ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

できそうにもないこと第5弾~絵本の中で遊んでみる

2017-01-29 20:15:32 | お知らせ
あぁ、絵本の世界を空想する、ってことね。
いやいや、実際に絵本のなかに入って遊ぶ、ってことだよ!
えっ?! ……って、どうやるの?
この、「できそうにもないこと」が、今回のチャレンジです!

今回のファシリテーターは、がねてぃ(上林梓)
大阪大学大学院/元小学校教員/専門はドラマ教育
何が起こるのか、わくわくします。

主催の「できそうにもないことをやってみる会」とは?

無理難題を楽しみながら教育と教育以外のことを探索してゆく研究会。
私を発起人に、岩橋由莉(コミュニケーション・アーツ主宰)、井谷信彦(武庫川女子大学講師)を賛同者として、おいしい近江野菜に舌鼓を打ちながら立ちあげられた。発起人とは無理難題を投げかける役割のことであり(って、私が無理難題を投げかけてるのか?)、賛同者とはこれを引き受ける役割のことをさす。開催は不定期。発起人または賛同者の呼びかけにより計画される。何が起こるか分からないことを承知の上で、自己責任で参加してくださる人たちの協力のうえに成り立っている。「できそうにもないこと」を提案してくれる会員募集中!

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◎開催日時  2017年4月1日(土) 13時半~16時
13時開場 (途中参加・途中退出自由)
       ※終了後に30分程度ワークショップ全体をふりかえる機会をもちます。
※もっと語りたい方のためにそのあとの懇親会を予定しています。
※途中参加、途中退室、見学・休憩などご自由になさってください。

◎開催場所  アスニ-山科(京都市生涯学習総合センター山科)
JR・京阪・京都市営地下鉄山科駅から徒歩スグ
京都市山科区竹鼻竹ノ街道町92番地ラクトC棟2階 和室

◎定  員  約20名

◎参加費用  無料(ただし会場代を主催者と参加者で割勘にします。※1人500~1000円程度)

◎お申し込み haraiso887@gmail.com(岩橋由莉宛)
氏名、よければ所属、懇親会に参加するかをお知らせください。
ご不明な点がありましたら上記までご遠慮なくお問い合せください。
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第1回はひこさんの「即興音楽」、第2回はかぜのすけの「沈黙」、第3回は石井先生の「劇づくり」、第4回はこいちゃんの「即興ダンス」でした。

それぞれのワークショップも興味深いですが、そのあとにおこるディスカッションが非常に面白い。「ファシリテーターは方向性を持つべきか」「ワークショップの安全性とは」「正しいあり方を求めるのはどうなのか」「ダブルファシリテーションとはどういうものか」などなど。私はディスカッションを通していろいろ考えさせられたのでした。

定員になり次第、申し込みを締め切ります。
お早めにどうぞ。
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学ぶことが多かった…日本学校演劇教育会関西支部のワークショップの報告

2017-01-22 10:23:06 | ワークショップの報告
日本学校演劇教育会関西支部のワークショップの紹介をしておきながら、報告をしていなかったことに気づきました。
自分で納得のいくワークショップができなかったので、報告したくないという心理が働いて、サボっていたのです、きっと。

12月27日という年末の押し詰まった時期にもかかわらす、40人ほどが参加されました。しかも遠くは宮城、島根から。

渡部淳先生の講演の後、ほぼ20名ずつに分かれて、小・中学校・国語関係は宮崎先生、理科・環境・高校・大学関係は私がワークショップ。

実は、最後まで何をするかで迷いました。高校・大学というしばり、理科・環境というしばり。しかも直前になって、2時間でなく90分しかもらえないことが分かりました。悩みどころは、リサーチをしてドラマ技法を使うこれまでやってきたことをするのか、リサーチなしでできる新しいことをするのか。来ている人が教員だけでなく、しかも色々な事情からモチベーションの高い人が来ている中で、まったく新しいことをするには不安がありました。かといって、理科・環境というのをはずしてしまうと、それは「看板に偽りあり」ということになってしまうでしょう。

で、「私はミミズ」を採用したのですが、まず最初の場をつくることが丁寧にできませんでした。「頭で動く」状態から「気持ちで動く」状態への切り替えができませんでした。来られた方は、やらされ感満載だったのではないでしょうか。劇で表現した後の「私はミミズ」に関してのふりかえりもできませんでした。つまり、やりっぱなしになったわけです。

でも、私自身は学ぶことがたくさんありました。ふりかえりをパスしてでも行った最後の質疑で、現場でどのような事が関心事になっているのか肌身に感じましたし、自分のやりたいことも見えてきました。

あと残り少ない大学での生活、やりたいことを選んでていねいにやっていこうと思います。
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環境教育論―ESDをめぐって5人で大討論

2017-01-18 21:22:36 | 授業・教育
今日は環境教育論の授業最終日。

まず10分ほど、YouTubeでムヒカ大統領のリオ+20での演説を聞きました。
これはプリントにして読んでくることを宿題にしてありました。

印象に残ったところ、良い悪いではなく、好き好きじゃないと思ったところを出し合って話し合っていきました。

「命より高価なものはない」というところが好きだった、と。
それに対して、「これまでの経験からそう思ったことってあった?」と尋ねると、「身近な人が亡くなったという経験はない」とか言いつつも「交通事故にあって、その時はパニックになったけど、落ち着いたら誰もケガしなくて良かった。もし誰かを轢いていたらお金で償えないと思った」などの経験が出てきました。

「発展途上国が先進国並みに大量生産・大量消費することが限られた資源の中で可能なのでしょうか」という問い。
私たちは、これ以上消費を増やさないという選択ができるのか?どういう選択ならできるのか?

「豊な消費、ローンのために働き続けるのが幸せなのか」という問いから、教員の働き過ぎの問題に話は発展しました。教員を目指す人たちだから。制度を変えないと変わらない。ムヒカ大統領の言うように政治の問題だ。でもその政治家を私たちが選んでいるのでは?個人でできることはないのか?働き過ぎるのは、仕事以外の充実した過ごし方を知らないからではないか。働く側の意識も変えていかなくてはいけないのでは?

話に熱中して、気がついたらあと5分。
受講生4人と私。たったこれだけの人数でしたが、充実した話し合いでした。

話は1月15日に遡るのですが、この日大雪で電車が大幅に遅れ、遅刻しながらも即興型教育研究会に参加。

午前はすぅさんのワークショップと上條先生によるその協働的リフレクション、
午後はがめらのワークショップと上條先生による協働的リフレクション、という2本だて。
ワークショップそのものがとても面白いものでした。

リフレクションには、参加者約30人の半分が加わり、残りの人はフィッシュボール形式で見守り役。

リフレクションとは何か、どういうもので、どうすればよいのかを考えさせられる、刺激的な経験でした。

今も参加者どうしてfacebook上の対話が続いています。
その対話も含めて、私が納得したのは…

「どう思いますか」では話が深まらないということ。
それをこれまで私は何回も繰り返してきて、「なんで話が深まらないんだろう」と思っていたわけです。
自分の意見は言うけれど、意見を重ね合うということをしない。
自己完結しようとする。他人の意見を聞いているように見せかけて実は寄せ付けない。
学生たちは、まわりと軋轢が起きないように厳しく防御しているのです。

「ここでは何でも言えるんだ」という場をどうしたらつくれるのか…。
このことに意識がありました。

で、このリフレクションを通して思ったのは、

「良い」はひとつの価値判断であり、「おもしろい」「好き」は自分の心の動きである。
「良い」というと主語が「あなた」になりがちで「おもしろい」「好き」は主語が「わたし」になる。
「あなた」で言われると言われた人は防御的になることもある。けど、その人にとってある種「内省」は生まれるかもしれない。
一般論になると「あなた」も「わたし」も深まらない。

私たちは普段、一般論でいいと思うことを発言しがち。これも防御なんですね。
だから「わたしは」と自分を主語にして考えたり感じたりすることが大事ってこと。
アサーションとも通じます。

そういった内省的言語を聴き合うことで、そこに居合わせた人たちのリフレクションが深まっていく。

加えて、「反省でなく、ふりかえりでなく、内省でなく、省察を!」の意味と、「省察には協働が必要」の意味が腑に落ちました。

だから今日は学生に「どう思う?」ではなく「どこが好きだった?」と聞いてみたのです。
そして「なぜ?」「何かそれと関わる経験がある?」と。

今日はそれが良かった。人数が少ないことも幸いでした。
これからも実践して検証してみよう。

この間、悩みぬいてきた「リフレクション」だけれど、少しずつ自分のものになりつつある気がします。
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理科の授業の面白さ

2017-01-13 10:23:36 | 授業・教育
理科の授業、実験の準備が大変だし、生物分野は予備実験でうまくいっても本番がなぜかうまくいかないこともあり、重荷に思うこともあったのですが、充実していると思えるようになってきました。

立命館大学に赴任して、2年目までは父の看取りと母との同居に向けてのゴタゴタ。
3年目から4年目の前半までは、小康状態で仕事に取り組めた時期。
そのあとは、母の変化のあとを追いかけながら、日々をこなす毎日。

その母も亡くなり、自由にできるはずなのになぜか虚脱状態。一周忌を経て、今年度の1年は、徐々に前向きになってきた1年だったように思います。

気持ちが内側にしか向かないときに、外に引っ張り出してくださった即興型教育研究会とすぅさん、「できそうにもないことをやってみる会」のゆりさん、ひこさん、獲得研と渡部淳先生、そして今共同研究を進めている吉田真理子先生。恵まれているとつくづく思います。

『演劇と教育』に「授業を振り返る視点としてのアクティブ・ラーニング」という記事を書かせていただいたのも、外から声をかけていただけるありがたいきっかけでした。

今年度から、理科教育研究という中学理科免許状取得には必修の科目を担当しています。
中学校の授業をしたことない私が担当するのですから、自身が学びながらの授業です。

この授業は教育実習に向けての大事な授業なので、まず授業プランが立てられてそれを学習指導案に表せるということが目標です。

加えて大事にしたいと思ったのは、各自の授業観の問い直しです。学生は自分の受けてきた授業のイメージしかなく、そういうものだと思っています。
このままだと、受験のために授業を聞いてひたすらノートに向かうという受け身な授業が繰り返される。
そういう授業から、主体的に学ぶ力をつけていく少数の人も居ます。教師になりたい人には、そういう人が多いかもしれない。でも、多くの生徒はそうではありません。

いろいろな授業方法を体験してもらうようにしました。
特に、現職の中学校の先生のICTを使った生徒主体の授業は、学生にとって目から鱗だったと思います。

海外の理科教育を調べて発表する授業もしました。これを受けてのディスカッションは、自分たちの受けてきた授業を相対化するのにずいぶん役立ったと思います。

最後の授業。中学の理科とは、いったいどういう科目なのか。何を教えなくてはいけないのか。
前の時間に物理、化学、生物、地学の4つに分かれて、グループで考えました。
それを発表したのち、ディスカッション。「理科を学んで、何が楽しかったか」という話になりました。
「実は理科は嫌い」と言っていた学生が、授業記録に次のように書いてくれました。

「理科の面白さについてのディスカッションがとても印象に残っています。これにもっと早く気付いていればいろいろ状況がかわってきたのかなと思いました。今まで私に教えてくださった先生方はそれを教えようとしてくれてたのでしょうが、私の心には響かなかったようです」と。彼女が教師になるのが楽しみです。

「学生たちと一緒に授業をつくってきた」と実感の持てる授業でした。

まずは1時間の授業プランから始め、中学理科、さらに理科全体へと広げていくという方向で授業をしてきましたが、このディスカッション、もっと早い時期のほうが良かったのかな?
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