今年度の沖縄研修が実質終了しました。あとはレポートと報告集の作成を残すのみです。
4月に立ちあげ隊の活動が始まって、6月に募集、第一回目の学習会での実行委員選出。
8月から毎月1回の学習会を経て2月に沖縄へ。
そして2月末または3月初めの事後学習会。
このパターンが定着しつつあります。
昨日の事後学習とその後の食事会は、特筆すべきものとなりました。
最後には、全員で合唱。学生にとっては中学や高校の合唱コンクールや卒業式でおなじみの曲だったらしく、ちゃんとハモっていました。
最近の学生がこうして合唱するというのは私にとっては珍しく、70年代の私自身の学生時代の雰囲気を思い出しました。
事後学習では、それぞれの班が自分たちの学びを報告したのですが、一班5分という制限時間をかなり超えました。
それぞれの口から自分の体験から出た真実のことばが語られ、少しも長さを感じさせませんでした。沖縄へ行けなかったメンバーも仲間と一緒に前に立ち、報告の一環を担っていたのも印象的でした。
その後、小グループに分かれて2セッション、それぞれの報告についての話し合い。
最後には、がんばった実行委員へみんなから一言を書いたメッセージのプレゼント。
実行委員に内緒で準備されたものです。
実行委員からは、立ちあげ隊へ感謝の花のプレゼント。私にまで花をいただきました(写真)。これもサプライズ。
そして、打ち上げへ。
小さなイタリアンレストランを借り切り。
ここでもまた、卒業する4回生にみんなからひとことのビデオ上映のサプライズ・プレゼント。
そして肩を組んでの大合唱となったのでした。
涙する4回生。
笑い合う仲間。
良質のドラマを観ているようなすばらしい瞬間でした。
毎年似たような状況ですが、今年はとりわけ集団の凝集力が高いように思いました。
事後学習に良く分からない理由で欠席する人はひとりもなく、
サークルの合宿中にもかかわらず早く抜けて駆け付けた4回生、
例年なら沖縄に参加できないと事後学習には来ない人もあるのに、
沖縄に行けなかった4名が「みんなの報告を聞くのを楽しみにしてきた」と全員出席。
班学習の予定が沖縄に行ってもまだ煮詰まっていなかった班があったのがうそのようです。
なぜこうなったのか。
真実は分かりませんが私なりに感じたことを書いてみると
・メンバーに、実行委員にまかせっきりのお客様意識が生じなかった。
2回生ばかりの実行委員だったため「助けなければ」という意識が芽生えたのでしょうか。
事前学習でチェックイン・チェックアウトをするようになったことも、誰もが自分のことをみんなの前で話す機会があり、耳を傾ける、聞いてもらえるという関係づくりに繋がったように思います。
・対立的な話し合いがなかった。
事前学習でも沖縄でも「賛成か反対か」といった議論をすることが一度もありませんでした。何かを話し合うときは、小グループで話し合っていました。グループで話し合ったことをシェアすることもほとんどありませんでした。お互いの思いを聞きあうといった話し合いでした。
私としては「これでよいのか?」と思うこともありましたが。
・班学習のメンバーでよく話し合っていた。
例年なら沖縄の学生たちと一緒に行動することが多かったのですが、今年は計画が遅かったこともあり、班だけでの行動がほとんど。それだけに班での絆は深まったようです。
せっかく沖縄まで行って、沖縄の学生と交流しなかったのは残念ですが。
・事前学習のたびに飲み会をやっていた。
こんなに頻繁に飲み会をしたのは初めてでした。
「学習会のあとには、飲み会がある」みたいになっていて、それが楽しいからと参加者は増え続け、沖縄での打ち上げに至っては、仕事で早く帰らなければならなったN先生を除いて沖縄へ行った全員が参加しました。こんなことはかつてなかったです。
これまでは研修が終わった後も独自にあちこちを訪問したりして学習を続ける人たちがいました。そういう意味では「沖縄の打ち上げに全員参加した」ということが手放しで喜べることなのかどうかは分かりませんが、「もっと話したい」「いろんな人と話したい」と学生たちは言っていました。
学生たちは口々に「ここでは何をいっても受けとめてもらえる」「真面目な話ができる」といいます。日常では「真面目」ということがかっこ悪い、ダメな事のように受け止められているようです。けれど学生たちは真面目に話たいのです。
今回私は実行委員会にもほとんど出なかったし、実行委員や立ちあげ隊の誰かの相談にのることもほとんどありませんでした。
沖縄で、N先生の車での移動プランを立てるために班学習の計画の聞き取りをすることで、ようやく出番があったぐらいです。
今年の実行委員がたまたま良かったのか。
今年のメンバーがたまたま良かったのか。
これまでの蓄積がこういう形で繋がってきているのか。
教員は学びの質へどのように貢献しているのか、いないのか。
教員の介入は、ない方がよいのか、必要な時もあるのか。
見守り隊としての教員は必要なのか、いなくても良いのか。
そんなことを考えた昨日の事後学習でした。