ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

退職して2年

2021-01-29 08:27:51 | 日記・エッセイ・コラム


この3月で退職して2年になる。

非常勤講師としての夏季集中授業。
この経験は、継続した仕事なしで半年ぶりに授業をすることの難しさを実感した。
若いときには感じなかったことだ。

そして昨年の1月20日。
渡部淳先生が逝ってしまわれた。
このことがそれまでやってきた仕事への未練を失う大きな契機だった。
コロナが後押しをした。

そして今、この2年をふりかえると、あっという間のようで、
いろいろと新しいことを始めた長い時間でもあった。
2月2日には、Kちゃんが1歳4か月を迎える。
何もできずに世話されるだけの赤ん坊だったものが歩き始めている。

私の新しい歩みが最期へ向かっているのは間違いないが、
それまでに何かまた新しい世界が拓けるのではないかな。
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ころがスイッチ

2021-01-25 08:39:52 | 子どもと学ぶ


孫のOくんは3歳と半年。
つい先ごろまでプラレールに夢中だったのに、今はころがスイッチドラえもんに夢中。
どこで知ったのか知らないけれど、欲しいと泣き喚いて、
ついに自分のお年玉で買うことを許されたようだ。
このごろ泣き喚いての自己主張が激しい。

何やらひとりで黙々と取り組んでいたが、思うようにいかないらしく、私に助けを求める。
それからはOちゃんの指示通り、私が部品を繋いでいく。
マニュアルにないコースができたと大満足!
絵の通りに自分で繋ぐのは難しくても、絵に描かれたコースと同じかどうかは分かる。

プラレールと同じで、どのようなコースをつくるか、大人がやっても面白い。
プラレールと違うのは、ただレールに沿って動くだけの電車とは違って、
球が下の柄を叩くことで上の球が動いたり、
球を打ち出して次へ繋げたりと、球の運動の面白さがある。
ただまあ、部品を繋げるだけでなく、
いろいろなものを材料につくるともっと面白いと思うけど。

途中でどうにもオシッコががまんできなくなって「オシッコ出た!」とトイレに駆け込んだ。
本当は出たわけではなく、トイレで無事に済ませた。
まだ過去形、現在形、未来形の区別がつかないらしい。

そういった何もかもが愛おしい。
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走れない!

2021-01-09 13:06:33 | 日記・エッセイ・コラム

おそまきにお年賀の返事を書き、
とても寒いのでポストまで100mほど
走って行こうとしたら

なんと!
走れない!
歩く速度でしか、走れない!

走る筋肉が衰えている。
歩くのも
自転車に乗るのも、
変わらないのに!

こりゃ一大事だ!
なんとかせねば…。
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義父の最期に思う

2021-01-06 15:46:16 | 日記・エッセイ・コラム

義父の好んだ絵 モネ『カササギ』


11月20日に、義父のお見舞いに行ったことを書いた。
その義父が大晦日に亡くなった。
私がだし巻き卵を焼いている最中に。

8月には自宅で元気にしていた。
9月に首にできものができたことから甲状腺がんが発見され、
義姉さんがデイサービスセンターから、たびたび呼び出されることになった。
首の包帯がはずれた。治療行為はデイサービスではできない。医者へ連れて行ってくれ…と。

たまりかねて義姉さんは義父をショートステイで一時預かってもらうことに。
10月、ショートステイ先ではコロナのために義父に面会できなかった。
訪問診療を実施している医師に、義姉さん、その夫、カズさんと私で、話を聴きに行った。

「鍵を預けてくれれば、訪問介護で自宅療養ができる」という医師の話に対して
義姉さんは「夜に何かあれば心配。入院が一番」ということで、
甲状腺がんを診断してくれた病院がすすめてくれた病院へ、義父を入院させたのが10月末。

11月には、「おとうさんがあまり反応しなくなった」と義姉さんから連絡があった。
お見舞いに行くと、その時は面会できた。
義姉さんの話に反してあの時はまだ元気だったし、これほど急に亡くなるとは思ってもいなかった。

義姉さんは、「最期を病院で手厚く看てもらった」と満足しているようだった。
でも、病院でベッドに寝ている以外、何もすることがない状態は、果たして義父にとって良かったのだろうか。
鼻から栄養を補給して、排尿カテーテルを入れるという処置を、義父は望んだだろうか。
私には、生きる気力を失くしてしまったように思える。
けれど実際義父がどう思っていたかは分からないし、義姉の気持ちも分かる。

いずれにせよ、苦しまず、眠るように逝ったのは幸いだったと思う。
104歳。安らかな顔だった。
通夜もお葬式も親族だけで、涙する人はおらず、
姉弟とその伴侶がひと時をお義父さんのまえで楽しく語らって過ごした。
何よりの供養だったんではないだろうか。
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