ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

中学校でのコミュニケーション授業

2018-02-25 08:06:24 | ワークショップの報告
文部科学省が助成する「児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験(芸術家派遣)」事業に、劇団ZTONが取り組んでいます。

私をアドバイザーにしてくださったので、実施前の検討会、実際の中学校でのワークショップに参加(私自身の授業時間割とインフルのため4回しか参加できませんでした)。
そして先日は事後検討会に参加しました。

中学校といっても、学校によってずいぶん異なり、クラスの三分の一ぐらいが見ている感じの中学校もあったとか。それでも回を重ねるごとに変化があったようです。
私が観にいった学校は、とても素直で元気な生徒たちでしたが。

小学校で学級崩壊していたという中学もあり、そういうところの生徒は大人への不信感をありありと感じる。
小規模校で、小学校からずっと同じメンバーという中学校もあり、そういう中学校は小学校の人間関係をそのまま引きずっていて、良くも悪くも新しい関係を築くのが難しい。

ファシリテーターを務めたスタッフたちの感想から、中学校の実情が見えてきます。

3年に1回だけでなく、1年生、2年生と連続して行けるとよいなあ、という話も出ていました。
そのほか、積極的な意見がいろいろでましたが、学校側の事情や、予算との兼ね合いもあり、どれも実現するというわけにはいかないようです。

いろいろ聞いて参考になりました。

終わってから、「コミュニケーションで何を大事にしているか」や「なぜ役者になったのか」という話をスタッフのそれぞれがしてくれて、とても面白かった。
危うく終電を逃すところでした。
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即興で絵本をつくろう! 報告

2018-02-24 21:00:19 | ワークショップの報告
めっちゃ面白いワークショップでした。
こういう遊び、最高!

映画がおよそ2時間、シルバー割で1,100円。
このワークショップも2時間。
1,000円なら払ってでも参加する!

   ***

しばらくストレッチをしてから
各自、好きに絵を描く

自分の描いた絵について少し説明
グループに分かれる(4人ずつの2グループでした)

グループの4つの絵を一つのお話にする
全然関係ないのに、どうするの?
と思ったけれど、あるとき突然アイデアがうまれる

可視光線から「かしこの光線」という言葉が生まれ
「かしこの光線は見えないけれど○○は見える」シリーズが完成

同じ絵をつかって、でも今度は他の人の絵をもって
「○○が好き!」シリーズが完成

ひとつめができると、ふたつめは早い

もうひとつのグループは、絵を動かしたり丸めたり、とってもユニーク
最後は8人でひとつのストーリーを完成

奇想天外なお話が飛び出し、おなかの底から笑った!
人間の想像力って、とってもゆたか

終わってからはお茶とお菓子でゆっくりおしゃべり
しあわせな瞬間

さらにそれから「できそうにもないことをやってみる会」の3人と
あきらんで晩御飯

   ***

なぜ、こんなにおもしろいんだろう

正解がない
想像力を刺激する
一緒に笑ってくれる人がいる

絵を描いているとき、単純に楽しかった
でも、出来上がった絵は、まったく気に入らなかった
そんなことも含めて楽しい

誰も批判的に見る人がいないからだろうか

こういう遊びを定期的にできたら、おもしろいんだけどな?
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ホット・シーティング

2018-02-24 20:47:08 | 日記・エッセイ・コラム
今朝7時32分、NHK第一放送、「歴史を探しに ペリー荻野のペリー式歴史偉人伝」

今日は上杉謙信の話だったのですが、朝食を作っていたので内容は全く聞いていません

でも、ペリー荻野さんに上杉謙信が憑依して、そのペリーさんにアナウンサーが質問をしていました。これってホット・シーティングやん!というこで、そこだけ印象に残りました。

ホット・シーティングの日本語訳、「誰かに憑依」。これ受けそう。
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第7回目の教職沖縄研修

2018-02-10 17:22:04 | 日記・エッセイ・コラム
今年も学生について沖縄へやってきました。
沖縄へ来た日は、寒くて震え上がりました。

一昨日あたりから暖かくなり、
昨日、沖縄での研修が終わりました。

今年はいろいろと課題を感じた沖縄研修でした。

学生も変化しているし、社会情勢も変わる中で、この研修の位置づけが変わっていくのは仕方ないとしても、大事にしてきたことが引き継がれないとしたら残念です。

今回は、実行委員会との関係がうまく築けませんでした。
自主活動で、学生が自主的に決めるのは良いのですが、もっと良くなるのにと思うと口をはさみたくなります。

けれど、実行委員会の側にうまく受け止めてもらえませんでした。
一生懸命がんばっているのは分かるのですが、もう少し耳を貸すゆとりがあれば。
こちらのかかわり方も考えなければならないのでしょう。

しかし、私としてはもう時間がありません。
提言するだけのことはして、あとは学生や他の方たちに任せるしかありません。

個人的には、実り多い沖縄滞在でした。
京都でなかなか観ることができなかった「米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー」を観ました。「辺野古ゲート前の人々」の映画を見て知り合いの顔を発見し、辺野古へも行ってきました。

南風原陸軍病院壕では、地元の方のボランティアの方による説明を受けることができました。
自ら学び、ボランティアでこの負の遺産を伝えておられることを尊いと思いました。
質問に対して分からないことは分からないと素直に答えてくださることにも好感を持ちました。

「私たちは教員を目指しているのですが、子どもたちに何を伝えたいですか」という学生の質問に「この日常が続くということが大切で、それが平和であること」と答えてくださいました。
また「子どもたちには意見の違いや対立があっても、話し合いで解決する力をつけてほしい」「世の中が寛容さを失っているように感じる。他人を許せる寛容な人を育ててください」とも。

実は、辺野古でプラカードを持って立っていたのですが、横にいた女性が機動隊員に向かって「お前は犬だ。あっちへ行け」などと口汚く罵っていて、心がざらつきました。
聞いていられなくて
「彼は犬ではありませんよ。人間ですよ」
というと
「いや、犬だ。こんなやつに何を言ってもいいんだ」というのです。

「毎日、力づくて排除されていては憎くなるのは分かるけれど」というと
「私らはこいつらからダニとかカスとか言われてきた」と。

「へえ、それは酷いね!」
「犬のほうがマシでしょ」
「ダニ、カスは酷い!」
などと話していると、機動隊員に向かって汚い言葉を言わなくなりました。

自分の人間性が踏みにじられた痛みを、目の前の機動隊員にぶつけざるを得なかったのでしょう。その深い悲しみを私は理解しているのだろうか。しかし目前の機動隊員を罵倒しても何も生まない。

それよりも「あなたも沖縄の人でしょ。この海が埋め立てられていいの?この埋め立てに手を貸している。それでいいの?」と語りかけていた女性に、私は共感しました。

辺野古に滞在した時間は短かったのですが、とても長く感じ、日ごろに感じない疲労感がありました。
今日も辺野古では人々が闘っています。
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普天間基地の横で

2018-02-02 10:06:44 | 日記・エッセイ・コラム
昨日から沖縄。現在、宜野湾市。

ワークショップの記録DVDを見ながら文字起こしをしようとしているのですが、戦闘機が頭上を飛ぶと全く声が聞こえない。ここではこれが日常。これが「当たり前」なんです。

だからといって「いやなら辺野古へ」って、理不尽じゃないですか。
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