊されていたそうですが、警備の方はそうでもないそうです。機動隊と警備員は役割が違うと思うのですが、警備のためなら数人が門の前をウロウロしていればよいと思うのです。無駄な税金使っているなあと思ってしまいました。

ヘリポートGとHが見えるビュースポットやらにも行きましたが、シロウトの私たちには豊かな森が見えただけでした。

この豊かな森を切り拓いて、つくったわけね。

帰りに名護アグリパークに立ち寄りました。

写真がどうしたらちゃんと縦になるのか良く分かりませんが、素敵なところでした。
地元の産業を守りたいという思いを感じました。
野菜や観葉植物を買いたい人はもちろんですが、ちょっと休憩するのも、食事をするにも、お土産を買うにもお勧めです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辺野古へ行ってきました

2017-02-01 16:37:01 | 日記・エッセイ・コラム




那覇空港は軍民共用です。
私が沖縄に入った1月30日。自衛隊機が那覇空港で事故を起こし、そのあおりで私の乗った飛行機は鹿児島で待機。
機内アナウンスは「航空機の事故により」としか言いませんでした。
なぜ、正確に報道しないんだ?!
6時間も飛行機に閉じ込められて、ようやくの到着でした。

今日はしまぐるみ会議のバスに乗って、辺野古へ行ってきました。
知り合いの方に同行させてもらいました。
このバスは水曜日と土曜日に県庁前から出ているそうです。

集合は県庁前の県民広場と名づけられている屋根のあるところ。
8時半集合、9時出発とのことでしたが、8時半に誰もいなかったので、
場所を間違えたかとずいぶんウロウロしました。

そこで番号札をもらいます。
県庁前から出発。
バスに乗ってから、回ってくる袋に番号札と1000円の参加費を払います。

今日は24人乗っていました。
高速で行くのですが、途中でトイレ休憩がありました。
このときに、お昼ご飯を調達する人もいるようでした。

時計を見ていなかったので正確には分かりませんが、10時過ぎに到着。
ゲート前近くでバスを降りて、ゲートまで歩きました。
そこで知り合いと遭遇。
いろいろ積もる話があり、話し込んでしまいました。

ゲート前は正確には分かりませんが、総勢100人を超えているのは間違いないでしょう。
朝8時前に30人ほど来ていたとのことでした。
マイクを持って、いろんな人がいろんな話をしていました。
京都ではなかなか入ってこない情報です。
海洋汚染防止のための設備をつくるといって、何トンものコンクリートブロックが投下されようとしているそうです。
そっちも海洋汚染じゃないか?

トイレと書いたプラカードを持った人がまわって来てくれて、トイレに行きたい人をトイレのあるところまで運んでくれます。
助かった!!

ゲートの反対側に雨よけの座るところがつくられていて、午後はそこで持って行ったおにぎりを食べました。
魚のマース煮(塩煮)やゴボウのきんぴらや漬物やら、同じバスで来た方からいただきました。
ありがたかったです。

その後、希望者で辺野古の海へ。

沖縄の基地の多くは終戦時1945年ごろにつくられたのではなく、元は本土にあった基地が1960年を境に沖縄に移転されたこと。
普天間基地が、もともと必要なくなってきていること。
辺野古の新基地は、自衛隊との共用施設としての新たな基地建設であり、普天間の代わりといったレベルの話でないこと。
各種の資料やデータを使って説明してもらいました。

3時に辺野古を出発して帰ってきました。

辺野古で基地反対と叫んでいるのは本土の人ばかり?…24人のうち県外は3人でした。
1日2万円の日当をもらっている?…もらっていません。みな手弁当です。

基地で誰が利益を受けているのでしょう。
もし、本当に日本国民の利益になるのなら、なぜ沖縄だけに押し付けるのでしょう。
日本国民なら、これを真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする