ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

新聞掲載

2007-08-31 11:47:49 | 本・論文・雑誌

Photo_2 「学びの即興劇」の本について、沖縄タイムス、琉球新報の取材をうけ、8月14日に掲載してくれました。沖縄を離れていたので、最近になってその記事を読ませてもらいました。

掲載されたのが同じ日だったのは偶然だったと思いますが、実は、取材を受けたのも同じ日。タイムスは沖縄国際大学で。おかげで、近くに居たもとの受講生が「証言」をしてくれました。新報は、本社で。新報のほうが後だったせいか、疲れた顔で写真に写っていました。

「正確に取材してもらうのは難しい」「恥ずかしい」というのが感想。でも、意外と反響がないので、あまり見られていないのかな?恥ずかしいけれど、「即興劇をやってみよう」と思う人が増えてほしいし、そのためには多くの人に見てほしい。矛盾しています。

Photo_3

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即興劇は目的か方法か

2007-08-27 16:23:21 | 本・論文・雑誌

プレイバック・シアター実践リーダープロジェクトで一緒だったSさんから、「学びの即興劇」第一章の感想が届きました。了解を得て、掲載します。

「俺は・・・、精一杯自分なりに、プレイバックシアター(PT)と向き合ってきたつもりです。だけど、すごく欲張りなんだよね。贅沢で、野心に満ちています。
第一章の中のふうみんは、ワークショップをリードすることで自分の能力を参加者に示そうとするのでもなく、またこの仕事に金銭を期待するのでもなく、ただただ環境問題に寄与するために自らの手法を捧げている、と僕の心には映りました。

第一章の中で「即興劇」は、「環境問題を考える」という明確な目的のための純然たる“方法”として扱われていました。
一方PTの領域では、この「目的」と「方法(手段)」が本末転倒になっている傾向を、僕は以前から感じて来ました。
“PTを使うのではなく、PTに使われている”、或いは“PTをやるためにPTをやっている”という印象を受けることが、割合多かった。

これは恐らく、「舞台の上でPT、或いは演技を見せる」構造に関係している現象だと思います。
また、PT自身の器が大き過ぎて、提供する側に明確なヴィジョンを持たせることを困難にしている、という一面もあるかも知れません。

目的と方法がすっきりと明快に分かれていたのは、主導する側の“目的(環境問題を考えること)に対する問題意識の具体性”と“何をどう変えたいのか、という方向性の明確さ”によるものなのかなと思い、ここに理性とか知性、そして“実践の歴史”を感じました。

とてもすっきりとした印象を受けました。」

即興劇は目的なのか、方法なのか。これは即興劇をやる場合の本質的な問いだと思います。私は、確かに即興劇は手段だと割りきっています。でも、だからこそ、目的がはっきりしないでワークショップに望んでしまうと、「アレッ?」と思ってしまうときがあります。「ちょっと違ってたな」って。

その点、プレイバック・シアターは「誰かの個人的なストーリーを分かち合う」という点ではまったくブレがない。・・・はずだけれど、不特定多数を対象としたパフォーマンスとなると、それ以上のものを求めてしまうのですね。なぜか。

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キジムナー・フェスタに行ったよ

2007-08-16 11:17:19 | 日記・エッセイ・コラム

7月21日から29日にかけて、沖縄市で国際児童青少年演劇祭キジムナーフェスタが開催されました。

私の関心事は、なんと言ってもドラマ教育で、渡部淳先生(日本大学)のセミナー「ドラマ教育と学級経営」、アメリカとイギリスから講師を招いてのDIE(Drama in education)ワークショップを楽しみにしていました。

セミナーは、演劇的表現が学校教育の中でどのように活用できるか、実体験を踏まえての説得力のあるお話。そのなかで、実際にいくつかの方法を体験もしました。1時間ぐらい延長。もう少し体験できるように時間が取れると良かったのかも。

アメリカから来た講師は、ロバート・コービー氏。いつも思うのですが、即興劇のファシリテーターは、誰もが親しみやすく、氏というよりロバートと呼びたい感じ。1日目は主として詩を題材に、二日目は絵本のストーリーを題材に、それぞれ3時間、楽しい二日間でした。とりわけ、絵本を元にした、自然に沿って暮らす緑島としゃかしゃかと働く灰色島のドラマは、応用範囲が広く、とても参考になりました。

イギリスのケネス・テーラー氏のワークショップは体調最悪。残念ながら乗れないまま終わってしまいました。それで、東京のワークショップへ追っかけ。中学生に混ざって、ワークショップに参加させてもらいました。めったにできない経験で、これはとても面白かった。中学生と理解や感性がこれほど違うのか・・・という体験でもありました。

肝心の演劇について、キジムナーフェスタの自称応援団として、チケットを12枚購入したのですが、いろいろあってまともに観たのは8つ。最後のほうは、体力が続かずパスしたものも。観たいものはたくさんあったのに。

一番の感動は、ロシアの「旅立ち、そして出会い」。ほとんどセリフがないので子どもでも分かるだろうと対象は9才以上になっていましたが、これは大人向け。少なくとも思春期以後でないと分からないのではないかと思いました。観る人によってさまざまな感想が出てきそうで、そういう場が設けられていると面白いと思いました。

とにかく、すごいフェスティバルです。

あるお芝居で、沖縄市長自らが一般の人と一緒に並んでおられるのを発見。「市長が並んでいるなんてすごいなあ」と思っていたら、ヨルダン王女も並んでいたと聞いてびっくり。さすが、子どものためのお祭り。大人は権威があっても関係ないのですね。海外から来た出演者がウロウロしているので、思わぬところで国際交流ができるのもこのお祭りの魅力。

来年は、ぜひみなさんもキジムナーフェスタに。私は自分の体力に見合った予定を立てることにしよう。

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即興劇付きホームパーティー

2007-08-06 09:47:55 | 日記・エッセイ・コラム

「私ってなんて幸せもんだろう」と。

京都ワークショップの第一の感想はこれ。私の願望のために、いろいろな人に苦労をかけてしまいました。とりわけ、えっちゃん、りつこさん、Mさんは、本当にありがとう。おかげで念願果たしました。

ちょっと思ったのは、老後、京都へ戻ってくることがあったら、知り合いで集まって、即興劇で遊んでもいいなあ。きっと、楽しいに違いありません。即興劇付きホームパーティー。ワークショップで知り合ったアラちゃんが、うまいキャッチコピーを考えてくれるかな?

こういう妄想が周りの人を危険にさらしてしまうようなのですが・・・。

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「学びの即興劇」京都ワークショップ2―午後の部

2007-08-06 09:05:38 | ワークショップの報告

午後は、猛烈な睡魔に。夕べ、蚊に悩まされ、寝不足だったからか。午前中に受付や記録をしてくれたMさんが、午後から不在。

新しい人も増えたので、午後の部は好きな食べ物で自己紹介。一通り終わったころに遅刻してきた人があり、好きな色で自己紹介。

ゲーム「木こり」。この途中でまた遅刻があり、ゲーム中断。やはり受付は必要でした。まったく一人でというのは難しい。

一本の木を想像しながら、ポーズをとる。お互いの木の話をしてから、相手の木の気持ちをせりふで表現する「私の木はこれです」。

4人一組で「木のある風景」を静止画で。蝉取り。木陰でお茶。北山杉。

続いて「石炭・石油がなくなると何がなくなるか」。三人一組で、今より石油石炭が半分になったときの家庭の会話を演じる。①ガソリン代値上がり。車に乗るなという母。彼女と北海道へ車で行くという息子。間に立つ姉。突然の母の豹変に戸惑う息子の感じが良く出ていました。②失業中の父とおじが息子に節約を説く。打ち水しなければ打ち首。木綿と麻を着て、絹は着ぬの、駄洒落に大笑い。③父母と高校生の娘でドライブ。ガソリン節約で低速運転する父。お金があれば贅沢できるという娘。安いガソリンスタンドを探して結局ガソリンの無題使い。落ちがはっきりしていて、落語を見ているよう。④小学生の遠足。水筒にブリキ(アルマイト?)の弁当箱を持って行けという母と祖母に娘は反発。結局遠足に行かないで祖母に髪を切ってもらうことに。全体を通して、物のない時代を知っている世代と知らない世代の感覚の差がくっきり。若い方々が参加してくださって、本当に良かった。

ここで休憩。

このあとは、二グループに分かれて消費社会型未来と循環型未来を演じてもらうつもりでした。その前に、その二つの未来を少しイメージするために二つに分かれてディベートをと思ったのですが、テーマの提示の仕方が悪くて、うまくイメージに持っていけません。参加者の何人かは眠たい感じ。結局ディベートのみで時間となり、最後に一人一言ずつ感想を語ってもらって終わりました。

時間的にいうと、石油・石炭の話はやめて、そこに入る前に休憩。休憩後、何かゲームをして未来の話へというのが良かったと思います。最初の木のエピソードと石油の話は、未来の話なしには繋がりませんでしたから。また、都会型未来、田舎型未来とでもいうと、イメージが持ちやすかったかも。日常接している学生たちとであれば、三点セットでほぼ時間内に終わったでしょう。しかし、私と同世代の大人は、いろいろな人生を背負っていて、話したいことが多い。短く話すことは難しい。一人一言がずいぶん長くなってしまいます。もし、この世代でワークショップをするなら、ここが工夫のしどころだと分かりました。

午前と午後に区切ったのは、参加者が参加しやすいようにという配慮と、いろいろなテーマで使えることを体験してもらいたかったですが、ひとつのテーマで通したほうが深まったでしょう。これを使うという観点で参加していた人は少なかったようなので。

「とても面白い」と思った人もいた反面「いったい今日はなんだったんだろう」と未消化で終わった方もあるようで、反省点は山ほど。だからこそ、「やって良かった」と思います。それにしても、時間とお金とエネルギーをこの場に提供して下さった参加者の皆さんに、本当に感謝します。

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